栗のなかの、ちっちゃな熊さん
今日、9月の半ば。いつものように蒸したての栗を包丁で半分に切ったとき、私は思わず、あっと声をあげてしまいました。
そこにいたのです。ちっちゃな栗の断面に、まるで丸くなって冬眠しているかのような、可愛い熊の姿が浮かび上がっていました。
「ねえ、熊って栗の実をたくさん食べて冬眠するのよ」
最近、妻がそんな話をしていたのを思い出します。何気ない夫婦の会話でしたけれど、目の前の栗の断面を見て、「これ、本当だったんだな」と、なんだか可笑しく、あるいは妙に得心がいってしまいました。栗をたっぷり食べて丸々と太った熊が、栗のなかにまで潜り込んで春を待っている。自然のいたずらにしては、あまりにも出来すぎた、優しい景色です。
実はこの半月間、私は毎日のように栗を食べて過ごしてきました。
暮らしているのは東京なのですけれど、近くには誰でも入ってよい、40本もの栗の木が並ぶ栗林があります。去年から通い始めたのですが、毎朝少し早起きをして拾いに行くのが、すっかり日課になっていました。
栗拾いに行くのは私だけなのです。妻は外に仕事に出ており、私は自分のご飯を作りながら家事全般をこなしています。そんな日々のなかで、ビニール袋を片手に行く毎朝の栗拾いは、私の中にある「男性の狩猟本能」を満たしてくれる大切な時間でもありました。その栗林は地面に草が生えておらず、土だけが広がっているような場所なのです。だからこそ、落ちている栗がよく目立ちます。1個見つけるたびに、「ここにあった!」「あそこにもあるぞ!」と、まるで宝探しのように胸がワクワク、ドキドキするのです。
この「栗を求める本能」は、実は人間だけのものではありません。本州の山に生きるツキノワグマたちも、秋になると冬眠に備えて、栗の実を狂ったように食べ漁るのだそうです。彼らは大きな体を揺らしながら器用にクリの木に登り、枝をパキパキと折っては実を食べます。その折った枝をお尻の下に敷いていくため、木の上にはまるで鳥の大きな巣のような「熊棚(くまだな)」と呼ばれる塊ができあがるのだといいます。
山で熊棚を作るツキノワグマと、大都会の片隅で目を輝かせてビニール袋を握る私。そう思うと、なんだか可笑しな連帯感さえ湧いてくるのです。
しかし、最盛期には朝だけで80個も拾えた栗も、今朝行ってみると、地面をいくら探してもたったの6個しか見つかりませんでした。もう、そろそろ終わりなのです。
今朝の6個は、まだ料理されずにそこの机の上に置いてあります。本当に名残惜しい姿です。ただ、冷蔵庫にはここ3日分ほど拾い集めた栗が蒸し上げられて保存してあります。それを今は、少しずつ大切に食べているところなのです。
以前、栗を拾っていたときに、ぽつんと小さな穴の空いた栗を見つけたことがありました。「虫食いかな」と一瞬ためらいましたが、なんだか綺麗だし、もしかしたら食べられるかもしれないと思って、一緒にビニール袋に入れて連れて帰ってきたのです。
捨てずにそのまま蒸して、包丁を入れてみました。虫の通った跡を少し削って食べてみたら、これが結構美味しかったのです。穴が空いていてもちゃんと食べられるのだと、そのときに分かりました。
お店で売っている見栄えのいい綺麗な栗は、その多くが化学薬品で薫蒸処理されていると聞きます。私にとってはそれがどうにも体に馴染みませんし、そもそも、そこまで処理された栗を買ってまで食べようとはどうしても思えないのです。
子供の頃、田舎の家の裏山にも栗の木がありました。けれど、あの頃でさえ、こんなに毎日のように栗を食べた記憶はなかったのです。大都会の東京にいながらにして、大小様々な栗をひとつひとつ確かめるように味わう。こんな贅沢な秋は、私の人生で初めての経験かもしれません。
この豊かな実りをもたらしてくれた季節に、「ありがとうございました」と手を合わせたい気持ちになります。冷蔵庫に残った最後の実りを、愛おしい熊さんの姿を思い浮かべながら、一粒ずつ大切に味わうつもりです。
読者の皆さんのまわりにも、もし栗の林や、栗の拾える場所があったら、ぜひ早起きして出かけてみてください。大きい栗だけじゃなく、ちっちゃな栗も、穴の空いた栗も、みんな違ってみんな美味しいものです。男の狩猟本能も、きっと心地よく満たされますよ。自然の恵みって、本当に素晴らしいものです。そこにはきっと、あなただけの小さな秋の秘密が、隠れているはずですから。
