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『シンイ』を見ていたら…





韓国ドラマ『シンイ -信義-(2012)』を見終わった。

見始めたとき私は、正直、とくに感想もなく見ていた。ただむずかしくない話の、ある程度定番のシンプルなタイムスリップものとして、半分以上を一気に見た。見終わった今思うと、名作と言われるものの不思議のひとつで、見ている最中にあれこれ分析する暇がなかったのだと思う。以前どこかで「駄作は考えながら見られるが、名作は何も考えないまま見終わってしまう」という話を聞いたことがあるが、『シンイ』は私にとってそんな作品だったのかもしれない。

『シンイ』を見始めたのは、イ・ミンホが目的だったわけでもない。チュウォン主演の『アリス』を見た後で、『シンイ』ってユン・テイ役のキム・ヒソンも出ているんだなー、と気になったことがきっかけだった。『アリス』もまた時間をめぐる物語だったので、「そうか、キム・ヒソンはここですでに時空を超えてたのか」と納得した。この二つのドラマは設定も場面も似せたようなところがぽつぽつとある。

振り返ると、『青い海の伝説』でイ・ミンホを見て、『アリス』でキム・ヒソンを知り、その後に『シンイ』に来た。作品から作品へは、気になった俳優さんを追いながらドラマを見ることが多い私にとって、この順番でこの物語に訪れたのはよいタイミングな気がする。

・・・

物語は、現代の女医ウンスと高麗の武士チェ・ヨンを軸に進んでいく。

けれど、見終わった今いちばん印象に残っているのは物語そのもの、というわけでない。

やはりチェ・ヨンである。

美しさは言わずもがな、もう少し正確に言うなら、チェ・ヨンの「存在」かもしれない。


最初は、騒がしいウンスに振り回される寡黙で愚直な武人のように見えていた。ところが話が進むうち、私はチェ・ヨンの顔を、もっとよく見ようとしていることに気づいた。

表情がそれほど大きく変わらない。目線の移動だけがある。

感情を言葉で説明することも少ないのに、視線や目の奥にあるものが、なんとなく伝わってくる。

普段が無表情なだけに、わずかな変化が大きく感じられる。

すらっと立つ姿、真っ直ぐ見入る目に、どことなく安心感もある。

なぜこんなにチェ・ヨンを見ていて心地よいのだろう?


最初は単にイ・ミンホの格好さからかな、と思っていた。実際、立っているだけで印象がある。武人の衣装も美しく、胸から裾まで真っ直ぐ落ちる布のラインがとても素敵だ。

けれど、それだけだろうか。

チェ・ヨンを見ていると、気分が透明になる。

それは彼に感情がないからではない。むしろ強い。

物語の初めは、絶望のようなものがあるので、距離もあるが、その感情で相手や世界を押し切ろうとしないのは、その感情が変化してもそうだったように感じる。

ただそこにある、という感じ。

・・・

私は以前から、人の意図を感じると少し身構えてしまうことがある。相手が何かを伝えようとしていると、その意図を受け取って、応えなければいけないような気がするからだ。

たぶんチェ・ヨンには、それがなかった。

彼はただそこにいた。

だから見ていて私は自由だった。


このドラマを見ながらの気付きは、自分が心地よさを感じるのは、「存在が身体と喧嘩していない人」なのかもしれない、ということ。

自分を大きく見せようとも、小さく見せようともしていない。

感情はあるし、役割もある。

それでも、それで世界を埋め尽くされていない。

ドラマを見終わると、チェ・ヨンは忘れがたいキャラクターのひとりになった。


でも同時に、『シンイ』は私に別の問いも残していった。

チェ・ヨンのように、またチェ・ヨンを見ている時のように、自分自身の中に起こる反応も、在るままそのままに見られないだろうか。

曖昧な印象にも、思い通りにならないことにも、気になって仕方ないようなことにも、
評価をせず、反応に反応せず、ただ受け取って眺められないだろうか。

そんなことを考えた。


だから私にとって『シンイ』は、タイムスリップ・ラブストーリーであると同時に、「ただ存在して息づいている」ということについて、考えをめぐらせていた作品でもあった。


チェ・ヨンの立ち姿を眺めながら、頭の隅でずっと、存在について考えていたみたいだった。


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