まじで本が読めない人の話

私は本が読めない

物心ついた頃から、たしかに児童館の漫画とかは読んでた気がするが、小説なんてまともに読めたことがない
文学少女への憧れは歳を重ねるごとにほんの少しずつ抱くものだが、25年を通して最後まで読んだ本なんて片手で数えられるほどしかない
(2進数で31まで数えられることにしてほしい )

小2の頃、ナルニア国物語を金ローで映画としてみた後日、学校の図書館で本があることに気づいた
あの時の私があの文字の塊をまともに読めてるとは信じがたいため
実写版の描写を思い出すためだけで本を読んだ気になっていた
それからというもの、かろうじて実写化した小説は最後まで読めても、本を読んでいたら自然と身につくであろう語彙力とか人間の思考傾向をものにできず、その結果そもそも本すら読めない、映像化されたものじゃないと頭に入ってこない身体となった

あと面白い話として、両親が私の本嫌いによる想像力のなさや無知さを見て、無理やり本を読ませた時期があった
私は興味のない本を読むことに身体が拒否反応を起こし、ちいかわのモモンガくらいイヤイヤしてた、いやその8倍くらい
しまいには親からの復習クイズがあり、流し読みして内容がわかんないようして答えられず泣いたこともあった
あの文字いっぱいの紙が重なってる物体に人間の私が泣かされるとは
じゃんけんでいうパーやんお前
私なんてグーもチョキもパーも無敵も出せるのに
パーの積み重なりごときに泣かされた
それから本を読むのがなんなら若干のトラウマである

生まれつき本が読めない理由は、もちろんADHD傾向(25歳診断済み重度ADHD)があり活字を長く吸収できない、のもあるが
表現の正解を求めてしまう傾向があるのかも
理系マンワイは国語の点数がめちゃくちゃ悪かった
国語のテストって、物語の一部抜粋の文章があって、そこから登場人物の考えとかを問われ、その問いには答えというものが存在しているだろう
国語の点数が低かった私は、その答えと自分の回答が乖離していないか心配で仕方ない
だから本を読むとき、「つまりはどういうことだってばよ」というのを、解答があるならもう最初から答え合わせしないとうずうずしてしまう
本来なら、本を読んで感じることは人それぞれだから、それなりのトラウマが剥がせないのかもしれない

あと、なんか労力を使っちゃう
本を読むとき、登場人物や場面を想像し、さらには登場人物の顔とか服とかなんならCV(キャラクターボイス)の割り当てとか考えてもう自分がドラマディレクターでその現場にメガホン持って座って凝縮してるか、モブAとして出演してしまう
そうしないと余計なことを考えてしまうのだ
遠足中に野原の蝶を追いかけて群れから逸れるように、しっかり入り込んでしっかり集中しないと置いていかれる
置いていかれるとまた最初から読み直さないといけない
物語という一本道を何度も寄り道して最初から渡り直すことを繰り返している

この報酬を早く欲しがるのと、違う刺激を求めてしまうのって、今流行りのドパガキということか?最近蛙化現象みたいに言葉が一人歩きしてないか心配だが、ドパガキの傾向の1つとして捉えてもいいかもしれない

とはいいつつ、本を読みたいという気持ちはある
面白いし

ということで、頑張って憧れの文学少女を目指してみることにした
憧れの文学少女というのは、「道端に咲いた草花や、小鳥の囀りも嗜む余裕のある女」感がある
この自認はもしかしたら私を物語への入り込みを容易にするのではないか
根本の問題として、無駄なく最短ルートで簡単に答えへ辿り着こうとする傾向を、「読書は無駄から始まる」ものだと諦めを知る必要があった
最短ルートには草花も小鳥もいない
でも草花と小鳥も拾うくらい、余裕を持って全てに触れることこそが、私の目指しているもの、本を読むことそのものなのだ



結論憧れの文学少女への道は、無駄さえも登場人物に取り入れる
そうだ、きっとこれを意識すれば、今まで触れたかった文学を嗜む読書ガールになり、本が読めるのではないか…!
なんてことはなく私は途中で小説を読むことをやめ、適当にYoutubeを見ながらスプラトゥーンをやりました

結論、好きな時に好きな本読もう



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