匿名になることで消えるのは、自分の名前だけではない
ニュースを見ていて、ものすごく腹が立った。
同時に、胸が苦しくなった。
地震で自宅が倒壊した人の写真が、AIで加工されていたという。
壊れた家の前で、まるで被害を楽しんでいるかのように見える画像。
そこには、被災した人を嘲笑するような言葉まで添えられていた。
見た瞬間に思った。
この人は、家を失った人の気持ちを想像したことがあるのだろうか。
昨日まであった家が、なくなる。
いつもの布団で眠れない。
いつもの台所でご飯を作れない。
いつもの場所に置いていたものを、取りに帰ることさえできないかもしれない。
住所は残っているのに、帰る場所がない。
そんな人の写真を加工して、笑いものにする。
私には、その感覚が分からなかった。
少し前、ACジャパンの「仮面罵倒会」というCMを見た。
匿名で誰かを傷つけることを、「仮面」を使って表現したものだった。
そのとき、ひとつの疑問が残った。
匿名だから、人は残酷になるのだろうか。
それとも匿名は、普段隠している残酷さを外に出す許可証なのだろうか。
今回のニュースを見て、その問いをもう一度考えた。
もし、目の前にその人がいたら。
壊れた家の前に立っている本人を見ながら、同じことを言えるだろうか。
昨日までここで暮らしていたんです、と言われても。
同じ言葉を口にできるだろうか。
たぶん、言えない人の方が多いと思う。
では、なぜ画面越しなら言えるのだろう。
匿名なら、自分の顔を見られない。
自分の名前も知られない。
そして何より、
自分の言葉を受け取った相手の顔を、見なくていい。
誰かを傷つければ、本来なら反応が返ってくる。
顔が曇る。
黙る。
怒る。
泣く。
その反応を見れば、自分が何をしたのか分かる。
けれど画面の向こうでは、それが見えない。
文字を打つ。
送信する。
それで終わる。
今回、それにAIまで加わった。
本人がしていないことを、しているように見せることができる。
笑っていない人を、笑っているように見せることもできる。
技術そのものが悪いわけではない。
だから余計に思う。
問題は、AIが何をできるようになったかだけではない。
それを使って、人間が何をしようとしたのか。
私はニュースを見ながら腹を立てていた。
こんなことをする人間の気持ちなんて分からない、と。
でも、そこで少し怖くなった。
自分は本当に、まったく違う側にいるのだろうか。
SNSで誰かが失敗したとき。
ニュースに出た誰かに腹を立てたとき。
仕事で誰かに苛立ったとき。
口には出さなくても、ひどい言葉が頭をよぎったことはある。
送信しなかっただけかもしれない。
名前が出る場所だったから、書かなかっただけかもしれない。
人間の中には、誰かを傷つける言葉がある。
ただ、それを外へ出さないために、相手の顔や、自分の名前や、周囲の目がある。
だとしたら匿名という仮面が怖いのは、人を別人に変えるからではないのかもしれない。
普段なら止まるはずの場所で、
止まらなくなるからなのかもしれない。
匿名になることで消えるのは、自分の名前だけではないのだと思う。
画面の向こうにいる人にも、
家がある。
家族がいる。
昨日がある。
明日の予定がある。
傷つけば、痛い。
地震で壊れた家の写真を見たとき、
そこに写っているのは「被災者」という名前の誰かではない。
昨日まで、そこで暮らしていた人だ。
朝起きて、
ご飯を食べて、
仕事へ行って、
帰ってきて、
眠っていた人だ。
その人を、さらに傷つける必要がどこにあるのだろう。
仮面が怖いのではない。
仮面の向こうからなら言える言葉を、
私たちは最初から持っている。
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