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【探究学習】未来は170円で売られていた——冷凍パスタから考える「のび太化」する社会

先日、スーパーの冷凍食品売り場を眺めていて、ふと疑問に思いました。
ソースまで付いた冷凍パスタが、安いものなら170円台で売られている。
乾麺だけならともかく、すでに調理され、ソースと具材が入り、冷凍され、全国の店舗まで運ばれてきた食品です。それが、外食はもちろん、コンビニ弁当よりはるかに安い。
いったい、なぜこんな価格で販売できるのでしょうか。
そこでAIと壁打ちしながら調べていくうちに、話は冷凍食品の製造原価から始まり、外食産業、単身世帯、結婚、村上春樹、藤子・F・不二雄、そして「のび太化する現代人」へと、思いがけない方向に広がっていきました。


170円の冷凍パスタは、なぜ成立するのか

冷凍パスタの安さには、いくつかの理由があります。
まず、パスタの主原料である小麦は、比較的安価で、大量生産に向いています。麺の形や太さも規格化しやすく、巨大な工場で連続的に製造できます。
ソースも一食ずつ家庭で作るのとは違い、何千食、何万食という単位で製造されます。原料調達から調理、盛り付け、包装までを自動化できれば、一食当たりの人件費はかなり小さくなります。
さらに冷凍食品は保存期間が長いため、弁当や総菜に比べて廃棄が少ない。店舗側にとっても、売れ残ったその日に処分する必要がありません。
つまり、170円という価格は「安い材料を使っているから」だけではなく、

  • 原料の大量調達

  • 製造工程の自動化

  • 商品の規格化

  • 冷凍物流網の発達

  • 廃棄ロスの少なさ

といった、巨大な産業システムによって実現しているのです。
一方、冷凍ラーメンや中華麺は、パスタより少し高くなる傾向があります。
スープの量が多く、出汁、香味油、具材など複数の要素が必要になるうえ、麺とスープを別々に製造・包装する商品もあります。チャーシューや野菜などの具材も、パスタソース以上に価格へ影響します。
安い冷凍パスタは、食品工業にとって非常に「大量生産しやすい料理」だったわけです。

私たちは食品ではなく、「調理された時間」を買っている
考えてみると、冷凍パスタが代行しているのは、単なる加熱作業ではありません。
献立を考え、食材を買い、保存し、麺を茹で、ソースを作り、盛り付け、食後に鍋や皿を洗う。
家庭で料理をする場合、その背後には一連の見えない作業があります。冷凍食品は、それらを食品工場、物流センター、スーパー、冷凍庫、電子レンジへ移しています。
私たちは冷凍パスタを買っているようで、実際には、すでに調理された「時間」を買っているのです。
これは、かつて洗濯機が家庭にもたらした変化と似ています。
洗濯という行為そのものが消えたわけではありません。しかし、水をくみ、衣類を手で洗い、絞るという作業の多くを機械が担うようになりました。
調理でも同じことが起きています。
ただし、洗濯機が家庭内に導入されたのに対し、冷凍食品では調理機能の大部分が家庭の外へ移されています。家庭のキッチンで行われていた仕事を、巨大な工場がまとめて引き受けているのです。

外食や弁当産業の利益も食べている

これほど安く、しかも品質の高い冷凍食品が増えれば、当然、外食や弁当産業にも影響します。
もちろん、冷凍食品だけで外食がなくなるわけではありません。
レストランには、できたての料理、接客、空間、誰かと過ごす時間という価値があります。弁当や総菜には、買ってすぐに食べられる便利さがあります。
しかし、「一人で、とりあえず空腹を満たしたい」という用途では、冷凍食品は非常に強い。
数百円の弁当を買う代わりに、家にある170円の冷凍パスタを温める。昼食や夕食の一部がこの選択へ移るだけでも、市場全体ではかなり大きな金額になります。
外食産業は、単に料理を提供するだけでは、食品工場の生産性に勝ちにくくなります。これからは、店内で食べる体験や交流、専門的な調理など、冷凍食品に置き換えにくい価値が、ますます重要になるのでしょう。


冷凍食品は未婚率を上げるのか

ここで、さらに気になることが出てきました。
冷凍食品の充実は、単身生活を容易にし、結果として未婚率を地味に押し上げているのではないか。
もちろん、冷凍食品が未婚化の主な原因というわけではありません。
収入や雇用の不安定化、住宅費、出会いの減少、男女の役割分担をめぐる意識のずれなど、はるかに大きな要因があります。
ただ、冷凍食品は「結婚しなくても生活できる社会」を支えるインフラの一つではあります。
かつて結婚には、恋愛や家族形成だけでなく、生活共同体としての大きな実利がありました。食事、洗濯、掃除などを、夫婦や家族の間で分担する必要があったからです。
ところが現在は、

  • 冷凍食品や総菜

  • 洗濯乾燥機

  • ロボット掃除機

  • ネット通販

  • フードデリバリー

  • 家事代行サービス

などによって、配偶者がいなくても生活を維持しやすくなっています。
単身世帯が増えるから、一人用の商品が増える。一人用の商品が充実するから、さらに単身生活が容易になる。
冷凍食品は未婚化の「エンジン」ではありませんが、未婚でも困らない社会を作る、静かな加速装置ではあるのかもしれません。
一方で、共働き夫婦や子育て世帯の家事負担を減らし、結婚生活を続けやすくする効果もあります。
技術には、社会を一方向へ動かす単純な力があるわけではありません。利用する人や置かれた環境によって、正反対の働きをするところが面白いのです。


冷凍や電子レンジで栄養は壊れるのか

冷凍食品について話していると、もう一つよく聞く言説があります。
「冷凍すると栄養素が破壊される」
「電子レンジは栄養を壊す」
「レンジで温めた食品は有害になる」
しかし調べてみると、これらはかなり誇張されていることが分かりました。
冷凍そのものによる栄養素の減少は、一般にそれほど大きくありません。野菜の場合、冷凍前の湯通しや長期保存によってビタミンCなどが減ることはありますが、タンパク質、食物繊維、ミネラルなどは比較的安定しています。
収穫直後に冷凍された野菜は、流通や家庭の冷蔵庫で何日も保存された生鮮野菜より、栄養素を多く残している場合さえあります。
電子レンジも、食品を放射性にするものではありません。
加熱なので、熱に弱い栄養素が減ることはあります。しかし、それは鍋で茹でても、フライパンで焼いても同じです。電子レンジは短時間かつ少量の水で加熱できるため、茹で汁へ栄養素が流出する調理法より、栄養を保持しやすいこともあります。
実際に注意すべきなのは、冷凍や電子レンジそのものより、商品の塩分、脂質、野菜やタンパク質の少なさ、加熱ムラ、不適切なプラスチック容器などです。
つまり、冷凍食品の健康問題は「未来的な調理法が食品を毒にする」という話ではなく、結局は何をどれだけ食べるかという、ごく普通の栄養バランスの問題なのです。


村上春樹の「僕」は、なぜパスタを茹でるのか

ここまで考えて、村上春樹の初期作品に出てくる、一人暮らしの「僕」がスパゲッティを茹でる場面を思い出しました。
当時、都市に暮らす独身男性が、自分のためにパスタを茹で、レコードを聴きながら静かに過ごす姿は、かなり現代的な生活の象徴だったのではないでしょうか。
誰かに食事を作ってもらうのでも、昔ながらの家庭を営むのでもない。
自分で水を沸かし、麺を入れ、時間を計り、食事を整える。それは「自立した孤独」を表す行為でした。
しかし、将来の読者には、この場面が違って見えるかもしれません。
この時代の人間は、わざわざ鍋に水を入れ、沸騰するのを待ち、麺を茹でていたのか。
私たちが昔の小説に出てくる、薪で湯を沸かす場面や、手紙を書いてポストまで出しに行く場面を読むように、旧世代の牧歌的な生活として受け取られる可能性があります。
さらに面白いのは、次の二つの文章が持つ印象の違いです。
僕はスパゲッティを茹でた。
僕は冷凍パスタをレンジに入れた。
栄養的には、後者が必ずしも劣るわけではありません。
ところが「スパゲッティを茹でる」行為には、生活を自分で整えている感じがあります。一方、「冷凍パスタをレンチンする」となると、途端にお金がない、時間がない、疲れている、自分の食事にも手間をかけられない、といった印象が付着します。
前者では「僕」が調理の主体ですが、後者で調理しているのは食品工場と電子レンジです。「僕」は完成した時間を受け取る消費者になります。
食事の効率化によって、生活だけでなく、文学に描かれる動作や時間まで圧縮されているのです。
もっとも、現代の作家なら、その圧縮された時間そのものを文学にできるでしょう。
僕は冷凍パスタをレンジに入れた。
表示された六分三十秒は、今日、僕が自分のために使う最も長い時間だった。
そこには、パスタを茹でる場面とは異なる、現代的な孤独や「時間の貧困」が立ち上がってきます。


藤子・F・不二雄が描いた未来は、すでに実現していた

そう考えると、現在の冷凍食品は、藤子・F・不二雄が昭和の時代に描いていた未来の一部が具現化したものにも見えてきます。
ボタンを押せば、食事ができあがる。
漫画では、一台の未来的な機械が料理を出してくれました。しかし現実には、万能調理機が家庭へやってきたわけではありません。
原料調達、食品工場、急速冷凍、低温物流、スーパーの冷凍ケース、家庭の電子レンジへと、調理機能が分散されました。
つまり、社会全体が一つの巨大な自動調理機になったのです。
見せ方を変えれば、かなり未来的な技術です。
AI搭載ロボットが、ボタン一つでパスタを作る。
→ 豊かで未来的な生活。
冷凍パスタを電子レンジで温める。
→ 貧相な一人暮らし。
実現している機能は近いのに、受ける印象は正反対です。
技術は普及し、安くなり、誰でも使えるようになると、そのすごさが見えなくなります。未来は日用品になり、ときには貧困の記号にさえなるのです。
昭和に想像された未来では、機械が家事を引き受ければ、人間には豊かな余暇が生まれるはずでした。
しかし実際に訪れた未来では、仕事で疲れているから冷凍食品を使い、時間がないからレンジで済ませることも多い。
技術は時間を生み出したはずなのに、その時間がさらに別の労働によって回収されてしまう。
この少し皮肉な未来も、藤子・F・不二雄のSF短編に出てきそうな話です。
私たちは、うっすらとのび太化している
そして最後に、こんな考えに行き着きました。
現代人は、社会全体でうっすらとのび太化しているのではないか。
何か分からなければ検索する。道に迷えば地図アプリを開く。文章が書けなければAIに頼む。食事が面倒なら冷凍食品を温める。寂しければSNSを開き、退屈すれば動画が自動的に流れてくる。
小さな不便や空白が生じるたびに、私たちはスマートフォンへ向かって、
「ねえ、ドラえもん。なんとかしてよ」
と呼びかけているようなものです。
スマートフォンは、すでに相当な四次元ポケットです。
百科事典、地図、翻訳機、カメラ、テレビ、銀行、商店、郵便、友人との連絡手段が一台に入っている。生成AIまで加わり、相談すれば答えや文章まで返してくれるようになりました。
ただし、現実のドラえもんには、漫画との大きな違いがあります。
ドラえもんは、のび太を叱り、道具を取り上げ、ときには失敗させながら成長を促します。
ところが、現在のドラえもん役を担っているのは、多くの場合、営利企業です。
利用者が長時間使い、依存し、課金し続けるほど利益が出る。現代のドラえもんは、必ずしものび太の成長を願っているわけではありません。場合によっては、のび太のままでいてもらったほうが都合がよいのです。
さらに、富裕層には高性能AI、個別教育、家事代行、先端医療という高機能なドラえもんが付き、低所得層には広告と課金誘導の多い無料版ドラえもんが付く。
これからは「能力の差」だけでなく、どのようなドラえもんを利用できるかが、新しい階層差になる可能性もあります。
それでも、のび太化を全面的に悪いとは言い切れません。
のび太は頼りない一方で、他者の痛みを想像し、弱い者に共感し、ときには損得を超えて行動します。
道具に任せられることは道具に任せ、人間は共感や創造、誰かを大切にすることへ力を使う。そんな未来もあり得るはずです。
問題は、道具を使うことではありません。
自分が何を道具へ預けたのか、分からなくなることです。
冷凍食品に調理を預け、地図アプリに方向感覚を預け、SNSに人間関係を預け、生成AIに思考と言葉を預ける。
その代わりに得た時間を、私たちは何に使っているのでしょうか。


未来は、冷凍ケースの中にあった

企業は、家族のあり方を変えようとして冷凍食品を開発しているわけではありません。
原価を下げ、味をよくし、調理時間を短くし、売れる商品を作ろうとしているだけです。
しかし、その「少し安い」「少し便利」という商品開発の積み重ねが、一人暮らしを容易にし、家事の意味を変え、結婚の必要性を下げ、外食産業を変え、文学に描かれる孤独の姿まで変えていく。
社会は法律や革命だけで変わるのではありません。
スーパーの売り場が少しずつ広くなり、170円の冷凍パスタが少しずつおいしくなることでも、静かに変わっていきます。
藤子・F・不二雄が描いた未来は、銀色のロボットや空飛ぶ車としてやってきたのではなく、スーパーの冷凍ケースの中の特売価格スパゲッティとして静かに佇んでいます。

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