【展示】『エットレ・ソットタス展 魔法がはじまる時 デザインが生まれる時(アーティゾン美術館 日本橋)』〜役割から解放された家具たち
イタリアのデザイン界における巨匠、エットレ・ソットタスの回顧展を観てきました。アーティゾン美術館が所蔵する作品を軸に構成された展示でした。
タイプライターや食器、家具、ポスターデザインまで幅広く手がけたデザイナーで、どこかで見たことがある気はするものの、門外漢の自分にとってはこれがまとまった形で作品に触れる初めての機会でした。いかにもイタリアといった、大胆な造形と色使いの作品が並んでいました。

正直に言うと、個人的にはこの手の「デザイン性が先行して使い勝手が蔑ろにされたプロダクト」に対して、どこか懐疑的というか、苦手意識を持っていました。使い勝手の良さを突き詰めた先にこそ美は存在する、いわゆる「用の美」こそがデザインの本質ではないか、と。
その物差しで見てしまうと、嵩張るばかりで実用性に乏しく、ギトギトとしたデコラティブな造形は「これはちょっと違うんじゃないか」と思ってしまう。色つきのガラスを組み合わせたオブジェも、それなりに美しいとは感じたものの、針金で適当に固定されているような構成の緩さ、コンポジションとしての厳格さの欠如が、どうしても気になってしまいました。


ところが、そんなことを思いながら観ているうちに、不思議とある種の開放感というか、心がふっと緩んでいくような感覚に包まれていきました。
そこで気づいたのは、そもそも自分が受けてきたデザイン教育自体が「用の美」的な考え方をベースにしていて、その枠組みの中で育った自分の感性が、ソットタスのようなデザイン思想を「好ましくない」と自動的にジャッジしていただけなのかもしれない、ということでした。
役割や機能から解放された家具。厳格に構成しすぎないことによって、かえって立ち上がってくる緩やかな心地よさ。そう考えると、これはこれで一つの正解なのだろうと思えてきました。
ただ同時に、こうした作品は近代的な建築や家具に囲まれた空間の中で初めて引き立つものなのだろうとも感じました。そしてそれは、これを「作品」として認める観る側がいて、初めて成立するものでもある。
ローマ時代やルネサンス期の完成度の高い彫刻や建築物が街の中に当たり前に存在する環境で暮らしてきた人々だからこそ持ちうる、独特の美意識というものがあるような気もしました。
