見出し画像

【展示】『東京大学駒場博物館と日本民藝館 』〜モノが時間を纏うとき ―― 東京大学駒場博物館と日本民藝館の一日

東京大学駒場キャンパス。 10年以上前、たまたま校舎の前を通りかかったら『駒場祭』をやっていて、少しだけ中に入ったことがありました。 それ以来、ほぼご無沙汰。

博物館があるということすら、実はラジオで知りました。


カタログの中の、消えた景色

お目当ては『展覧会カタログの愉しみ』という企画展。 館内にはホワイトボードとともに、大量の展覧会カタログ。 中央には折りたたみ机と椅子、テーブルライトまで用意されていて、座ってじっくり読めるようになっていました。

何冊も、何冊も眺めていました。

その中で目についたのが、デパートで開かれていた展覧会のカタログの多さ。 今ではあまり見なくなったタイプの展覧会です。 当時、デパートも好調だったんだなあと、改めて感じ入りました。

個人的には、池袋西武にあった西武美術館の展示から、かなりの影響を受けているなと自覚したりもしました。

その西武デパートも、かつては格下と見なしていたセブンイレブン(イトーヨーカドー)に買収され、 今度はそのセブンイレブンからも見放されて、外資へ売却され……

当時のブイブイ言わせていた西武を知る身からすると、なにか隔世の感があります。 遠い目をして会場の片隅に目をやると、マルセル・デュシャンの作品を模したというカラスのコラージュ現代アートが、常設展示されていました。

世界的なプレゼンスの低下が言われて久しい東京大学ですが、 建物といい、こうした端々にあるちょっとしたものといい、やはり流石だなという感じがしました。

若葉で腹ごしらえ、そして民藝館へ

せっかく東京大学まで来たので、キャンパス内の学食『Cafeteria 若葉』でうどんとアイスクリームを軽く済ませ、 少し歩いて日本民藝館へ。

『柳宗悦と日本民藝館』―― 熟成した「もの」の説得力

日本民藝館、何年ぶりでしょうか。 来るたびに、その良さがわかるようになってきている気がします。

いわゆるアカデミックな造形とは違う。 けれど、ものとしての説得力は、きちんと成立している。 明らかに素人の仕事とは違う、職人の仕事。

それが人の手で使い込まれ、時間をくぐり抜けている。 ものとして熟成している、とでもいうのでしょうか。 人の作為も、時代の空気も、時間とともに脱落していく。

これが民藝だなあと。

あと、作っているものから、ある種の「快」の感覚のようなものを感じるんです。 楽しんで作っている、というのともちょっと違う気がするけれど、 ある種の心地良さを感じながら――あるいは感じてもらえるような何かを込めながら――作られている。

単なるお洒落さや美しさではなく、日常で使い続けるための飽きのなさ、心地良さが大前提になっている。

それって、人間社会が工業化される前には当たり前にあったもので、 そうしたものにこれほど心惹かれる自分が生きている時代というのは、 つまりそうしたものが決定的に不足している時代なんだろうな、とも思います。

河井寛次郎や濱田庄司は、それを踏まえた上で、さらに何かに到達している。 なんというか、物語を五感で感じるような感覚。 まあ、この2人については個人的な好みも大きいとは思いますが。

それにしても、何人もの目利きによるサロン的なコミュニティというものが、 こうした作品群のペースの背後にあったのだろうな、とも感じました。

西館へ ―― 重厚さと軽み

重厚感がありながら、不思議と威圧感のない軽みもある。 柳宗悦の書斎がある西館。 柳宗理が20歳から暮らしていた部屋もありました。

鉄製の煖炉のようなものがあったのですが、その形状、後のヤカンにかなり近い。

肌の浅黒い、スキンヘッドの外国人のおじさんが、建物に入るとき頭を深々と下げていました。 たぶん、お寺か何かと勘違いしていたのだと思います(気持ちはわかります)。

なかなか充実した、美術館めぐりの一日でした。








【展示】東京大学駒場博物館と日本民藝館


東京大学駒場キャンパス内は、10年以上前にたまたま校舎の前を通りかかったら、東大の学園祭『駒場祭』がやっていたので、少しだけ校内に入ったことがありました。

が、博物館があるというのは、ラジオでの紹介を聴いて初めて知りました。

展覧会カタログを特集した展示『展覧会カタログの愉しみ』で、博物館内に開設のホワイトボードとともに大量の展覧会カタログと、会場中央には座って読めるようにと折りたたみ机と椅子、テーブルライトが設置されていました。

何冊もじっくりと展覧会カタログを眺めていました。

その中で、デパートで開かれていた展覧会のカタログもかなりありました。今はあまり見なくなったタイプの展覧会で、当時デパートも好調だったのだなあと改めて感じました。

個人的には、池袋西武にあった西武美術館の展示からはかなりの影響を受けていると実感したりもしました。その西武デパートも格下とみなされていたセブンイレブン(イトーヨーカドー)に買収され、今度そのセブンイレブンにも見放されて外資に売られて…

なにか、当時のブイブイ言わせていた西武デパートを知る身からすると、なにか隔世の感がありますね。

遠い目をして、会場の片隅に目をやると、マルセル・デュシャンの作品を模したというカラスにコラージュしたという現代アートが常設展示されていたりしました。

やはり世界的なプレゼンスが低下していると言われる東京大学ですが、やはり建物と言い、こうした建物の端々にあるちょっとしたものにしても、流石東大といった感じがしました。


折角、東京大学までいったので、

東京大学駒場キャンパス内にある学『Cafeteria 若葉』で軽くうどんやアイスクリームを食べてから、ちょっと歩いて日本民藝館に行ってきました。


『柳宗悦と日本民藝館』

何年かぶりに日本民藝館に行ってきました。

ここは来る度に、その良さがわかるようになってきる気がします。

所謂アカデミックな造形とは違うけれど、ものとしての説得力などきちんと成立させている。

明らかに素人のそれとは違う職人の仕事。

それが人の手で使い込まれ、時間を潜りぬけている。

ものとして熟成しているとでもいうのでしょうか。

人の作為や時代の空気なども、時間とともに脱落している。

これが民藝だなあと。

あと、作っているものから、ある種の「快」の感覚のようなものを感じる。

楽しんで作っているというのとも違うかも知れないけれど、ある種の心地良さのようなものを感じながら、あるいは感じてもらえるような何かがあるなあと。

単にお洒落さや美しさというのではなく、日常で使い続けるための飽きののなさ、心地良さが大前提になってるなあと。


それって、人間社会が工業化される前には当たり前にあったもので、そうしたものに心惹かれる自分の生きている時代というのは、そうしたものが不足している時代に生きているのかも。


河井寛次郎や濱田庄司は、それを踏まえたうえで、更なる何かに到達している。なんだかの物語を五感で感じるみたいな。

まあ、この2人は個人的に特に好みということもあるとは思いますが。

やはり、何人もの目利きによるサロン的なコミュニティというのが、こうした作品群のペースにあるのだろうとも感じました。


西館へ

重厚感もありつつも、不思議に威圧感のない軽みもある

柳宗悦の書斎のある西館。

柳宗理の20歳から暮らしていた部屋

鉄製の煖炉みたいなものがあったのですが、後のヤカンなんかの形状に近い。


肌の浅黒いスキンヘッドの外国人のおじさんが、建物に入る時に頭を下げて入っていました。

多分、お寺か何かと勘違いしていたようでした。


なかなか充実した美術館周りとなった1日でした。

いいなと思ったら応援しよう!