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【探究学習】アメ横が「多国籍タウン」になっていく理由について

Facebookのタイムラインに、ある投稿が流れてきました。
「空き物件に殺到する外国人、アメ横で進む静かな変化」。
上野のアメ横で、老舗の鮮魚店が減っている。飲食店およそ50店舗のうち35店舗、実に7割が外国人経営になっている、という内容でした。
投稿にはちょっと気になる書き方もありました。過去の事件を引き合いに出して、国籍全体の話に接続してしまう飛躍のようなものです。個別の犯罪と、国籍という大きな括りを結びつけてしまうのは、さすがに乱暴だなと思いました(自戒を込めて)。
ただ、それとは別に、投稿の根っこにある「かつてあった風景がなくなる寂しさ」自体は、よく分かる感情でした。自分もアメ横にはよく行きます。「確かに、とも思うが、寂しさも感じる」——この両方が同時に本音として存在している感覚、皆さんにも身に覚えがあるのではないでしょうか。

報道をいくつか当たってみると、こんな輪郭が見えてきました。
テレビ朝日の取材では、アメ横約400店舗のうち飲食店は約50店舗、その7割・35店舗が外国人経営。鮮魚店は10年前の30店舗から、現在は5店舗にまで減っているそうです。コロナ禍で一気に廃業が進んだとのこと。
国籍としては中国系が最も目立ち、串串香のような本格中華に加えて、ケバブ、韓国料理、タイ、トルコ系の屋台料理店が軒を連ねています。日刊SPA!の取材では、地元不動産業者の話として、アメ横だけに限れば6〜7割が外国人経営という数字も出ていました。
物件代についてはあまり網羅的なデータが見つかりませんでしたが、参考までに1階店舗で家賃10万円前後という実例もありました。都内の相場からすると、決して法外な数字ではありません。

ここでふと疑問が浮かびました。空いた物件がそんなに儲かる立地なら、大手のチェーン店がこぞって入ってきそうなものです。でも、アメ横にコンビニチェーンやドラッグストアが雨後の筍のように増えている、という話は聞きません。
理由を辿っていくと、アメ横の生い立ちそのものに行き着きました。
アメ横は戦後の闇市が起源です。地元有力者が「近藤マーケット」として無法地帯を整理し、そこから発展してきました。つまり最初から、権利者が細かく入り乱れる形で商店街ができている。500mの間に約400店舗という密度は、1店舗あたりの区画が最初から狭小であることを意味します。
大手チェーンが求める広い床面積や搬入動線とは、根本的に相性が悪いわけです。加えて、正規の不動産売買というより「権利」を現金で譲渡するような、独特の商習慣も存在するようでした。大手資本にとっては不透明で入りにくい市場が、機動力のある個人・小規模事業者にとってはむしろ得意な土俵になっている。皮肉な話です。

そういう複雑な権利関係の中で商売するのが得意な人たちが集まってきている面もあるのかもしれません。
中華系のビジネスコミュニティに、同郷・親族を通じた情報網が強いという傾向はあるかもしれません。現金で即決できる資金力、家族経営ゆえの意思決定の速さも、構造的な有利さとしてはあるでしょう。
まあ特定の集団が、たまたまこの環境に適応しやすい条件を持っていたということかもしれません。

戦後の闇市を、自分は知りません。それでも、独特の活気は、歩いているだけで伝わってきます・
串串香だろうがケバブだろうが、屋台っぽい店構えで人が立ち止まって食べている光景そのものに、下町的なエネルギーが宿っている気がするのです。
立ち止まって、値切って、その場で食べる。国籍が変わっても、この「様式」だけは意外と地続きなのかもしれません。
個人的に好きなコースがあります。上野の美術館で静かに絵と対峙して、上野の森を散策して、そこから坂を下ってアメ横の喧騒に飛び込む。この振れ幅こそが、上野という街の懐の深さだと思っています。国立博物館やパンダの動物園と、闇市由来の屋台街が、数百メートルの距離に同居している。他の街には、なかなか真似できない組み合わせです。
「日本らしさが失われる」という嘆きも分かります。でも、闇市→昭和の庶民の台所→令和の多国籍フードタウンという変貌自体が、アメ横がずっと繰り返してきたことでもあります。いろいろなことが静かに着実に変化しているを感じる現在進行形の街なのだと、再認識しました。

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