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【NISAやってみた】株価が上がるって、結局なんなのだろう

NISAを始めて、恥ずかしながら今さら気づいたことがあります。


株価が上がっても、その企業の口座には一円も振り込まれない。


当たり前といえば当たり前なのですが、いざ自分のお金で株を買ってみると、この事実がやけに引っかかりました。証券取引所で株が売買されているとき、動いているのは買い手と売り手のあいだのお金だけです。企業自身は、その瞬間、指をくわえて見ているだけ(というと言い過ぎですが)。


配当も、律儀に出し続けなければいけない義務ではありません。Amazonのように、何年も配当ゼロで走り続けた会社もあります。


だとすると、株価が上がることに、企業にとって一体どんな意味があるのだろう。そんな素朴な疑問から、AIを壁打ち相手に少し深掘りしてみることにしました。


■ 直接お金は入らない、けれど

結論から言うと、株価上昇は企業に直接キャッシュをもたらしません。それでも経営者が株価を気にするのは、間接的なメリットがいくつも積み重なっているからでした。


・将来、少ない希薄化で資金調達できる(株価が高いほど、少ない株数で同じ金額を集められる)

・株式交換によるM&Aで、株価そのものを"買収通貨"として使える

・ストックオプションやRSUで、現金を使わずに優秀な人材を惹きつけられる

・時価総額の高さが、銀行融資や社債発行の信用力に影響する

・株価が割安に放置されると、敵対的買収のリスクが高まる


そしてもうひとつ、自分が最初に感じていた「社会的信用」という直感も、決して的外れではありませんでした。取引先や就活生からの見え方に直結する、いわば通信簿のような機能を、上場企業の株価は持っています。


■ ゲームのジョーカーのような通貨

一通り理解が進んだところで、ふと出てきたのが「ゲームに例えると、ジョーカーのような性質を持った不思議な通貨だ」という感覚でした。


貨幣自体、すでに「みんなが価値を信じているから価値がある」という集合的な思い込みの上に成立しています。株価は、そこにもう一段、抽象度を重ねた存在です。


貨幣=「今この瞬間、みんなが価値を信じているもの」

株価=「未来の、まだ起きていない出来事に対する、みんなの信じ方の平均値」


まだ起きていない未来を、今この瞬間の数字に変換して売買している。この「まだないものを、今取引する」という構造こそが、あの不気味さの正体なのだと思います。


思い込みが実体化するタイプの通貨。信じる人が増えれば増えるほど実際に資金調達力や採用力が強化され、信じる人が離れれば本当に資金繰りが苦しくなる。ゲーム内のゴールドのような「実体のあるステータス」というより、「みんなが強いと信じている限り本当に強くなるバフ」に近いのかもしれません。


■ 専門家たちは、こんなにバラバラに見ている

これだけ多くの人が向き合っているシステムなのだから、もっと考察があってもいいのに。そう思って、学問領域ごとの捉え方も聞いてみました。すると、驚くほど視点がバラバラでした。


経済学(効率的市場仮説)は、株価を「世界中に散らばった情報を集約する装置」と見ます。ハイエクが強調した「価格は分散した知識を集約するメカニズムである」という発想の延長線上です。


一方、行動経済学は、その前提そのものを疑います。カーネマンやシラーは、人間を支配する損失回避バイアスや群集心理に注目し、株価を「集団的な感情の伝染」の結果だと捉えます。シラーの「根拠なき熱狂」という言葉は、まさにこの立場を象徴しています。


金融工学は、意味そのものにはあまり関心を持たず、株価を確率過程としてモデル化します。ブラック–ショールズ方程式のように、「なぜ動くか」ではなく「どう動くか」だけを扱う。皮肉なことに、この数式への過信が、LTCM破綻や2008年の金融危機の一因にもなりました。


社会学・人類学になると、また景色が変わります。人類学者カレン・ホーは実際にウォール街に潜入調査を行い、トレーダーたちが市場をほとんど生き物のように擬人化し、「市場が怒っている」といった宗教的な語彙で語る様子を記録しています。証券取引所のベルを鳴らす開場式のような儀式も、機能的には不要なのに残り続けている。


そして民俗学的な視点では、17世紀オランダのチューリップ・バブルのように、株式投機の歴史はしばしば集団ヒステリアの記録として語られます。株価チャートは経済指標というより、現代社会における集合的なトランス状態の記録なのかもしれません。


同じ現象を見ているはずなのに、経済学者は「情報の集約装置」、行動心理学者は「感情の伝染パターン」、金融工学者は「確率過程」、社会学者は「儀式化された制度」と呼ぶ。この振れ幅の大きさこそ、株式市場という現象があまりに多層的で、単一の学問では捉えきれないことの証拠なのだと思います。


■ 見落としていた5つのレイヤー

ここまで考えてみて、自分がこれまで「個別企業のファンダメンタルズ」ばかり見て投資判断をしていたことに気づきました。業績、技術、バリュエーション。もちろん大事な軸ですが、それだけでは説明のつかない値動きが、ポートフォリオの中にいくつもあります。


抜け落ちていたのは、次の5つの視点でした。


1. 経営者・大株主のインセンティブ構造(誰が何で評価され、何を優先しているか)

2. 資本配分の巧拙(利益を配当・自社株買い・M&A・設備投資のどれに振り向けるか)

3. 需給というもう一つの現実(インデックス組み入れや信用取引の玉整理は、企業の実態と無関係に株価を動かす)

4. 市場が企業に何を期待しているかという物語(好決算なのに株価が下がる現象は、ここから説明がつく)

5. 会社法・ガバナンス構造(種類株、持ち合い株、親子上場といった日本企業特有の仕組み)


業績が良いのに株価が動かない銘柄を見るたびに首をかしげていたのですが、その理由の多くは、この5つのどこかに転がっていたのだと思います。


■ 腑に落ちないまま、向き合い続ける

正直、まだ全然、自分の中で納得できたわけではありません。ただ、不可思議でちょっと怖いけれど、同じくらい興味深いとも感じています。


むしろ「完全に腑に落ちた」と言い切れてしまう方が、上っ面だけ理解してわかった気になっている危険信号なのかもしれません。ノーベル経済学賞を取った学者たちが作ったファンドが破綻した例(LTCM)もあるくらい、理屈では説明できるはずなのに、誰も制御しきれていない。この不気味さは、たぶん一生ついて回ります。


貨幣経済や資本主義の根幹にある「信用」という名の虚構を、さらに時間軸まで巻き込んで拡張したような存在。腑に落ちないまま、その不思議さに自覚的でいることが、案外いちばん健全な距離の取り方なのだと思います。

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