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【探究学習】「NISAやってましたよね?」と言われる未来——資産形成が社会保障を変えていく

先日、ネット記事で「資産1億円超える一般人『いつの間にか富裕層』」という記事を読みました。

企業経営者や地主などではなく、普通に会社員として働きながら、持株会や投資信託、NISAなどを長く続け、株価上昇の恩恵も受けた結果、金融資産が1億円を超えた人たちが増えているという内容です。

記事そのものも興味深かったのですが、私がこの記事にたどり着いたきっかけは、SNSで見かけた、

「一億円ぐらいなら淡々とやれば貯まるわな」

という投稿でした。

これを見たとき、なんとも言えない気持ちになりました。

もちろん、長期間きちんと働き、節約し、投資を続けた人が資産を形成すること自体は何も悪いことではありません。

むしろ立派なことだと思います。

ただ、「1億円くらいなら淡々とやれば貯まる」という感覚が、これから社会の「普通」になっていくとしたら、それは少し怖いことなのではないか。

そんなことを考えました。

「貯めた人」と「貯められなかった人」

1億円という金額だけを見ると、

「ものすごく高収入だったのだろう」

と思ってしまいます。

しかし、最近注目されている「いつの間にか富裕層」は少し違います。

長年の持株会や積立投資、確定拠出年金などによって少しずつ金融資産を増やし、そこへ近年の株高や円安などが重なった結果、気づけば資産が大きく膨らんでいた。

つまり、

給与を貯金して1億円作った

というより、

長期間、資産市場に参加し続けた結果として1億円になった

という人たちです。

これは、今後の日本社会を考える上で、とても重要な違いだと思います。

なぜなら、資産を持っている人には、

「資産そのものがお金を生む」

という現象が起こるからです。

100万円を持っている人と5000万円を持っている人では、同じ5%値上がりしても、増える金額は5万円と250万円です。

資産の差が、そのまま次の資産の差を生みます。

そして長い時間が経つほど、その差は大きくなります。

「淡々と投資する」にも条件がある

一方で、「淡々と投資を続ければいい」と言っても、それができるかどうかは本人の意思だけでは決まりません。

毎月一定額を投資するには、まず生活費を払ったあとに余剰資金が必要です。

さらに、

安定した雇用がある。

大きな病気をしない。

長期間失業しない。

子育てや介護によって家計が大きく圧迫されない。

住宅費が重すぎない。

投資を始めるだけの金融知識や心理的余裕がある。

そういった、さまざまな条件が必要になります。

30年間積立投資を続けた人からすれば、

「毎月少しずつ積み立てただけ」

なのかもしれません。

しかし、その「少し」を30年間出せなかった人もいます。

それは必ずしも浪費したからではありません。

人生には病気も失業も介護も離婚もあります。

子どもを育てるために貯金を取り崩すこともあります。

つまり、金融資産の差には本人の努力だけでは説明できない部分がかなりあります。


NISAという、とても優れた制度

私は最近NISAを始めたこともあり、NISA自体については非常に便利な制度だと思っています。

投資利益が非課税になるわけですから、使えるのであれば使った方がいい。

国が個人の長期的な資産形成を後押しすることも、基本的には悪いことではありません。

日本人の金融資産が現金・預金に偏ってきたことを考えれば、株式や投資信託へ資金を振り向ける政策にも一定の合理性があります。

しかし、ここで一つ引っかかることがあります。

NISAが広く普及していった先で、

「老後に備えて自分で資産形成すること」が社会の前提になってしまわないか

ということです。

「年金だけでは足りない。でもNISAがありましたよね」

これまでの日本社会では、

働く。

税金や社会保険料を払う。

そして高齢になったら、年金や医療、介護などによって社会から支えられる。

という考え方が大きな柱になっていました。

もちろん現在でも、その仕組み自体がなくなったわけではありません。

しかし最近は、そこへ、

「公的保障に加えて、自分でも資産を作ってください」

という考え方が強く加わっています。

NISA。

iDeCo。

企業型確定拠出年金。

長期・積立・分散投資。

どれも、それ自体は合理的です。

ところが、これらが社会全体に普及すると、別の論理が生まれる可能性があります。

たとえば将来、

「年金だけでは十分な老後生活を送れません」

という問題が出てきたとします。

そのとき、

「国は以前からNISAを用意していました」

「長期投資を勧めていました」

「実際に会社員でも数千万円、1億円を作った人がいます」

という話が出てきたらどうでしょう。

すると、

社会保障をどう充実させるか

という問題が、

なぜ自分で準備してこなかったのか

という問題へ、少しずつ置き換わってしまう可能性があります。

ここに私は少し嫌な感じがします。

NISAが「社会保障を減らすためのアリバイ」にならないか

もちろん、

「政府は将来社会保障を削るためにNISAを作った」

などと考える必要はないでしょう。

それは話を単純化しすぎています。

NISAには資産形成を促すという明確なメリットがありますし、公的年金や医療制度も依然として存在しています。

ただし、制度を作ったときの目的とは別に、

結果として、その制度が社会保障縮小を正当化する材料になる

ということはあり得ます。

「老後資金は各自で準備できるでしょう」

「医療や介護の自己負担が多少増えても、金融資産がありますよね」

「若いうちからNISAを利用しておけばよかったのでは」

そんな考え方が社会に浸透していけば、国が担ってきたリスクの一部を、個人へ移すことが容易になります。

つまり、

「国が保障する社会」から「国も保障するけれど、自分でも市場で備えてくださいという社会」へ

少しずつ重心が移っていく。

この変化は、すでに始まっているようにも感じます。

日本はアメリカ型社会へ向かうのか

ここから連想したのが、アメリカ社会です。

もちろん、日本がそのままアメリカになるわけではありません。

日本には国民皆保険も公的年金もあります。

それでも、

「どれくらい金融資産を持っているかによって、人生後半の安心度が大きく変わる社会」

という意味では、徐々にアメリカ型へ近づく可能性があります。

将来の日本では、

公的年金がある。

医療保険もある。

最低限の社会保障も存在する。

しかし、それだけでは十分ではなく、

快適に老後を送るには数千万円の金融資産を持っていることが事実上の前提になる。

そんな社会です。

これは「社会保障がなくなる」という形ではない分、変化が見えにくい。

だからこそ厄介です。

「普通の人」の基準を誰が決めるのか

そして今回、一番気になったのはここです。

私は「1億円が本当に平均になる」と思っているわけではありません。

むしろ怖いのは、

1億円近い金融資産を持っている人の感覚が、社会における「普通の人」の感覚として採用されてしまうこと

です。

政治家。

官僚。

企業経営者。

大学教授。

金融関係者。

メディアで発言する人。

こうした社会制度について語る立場にいる人たちの周囲で、

「NISAくらいやっている」

「老後資産は数千万円ある」

「住宅も所有している」

「子どもには大学教育を受けさせる」

という生活が当たり前になったらどうでしょう。

統計上は少数派だったとしても、

政策を決める人たちの頭の中では、それが平均的な日本人になる

可能性があります。

すると、

金融資産が100万円しかない50代。

そもそも投資する余裕がなかった人。

非正規雇用が長かった人。

子育てや介護で貯蓄を使った人。

そういう人たちが、

「標準的な国民」ではなく、

「何らかの事情を抱えた例外」

として扱われるようになる。

これはかなり大きな変化です。

「貧しい人をどう支えるか」から「なぜ準備しなかったのか」へ

社会保障というのは、本来、

人生には自分ではコントロールできないことが起こる

という前提から作られた仕組みです。

病気になる。

仕事を失う。

障害を負う。

家族を介護する。

長生きする。

そうしたリスクを個人だけで抱えるのではなく、社会全体で分散する。

それが社会保障の大きな役割だったはずです。

しかし資産形成が生活保障の中心になると、

考え方が反転する可能性があります。

「資産を作れなかった人も含めてどう保障するか」

ではなく、

「普通なら資産を作っている。作れなかった人をどう救済するか」

になる。

似ているようで、これはかなり違います。

後者にはどうしても、

自己責任

という考え方が入り込みやすいからです。


NISAを使うことと、NISA社会を支持することは別

ここまで考えて、少し面白い結論にたどり着きました。

私はこれからもNISAを利用するつもりです。

可能な範囲で投資を続け、老後のための資産を作っていきたい。

それは個人として合理的だからです。

しかし同時に、

「NISAを利用してこなかった人は自己責任だ」という社会にはなってほしくない

とも思います。

この二つは矛盾しません。

自分は制度を利用する。

でも、制度を利用できなかった人まで守る仕組みは必要だと考える。

むしろ社会保障というのは、そういうものなのではないでしょうか。

資産格差社会という、新しい日本

これから日本で拡大していくのは、単なる所得格差だけではないのかもしれません。

資産格差です。

同じ年収500万円でも、

金融資産5000万円を持っている人と、

貯蓄がほとんどない人では、

人生の自由度はまったく違います。

前者は資産から利益を得られる。

仕事を辞める選択肢もある。

病気になっても耐えられる。

住宅や介護についても選択肢が多い。

後者は働き続けなければ生活できない。

つまりこれからは、

「いくら稼いでいるか」だけでなく、「すでにいくら持っているか」が人生を大きく左右する社会

になっていくのかもしれません。

「一億円ぐらいなら淡々とやれば貯まる」

何気ない一言です。

しかし、そこにはこれからの日本社会を考える上で、かなり大きな問題が潜んでいるように感じます。

1億円を持っている人が増えること自体が問題なのではありません。

問題なのは、

そういう人たちの生活感覚が、いつの間にか「普通の日本人」の基準になってしまうこと。

そして、その「普通」から外れた人に対して、

「どうして準備してこなかったのですか」

と社会が問い始めることです。

NISAを始めたことで、私は株価や企業を見るようになりました。

でも同時に、投資を知れば知るほど、

「投資できる」ということ自体が、一つの社会的な条件なのだ

とも感じるようになりました。

資産形成を勧めることと、社会保障を維持すること。

この二つを対立させずに両立できるのか。

これからの日本にとって、かなり重要な問いなのだと思います。

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