創価スイッチが入るとき
──偽ツインレイの兄と、もうひとつの扉
偽ツインレイと出会ったのは、
彼の兄が亡くなった翌年のことだった。
彼と出会う前、私はすでにその“死”を聞いていた。
崇(たかし)という共通の知人から、ぽつりと聞かされた言葉。
名前も知らない、顔も知らない人の死だったのに、
なぜか胸がざわついて、悲しくなったのを今でも覚えている。
彼の兄は、20代で糖尿病を発症し、
その後、精神疾患を患った。
そして30歳を過ぎたころ、帰らぬ人となった。
兄の死は、彼に深い傷を残した。
両親はすでに離婚しており、
母親は遠く大阪へ去り、
父親は再婚。
義母と義兄弟との複雑な同居生活が始まっていた。
彼はその心の空白を、
「信仰」という名の箱で埋めたのかもしれない。
そう、彼は創価学会に入信した。
普段はおとなしく、静かな彼。
でも「創価スイッチ」が入ると別人になる。
目がキラキラして、多弁になり、
熱量を帯びた声で語り続ける。
「正しさ」
「幸せとは何か」
「世界平和のために」
──すべては立派だった。言葉の上では。
でもその姿には、
どこか“借りもの”のエネルギーを感じていた。
本当は…
愛されなかった子ども時代。
居場所がなかった家庭。
兄を救えなかった後悔。
どこにも向けられなかった怒りや悲しみ。
それらをすべて飲み込んで、
「正しさ」だけを身にまとったのだと思う。
私は、彼の話を黙って聞いた。
否定も肯定もせず、
ただ「そうなんだね」と。
でも、心のどこかで思っていた。
あなた自身は、どこにいるの?
創価スイッチが入るとき、
そこにいるのは“彼”ではなく、
彼の「痛み」が喋っているようだった。
それが分かっていたからこそ、
私はそれ以上、踏み込まなかった。
偽ツインレイと名付けたのは、
彼を軽んじたいからではなく、
「本当の彼」と「何かに飲まれた彼」を
見極める必要があったから。
彼の中には、確かに純粋さがあった。
でもそれを守る術を、彼は知らなかった。
洗脳された人を責めることはできない。
でもその言動に巻き込まれ続けることも、
もう私にはできなかった。
