「注意喚起を徹底」で不正は止まるのか——抜け駆けを防ぐのは忠誠心か仕組みか
コンビニの従業員が、人気カードゲームの拡張パックを販売開始前にフリマアプリへ出品していた——そんな件が報じられた。会社側のコメントは「正しい販売ルールについて店舗への注意喚起を継続」「今後も注意喚起を引き続き徹底」というものだった。
この幕引きに、どこか物足りなさを感じる。どれだけ注意喚起を工夫しても、それを境に同種の不正がぴたりと止むとは考えにくい。今回はたまたま名札の写った写真で足がついたが、もっと巧妙にやる者は潜在的にいるはずだ。問題の根はもっと深いところ——「組織の中で抜け駆けをすると儲かる形が存在する限り、これはついてまわる」という構造にある。
■抜け駆けはどこにでも生じる
複数の人間が集まって一つの利益を追求するとき、その中の誰かが「自分だけ抜け駆けして得をする」余地は、程度の差こそあれ必ず生まれる。
創業メンバー3人のベンチャーを考えてみる。ある製品を世に出そうとしている最中に、1人がこっそり他社へアイデアを売って懐を肥やす——こうした裏切りは、共同で利益を追う以上、原理的にはいつでも起こりうる。「発表日までは外に漏らすな」といった取り決めは、多くの場合、契約書でがちがちに縛られてはいない。口約束か、明文化すらされない暗黙の了解で、いわばザルだ。
それでもベンチャーが回るのは、別の力が働いているからだ。
■少人数は「忠誠心とリスク」で持っている
3人しかいなければ、情報が漏れたとき「誰が漏らしたか」の容疑は自分に集中する。発覚のリスクが個人にくっきり跳ね返ってくる。加えて、創業メンバーであることの熱量、仲間への忠誠心、事業への思い入れ——こうした内面的なものが、契約のザルさを埋めて不正を抑え込んでいる。
つまり小さな組織は、仕組みではなく人の心と相互監視で不正を防いでいる。ルールがゆるくても成立するのは、人数の少なさがそれを許すからだ。
■末端まで膨大な人数では、心に頼れない
ところがカードの小売となると話がまるで変わる。メーカーから卸、そして無数の店舗の末端の店員に至るまで、関係者は膨大な数にのぼる。ここで忠誠心や思い入れに不正防止を期待するのは無理がある。顔も知らない全国の店員一人ひとりに、創業メンバー並みの熱量を求めることはできない。
そこへ「1人が抜け駆けすれば大きな利益が得られ、しかも発覚しにくい」手口が存在してしまえば、この種の事象は出てくるべくして出てくる。個人の資質の問題ではなく、割に合う抜け駆けが用意されている構造の問題だ。そして、それを防ごうと仕組みを改めるには、それなりのコストがかかる。人が増えるほど、抜け駆けを防ぐコストは跳ね上がっていく。
■「人単位で完結させない」という方向
ではどうするか。人間の脳はブラックボックスだ。どんな悪だくみを抱えていても、その企みそのものを咎めることはできないし、脳内を検査することもできない。内面に踏み込めない以上、内面に期待する「注意喚起」には限界がある。
有効な方向の一つは、不正が「人」単位で完結しないようにすることだ。コストに見合うかはさておき、たとえば「対象商品の在庫に触れるときは必ず2人以上の店員が関与する」と決めれば、不正のハードルは劇的に上がる。1人では完結できないなら、誰かに「一緒にやらないか」と持ちかけねばならず、その打診自体が大きなリスクになる。断られれば即座に告発されうるからだ。個人の良心に頼るのをやめ、単独では成立しない構造そのもので抑止する発想である。
■不正グループにも、抜け駆けが宿る
もっとも、2人以上を必須にしても組織ぐるみの共謀の余地は残る。だがここに面白い入れ子がある。共謀は、実は非常にハードルが高い。
なぜなら、共犯者を増やすほど、先ほどの「ベンチャーと小売」の構造が、今度は不正グループそのものに跳ね返ってくるからだ。不正を働くグループもまた、「不正で得た利益を追求する一つの組織」にほかならない。ならばそのグループの内部にも、抜け駆けの誘惑が生まれる。仲間を裏切って自分だけ告発側に回り、責任を免れたり見返りを得たりするほうが得な場面が出てくる。共犯者が増えるほど裏切り者の現れる確率は上がり、口の堅さを保証するコストも膨らむ。
大人数の小売ネットワークで抜け駆けを防ぐのが難しいのと同じ理由で、大人数の共謀を維持するのも難しい。不正を防ぐ側を苦しめた構造が、そっくりそのまま不正をたくらむ側をも苦しめる。「1人では完結しない仕組み」が効くのは、単に手間が増えるからではなく、この抜け駆けの論理を不正者自身に背負わせるからだ。
不正対策には、二つの方向がある。一つは人の内面に働きかける方向——教育や注意喚起で、そこには自ずと限界がある。もう一つは、不正が一人で完結しない構造をつくる方向だ。どこまでコストをかけられるかは商材や現場によるだろう。それでも「徹底します」で閉じてしまう前に、防ごうとしている問題が心の問題なのか仕組みの問題なのかを見極めることが、堂々巡りを抜ける最初の一歩になるだろう。
