家賃1万6千円の家に住んだ私の本当にお金がなかった時の話
私の「お金の考え方」は、どうやら大学の時に、家賃1万6千円の家に住んだことで確立されたような気がする。
人生で今のところ最もお金がなかった時期に、人生で初めて物理的な自由を手に入れた、六畳一間のあの家。
その話をしてから、この夏の松本でのボランティアの話をしたい。
進路選択
10代で家庭は不穏な感じで、
私はギリギリまで自力で大学に行く必要があった。
16、17歳の私は、親にお金を使わせたくなかった。
お金を使うことで、私を育てたという達成感を得て欲しくなかった。
私は一人で育ってやる、と思っていた。
今の自分から見ると、だいぶこじらせた反抗期に思えるが、
そうなると、その反抗期は形を変えて未だに続いているということになるので恐ろしい。
あまり考えないことにする。
結果、高校生の私はアルバイトをかけもちし(仕事のかけもち癖はこの時からだ)、
最低額で通える塾に通い、
夜間定時制高校と通信制高校に通い単位を拾い集め、
せんせーにも拾われ、
それとなく一命を取り留めていた。
高校在学中は、進路が紆余曲折していた。
明らかに実益を生まないであろう文学部国文学科に行くなんて、進路選択としてどうかしていると思っていた。
高校の職員室でキレて泣きながら帰った話とかもあるが、それはまあ一旦脇に置いておく。
最終的に、山梨の田舎オブ田舎にある、
「公立であることだけが誇り」
みたいな文学部国文学科に、どさくさに紛れて入学を果たす。
本当に毎日眠かったが身体が丈夫で助かった。
田舎遺伝子パワーありがとう両親。
山梨一人暮らし
そして、
山梨。
家賃が安い。
学費も安い。
結果的に、一人暮らしの大学生としては、
日本最安値レベルで大卒資格を得たと思う。
住環境は、今思えばネタの宝庫だった。
入学時、家賃は1万8千円だった。
風呂トイレ共同、女の人限定。
外見ボロボロ、壁激うす。
光熱費使った分だけ、水道代無料。
簡易キッチンありシンクあり。
大学徒歩5分、図書館徒歩2分。
大家さんいい人。
最高。迷う選択肢なし。
即決。

家電は冷蔵庫と電子レンジ、ドライヤー、ラジオだけ買って持って行った。
あとは布団と一部漫画と太宰治全集、校本芭蕉全集(バイブルです)。
ネットなしテレビなし。
昭和感満載である。



これでいよいよ自由だ。
壁が薄すぎて超絶寒い
最初の年は冬が寒すぎた。
角部屋だったのもよくなかった。
とにかく寒い。
ほぼ富士山の一部、みたいな立地なのに、暖房器具がない。
夜シチューを作ってガスコンロの上に置いたままにしておくと、
翌朝ガリガリに凍っていて笑った。
ほぼ屋外。
キャンプか?
寒すぎてドライヤーであたたまっていた。
なんならドライヤーのことを唯一の暖房器具だと思っていた。
山梨は寒いことを知る。
長野も寒かったけど。
ほぼ図書館に居た。
お風呂あがりでも図書館に行った。
家が寒すぎるからだ。
おかげで日本国語大辞典を読みまくる青春となる。

自宅から徒歩10分で星空も堪能。
そんな暮らしぶりを見ていた4年生の先輩が卒業するときに、
こぞって電化製品を寄贈してくれた。
神々と呼ばせていただきたい。
そして2年目の私の六畳一間は文明開化が進んだ。
テレビ、扇風機、こたつ、電気ケトル、タコ焼き機、石油ファンヒーターまで加わり、いよいよ快適になった。
まだ寒い4月、石油ファンヒーターのスイッチを入れたときの感動は、今でも忘れられない。
全身が溶けるかのような、あのまろやかなあたたかさ。
これが、、、神々のチカラ。

DVDプレーヤーまでもらって
もう無敵だと思った
そして2年生になると家賃が1万6千円になった。
2千円引き。
入居者が少なすぎたため値下げされたらしい。
わかる、寒いもん。
そんな2年目の夏、事件は起きる。
床が黒い?
試験期間中のお昼休みに帰宅して玄関のドアを開けると、
何やら床が黒い。
あー、全然掃除してないからホコリたまってるんだなー、
漢文の試験終わったら、掃除だな掃除。
などと思いながらホコリを確認すると、ホコリが動いている。
ん?なんかおかしくないか?
ホコリの動き方じゃないんだが???????
接近してみる。
なんと、そこに居たのは大量のアリである。
全長3ミリ程度の小さなアリがうじゃうじゃいた。
1㎡の玄関が真っ黒になるくらいの量のアリがいた。
私、かなり虫への耐性がある方だが、
これは一度落ち着こうと思って、玄関のドアを静かに閉めた。
結果的に、床板がアリに食い破られていたことが大家さんの調べで発覚する。
その日は試験後に帰宅し真顔でアリを掃除機で吸い、
食い破られたらしい穴を発見、
セロテープで留めて寝た。
あの夜の恐怖は空前絶後の恐怖だった。
考えてもみてほしい。
寝ている間に全身アリだらけになる可能性があることを。
まあ寝たけどね。
セロテープを信じて寝たね。
そんな家だった。

アーティスティックに撮れないか、
当時苦心して撮影。
西陽がまぶしい。
近隣住民
隣の部屋の同級生は、小学校の先生を目指しているらしかったが、
ほぼ家に居なかった。
バイト&サークルで大学を謳歌していた。
深夜にバイトから帰ってくるタイミングで偶然出会って挨拶することはあったが、なぜか深夜でも忙しそうに家を飛び出していく。
学校内で見かけても常に走っていて、高速ですれ違いつつ挨拶をしていた。
隣の隣には、これまた同級生が住んでいた。
結果的にこの人が、一緒に何度か海外旅行へ行くレベルで仲良くなる。
初対面、ほぼ出会いがしらで二人三脚をするという意味不明なエピソードもあるのでいつか書きたい。
一緒に都内に出掛けるときはだいたい寝坊するので、朝起こしに行っていた。
彼女は卒業までテレビを持たなかったので、日曜アニメシャワータイムは我が家で毎週アニメ鑑賞会をしていた(進撃の巨人を2人で毎週リアタイしていた)。
3軒となりにも、同級生が住んでいた。
同級生に大人気。
合唱団の団長で、これまたほぼ家に居なかった。
合唱強豪大学だった。
ひょっとして、家にほぼいない人の家だった?
やはり外食は外交
食べ物もなかなかに適当だった。
基本的にキャベツと白米と豆腐と卵を食べていた。
貧乏学生はカップラーメンじゃないの?などと言われるが、
それは貧乏学生をやったことのない人のご意見である。
カップラーメンなど高級品なのだ。
カップラーメンよりキャベツ1玉買った方が安くておなかいっぱいになる。
動物性たんぱく質は、週に1度ある部活飲みで摂取した。
最寄りのマックまで徒歩40分くらいかかったので、ファストフードともほぼ無縁だった。
田舎は自炊に限る。

たこ焼きしとけばオッケーってことに気付いた。
タコは高いので大抵ソーセージ。
たまにタコ。
この時から外食は外交だったな。
ほぼ自炊。
仕事と授業
そして高校時代からの仕事のかけもち癖はそのままに、
コールセンターで派遣社員をやりながら近所の歯医者でバイトもした。
長期休みは、家のブレーカーを落として住み込みのバイトを選んで行った。
1日1万円、30連勤で30万円、2ヶ月ある夏休みの1ヶ月フルで働いて、残りの1ヶ月は安い切符を探しては北海道をうろうろしていた。

年末年始は実家に帰らなくていい言い訳のために、神社でバイトをした。
家以上に寒かった(雑巾を絞ると、絞った瞬間に水が凍りながら落ちていく)が、結果的に神社の仕事が性に合いすぎて就職を打診されるレベルまでみなさんと打ち解けた。

どんなにゆっくり動いても、ゆっくり動いた分だけありがたがられるという
特異な職場だった。
動きの遅い私にはぴったりだったのだ。
スキマ時間で授業に出た。
小中高は学校をサボりまくったが、大学の授業をサボったのは、
どうしても京都の時代まつりに行きたかった日だけだ。
ちゃんと出席したのは、ちゃんと毎日面白かったからだ。
出なくてもいい先生の授業に顔を出し、挙げ句の果てには出なくてもいいゼミの授業にもちゃっかり出ていた。
4年目ともなると、全く学部と関係ないピアノやらデッサンやらの授業まで取って、メンバー的に浮きまくりながらやりたいことは全部やった。

ちなみに約10年後、
この絵の実物をベルギーで見るという
壮大な伏線回収を果たす。
お金と感情
私はこの頃、お金がなかった。でも、お金がないことを不自由だとは思っていなかった。
肉体労働である程度錬金できた、ということは大いに影響しているとは思う。
しかし、それでも。
欲しいものは、常に「感情」だと気づいていた。
お金が無いと手に入らない感情のためにお金を使う感じ。
それを身をもって知ったのは、たぶんあの、生活のベースにしていた家賃一万六千円の家での暮らしが、最高に楽しかったからだ。
誰と比べてどうすることではなくて、
自分が持っている物で、こんな感情まで手に入ってしまうのか、というシンプルな驚きが、
今でも活きている。

長くなっちゃったので中断。
次回、
社会人が欲しい感情を完全に見失った話からこの夏の松本ボランティアの話をします。
