寺子屋の日々 ⑦
古典を学ぶ意味は何かー
という問いが、ある学校の休み明けテストの最後に出されていたという。
生徒は
「そんなのわかってたら、こんな成績とってないっていうの。」
と、言いながら、
「先生なら、何と答えますか。」
と、聞いてきた。
ー あまり考えたことはないからうまくは言えないけれど、今、子どもたちが言葉を失いつつあると言われているし、私も、そう感じているけれど、多分、私たちの親世代からしたら、私たちもそうだったのだと思う。そして、多分、古典の世界の人々から見たら、現代人は、驚くほど言葉、表現力を失っているはず。
古典を勉強して、その時代、時代の人が、皆が共通で知っている和歌や文献、情景などがあって、それを一つの言葉で表現したら、相手に伝わり、伝わる前提で歌が詠まれたり、話が進んだり、表現されたりすることに気づいて、私は驚いた。古典を勉強することは、そんなことに触れて、その表現力の深さを知り、その上で、自分たちを振り返って考える、そんな機会だと私は捉えている。だから、古典を学んで自分たちの考えや視点を変えたり深めたりするため?
と、伝えた。
「温故知新的な?」
との返事が、、、
ーまぁ、そうね。
と、答えると
「なるほど、そうか、そういうことか」
と、納得いただけたようだったけれど、、、、笑
その後スタッフと話をしていて・・・
勉強する意味がわかったら、本当に成績は上がるのか?
という疑問がわいてきた。笑
なぜ勉強をするのか
何かを学ぶ意味を問う子どもも
それに真面目に答えようとする大人も多いけれどー
世の中で、する意味があるかないかが
する前からわかることはそんなに多くないけれど
世の中で長い間営まれていることに
する意味のないものはあまりなく
してみて無駄になったように見えることも、多分、経験としては残るから、無駄ではないし
その意味を見つけるために、とりあえず取り掛かってみることをしない人の多くは、きっと意味がわかっても
「僕には(私には)、それは必要ない」などと言い出して結局、面倒なことをしたくないだけだと私は思う。
ただ、意味がわからないことを言い訳にしているのだと思う。
私は子どもたちに
なぜ勉強をしなければいけないのかと、尋ねられたら
なぜなのかを自分なりに考えて、自分で意味を見つけるためではないかー
と、応えることにしている。
私が勉強をしてきた、そしてこれからもする意味、理由は、多分
他の人の思っている意味、理由と同じとは限らないし
子どもたちがどんなことに意味を感じるかはわからないー。
「自分で考えよう」としか言えないと思っている。
そして、こんな生徒の1つの質問に思いを巡らせながらー
私自身は
古典は、個人的には苦手で、成績も悪かったけれど
幼い頃、家にあった「天上の虹」というマンガで額田王と大海人皇子のやりとりの和歌と中大兄皇子との三角関係(?)などを知って夢中になっていたことがあり、中3のときの古典の先生がその路線をいくようなとてもロマンティックな和歌の説明をされる授業をしてくれたので一瞬好きだったこともあったことをふと思い出した。
何に興味を持つかも、意味を見出すかも人それぞれでー
何事も前向きに考えてみる習慣を日頃からつけていれば、そのテストの問い
とりあえず何も書けないってことはなかったのではないかー
と思った。
御上先生のように日頃
ー考えて
と、子どもたちに声をかけること大切だなと改めて思ったりもした。
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