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情報参謀の思考 17:情報を集めることで安心する病

三つめの罠は、最も広く見られ、最も自覚されにくい。

情報を集めること自体が目的化する現象である。筆者自身もよく陥る。

ある事業提案が経営会議に上がることになった。担当者は準備に数か月を費やす。市場データを集め、競合を調べ、外部レポートを購入し、社内の関連資料を整理する。完成した資料は、付属資料まで含めれば数百ページに及んだ。

会議の当日、役員たちは事前に資料を読み込む時間が取れなかった。当日も、すべてに目を通す時間はない。結局、議論は冒頭の要約ページだけを見て進み、本質的な論点に踏み込めないまま、もう少し検討しようという結論になった。

担当者は徒労感を覚える。あれだけ調べたのに、と。

だが問題は、調べた量ではない。判断に必要な論点を絞り込む作業を、していなかったことにある。

なぜこうなるのか。理由は二つある。

一つは、情報を集めることには終わりがなく、しかも進捗が目に見えることだ。資料は日々厚くなり、作業した実感が得られる。一方、論点を絞り込む作業は、外から見れば何も進んでいないように映る。組織のなかで、目に見える作業のほうが評価されやすいという構造がある。

もう一つは、責任の問題だ。網羅的に調べておけば、後で問題が起きたときに、調べていなかったとは言われない。逆に論点を絞れば、絞る判断をした責任が発生する。防御的に振る舞う動機が、組織のなかには常にある。


この傾向に対処する方法

この病に対する処方箋は、一つしかない。

集める前に、何を判断するのかを決めることだ。以前述べた情報分解ツリーは、まさにこのためにある。最上位に意思決定を置き、そこから必要な情報へと降ろしていけば、集めるべきものは自然に絞られる。

そして報告の場では、資料の厚さではなく、判断に効く論点をいくつ提示できたかで評価する。この評価軸を組織に埋め込まないかぎり、分厚い資料は作られ続ける。

なお、この罠には現代的な変化も生まれている。

生成AIによって、情報の収集と要約はさらに容易になった。かつて数週間を要した作業が短時間で終わる。だが、集めることが楽になったからといって、考えることが楽になったわけではない。

むしろ、集める作業の負荷が下がったぶん、集めた気になって思考を止める危険が高まっている、という罠だ。

(続く)

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