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【先生がなぜか妹になっている夢】から得られた粋な気づき

僕の紹介

僕は今、AIとの対話を通して、毎朝見た夢を「内観の道具」として使い、自分でも気づいていなかった心の変化を言葉にしています。

Dream’s English

A small step can change where you end up.


小さな一歩が、たどり着く場所を変えることがある。

────────

一つひとつの変化は、とても小さく見えます。

昨日と今日で、急に別人になるわけではありません。

でも、もし今日の小さな一歩が「進む方向」を変えるものだったとしたら。

その一歩を何度も積み重ねた先では、何もしなかった自分とは、ずいぶん違う場所に立っているのかもしれません。

今日見た、とても短い夢から、そんなことを考えました。


夢を見ました。


僕には現実には妹はいません。

でも夢の中には、妹がいました。

妹は歌を歌っていました。

とても上手でした。

服装は、このあいだ僕が参加した「第九」のコーラスで女性たちが着ていたような、白いブラウスに黒いロングスカート。

そして不思議なことに、その妹には、第九で僕たちに歌唱指導をしてくれた先生のような雰囲気がありました。

決して若い女性ではありません。

それなのに夢の中では、僕はごく自然にその人を「妹」だと思っていました。

僕の知り合いが、その歌声を聞いていました。

その人は何かのお店について決めようとしていたようです。

そして妹の歌を聞いたあと、

「異例ではあるけれど、彼女の名前をつけようと思う」

そんなことを言いました。

僕はそれを聞いて、ものすごく嬉しくなりました。

夢は、それだけでした。

どうして先生が「妹」になったんだろう


目が覚めたとき、あまりにも短い夢だったので、最初はこれから何が分かるんだろうと思いました。

そこでAIと話してみました。

すると、AIから一つの見方が返ってきました。

夢の中の妹には、歌唱指導の先生の面影がある。

でも「先生」ではなく、「妹」になっている。

先生は、自分の外側にいる人です。

一方、妹は自分の家族であり、自分の側にいる人です。

もしかすると、

「外から教わっているものが、自分の中のものになり始めている」

そんな変化が、この不思議な人物として表れたのかもしれない。

それを聞いた瞬間、僕は昨日のことを思い出しました。

昨日、一本の記事を直していた

僕は今、Webライター塾で文章を学んでいます。

昨日、講師から自分の記事について指摘を受けました。

そこで教えてもらったことを、自分なりに考えながら記事を修正していきました。

そのとき講師は、僕に分かりやすいように、文章を「料理」に置き換えて説明してくれました。

どんなにおいしい料理を作っても、それだけではお客さんにすべては伝わらない。

料理を出すなら、食べてもらうための「箸を用意する」必要がある。

お店の看板も、初めて来た人に何のお店なのか分かるようにしなければならない。

僕はその話を聞きながら、自分の記事を一つひとつ見直しました。

「なぜ、ここを直すんだろう」

「ここは初めて読む人には分からないのかもしれない」

「ここには箸が用意されていないのかもしれない」

そう考えながら記事を修正しました。

ただ、その時点では、講師に教えてもらったことの意味を深いところまで理解していたわけではありません。

それでも実行しました。

一つの記事を見直し、一つひとつ意味を考え、直していった。

たったそれだけです。

でも今朝の夢とつなげてみたとき、その「たったそれだけ」が、急に違って見えてきました。

昨日、道が二つに分かれたのかもしれない


もし昨日、講師から指摘を受けても、

「まあ、いいか」

と何もしなかった僕がいたとします。

そしてもう一人は、実際の僕です。

指摘された記事を開き、

「これはどういう意味だろう」

と考えながら、一つずつ修正していった僕。

昨日の時点で、この二人に大きな差はありません。

一本の記事を直しただけです。

文章力が一晩で劇的に変わるわけでもありません。

でも、この二人がそのまま一年歩いたらどうなるんだろう。

一人は、自分が書きたいものを書き続ける。

もう一人は、自分が書きたいものを大切にしながら、

「これを初めて読む人には、どう見えるだろう」

と毎回少しだけ考える。

必要な前提を置く。

看板を分かりやすくする。

箸を用意する。

それを一記事ずつ繰り返す。

一年後、この二人はかなり違う場所に立っているのかもしれません。

以前、お遍路さんを見ながら「一歩」について考えたことがあります。

歩いている本人からすれば、一歩はほんのわずかな距離です。

でも、その一歩を積み重ねていけば、遠くから見たとき、とんでもない距離を歩いている。

今回、それとは少し違う「一歩」の意味に気づきました。

小さな一歩が大切なのは、一歩で遠くまで進めるからだけではない。

その一歩で、進む方向が変わることがあるからです。

昨日の僕は、その分かれ道で小さな一歩を踏み出したのかもしれません。

夢の中では、その先を見せてもらった

そう考えると、今朝の夢が急に面白くなりました。

現実では、まだ講師から教わっている段階です。

完全に自分のものになったわけではありません。

でも夢の中では、先生のような人が「妹」になっていました。

つまり、もう自分の側にいる。

そして、その妹は上手に歌っていました。

さらに、その歌を聞いた人が自分から、

「異例ではあるけれど、彼女の名前をつけようと思う」

と言った。

僕は、それがものすごく嬉しかった。

もちろん、夢が未来を予言しているとは思っていません。

でも僕には、

「昨日選んだ道を歩き続けたら、こんなところへ行けるかもしれないよ」

と、少し先の景色を見せてもらったように感じました。

教わったことを一つずつ自分のものにしていく。

そして、いつか僕の表現を読んだ誰かが、自分から、

「これ、いいな」

と思ってくれる。

その未来を、夢は「妹の歌」という、とても粋な物語に変えて見せてくれたような気がしたのです。

「料理」の意味が、あとから分かってきた


ここまで考えたとき、昨日講師がしてくれた「料理」のたとえが、僕の中でさらに大きくなってきました。

おいしい料理を作れる人は、素人もプロも含んで、世界中にたくさんいると思います。

自分で食べて、

「うまい」

と思う。

家族に食べてもらって、

「おいしい」

と言ってもらう。

それも素晴らしいことです。

でも、その料理をまだ知らない人にも届けようとした瞬間、それだけでは足りなくなる。

どんな材料を使ったのか。

どんな工程で作ったのか。

なぜこの材料を選んだのか。

どこに手間をかけたのか。

どういう気持ちでこの料理を作ったのか。

どれだけ素晴らしい料理でも、皿の上に置いただけでは、そこまでは伝わりません。

食べれば「おいしい」は分かるかもしれない。

でも、その料理の背景にあるものまでは、作った本人が言葉にしなければ分からない。

昨日は講師からその話を聞いて、記事を直しました。

そして今日になって、ようやくその意味が自分の中で少しずつつながり始めました。

文章も同じなんだ。

いいものを作ることと、届けること


僕が自分の記事を読んで、

「これはいい記事が書けた」

と思う。

それは料理でいえば、

「おいしい料理ができた」

というところまでなのかもしれません。

でも、その料理をもっと多くの人に食べてもらいたいのなら、それだけでは足りない。

まず、その料理があることを知ってもらわなければならない。

そして、初めて食べる人が味わえるように、必要な情報を用意しなければならない。

文章なら、

「ここを知らない人には説明が必要だな」

「この場面を想像するには、この一文があったほうがいいな」

「このタイトルでは、何の記事か分からないな」

と考える。

それは、自分の表現を読者に合わせて曲げることではありません。

むしろ逆です。

本当に届けたいものだからこそ、相手が受け取れるところまで橋を架ける。

そのために「箸を用意する」。

昨日、講師が教えてくれた言葉の意味が、ようやく自分の中で形になり始めました。

昔のお店のことまで見えてきた

そして、このことに気づいたとき、少し泣きそうになりました。

昔、自分が店をしていた頃のことを思い出したからです。

あの頃の僕は、おいしいものを作ろうとしていました。

料理そのものについては、一生懸命考えていました。

でも、

「この料理の良さを、お客さんにどう伝えるか」

というところまで、どれだけ考えられていただろう。

もちろん、お店が続かなかった理由を一つだけに決めることはできません。

いろいろな事情がありました。

それでも、今の僕なら当時とは違うことをすると思います。

おいしいものを作ったら、そのおいしさが伝わるところまで考える。

どんな材料なのか。

なぜこの料理なのか。

どういう思いで作ったのか。

そして、この店には何があるのか。

それを言葉にする。

どんなにすごい料理でも、言葉にしなければ伝わらないものがある。

今になって、そのことが分かりました。

箸を用意する


これはWebライターだけに必要な技術ではないと思います。

料理でも、営業でも、仕事でも、人に何かを教えるときでも同じです。

自分が知っていること。

自分が作ったもの。

自分が体験したこと。

自分が素晴らしいと思っているもの。

それをそのまま目の前に置いて、

「分かるでしょう」

ではなく、

相手が受け取れるところまで運ぶ。

そのために、必要な言葉を添える。

看板を出す。

そして、箸を用意する。

昨日、僕が一本の記事を修正しながら踏み出したのは、本当に小さな一歩だったと思います。

でも今朝の短い夢をきっかけに、その一歩の先にある道が、ほんの少し見えた気がしました。

何もしなかった僕と、

意味を考えながら一つの記事を直した僕。

昨日の時点では、二人の距離はほとんどありません。

でも、

道はもう分かれている。

だから今日も、次の一歩を歩いてみようと思います。

そしていつか、自分が作ったものを誰かが受け取って、

「これ、いいな」

と言ってくれたら。

きっと僕は、夢の中で妹の名前が選ばれたときと同じように、

ものすごく嬉しいんだと思います。

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