冬がキターッ!! 冬の怖さと美しさについて 冬の北海道に来てみたら?
秋がさっさと終わり、冬になりました。できることなら、もう少し長く秋のままでいてほしかった。
秋が長い年がありました。あの年は、クリスマスに函館まで夏タイヤで行けました。娘が函館に住んでいた頃のことですから、もう20年も前の話です。
そうです。私にとって、そしてたぶん多くの道民にとって、秋と冬の変化には、この日からという、明確に一線を引ける切れ目があるのです。
根雪。
初雪ではありません。そんなものは秋の風物詩です。地面に触れれば融ける根性のないやつです。
もう、これからの雪は地面に触れても融けません。地面もまた冷たいからです。時折、僥倖のような日差しがさし、あるいは雨が降り、融けることがあります。でもそれは悪魔のムチのインターバルに過ぎません。「あ、もう終わりかな」なんて思ってはいけません。すぐにより恐ろしい氷に変態する、それは一瞬の隙間なのです。
氷。
これが北国の悪魔の正体です。滑ります。一瞬でも気を抜くと、転びます。
氷上で転んだことがありますか? 一瞬のうちに脚が宙に浮き、あっと思う間もなく、腰が、あるいは顔面が氷に叩きつけられます。息ができません。下手をすると、骨折入院です。さらに、その時の周囲の対応が恨めしいのです。
道民は近くに転んだ人がいても、(ほぼ)無視します。「大丈夫ですか?」というヘルプは、期待しない方がいいでしょう。もちろん、それは道民が冷酷だというわけではなく、「雪道で転ぶ」=「恥ずかしいと思っているはず」=「あなたが転んだ姿は誰も見ていませんよ」=「あなたはきっと転んでいない」=「なにも恥ずかしいことなんかありませんよ」という、超遠回りな優しさなのです。
転んだ側も、「あっ、恥ずかしい」と思う心情はあります。「北海道に住んでいるのに、雪道で転んだ。毎日、毎年歩いているのに……。道民失格だ!」と思う余裕がある転びかたをした時には、転んだ私も知らん顔をして(「私は転んでなんかいませんよー」と)、立ち上がり、歩き始めます。
でも、そんな時ばかりではないのです。絶句、です。まず、息ができません。次に痛みがやってきます。痛みにクラクラになります。自分がみっともない姿で転んでいるとか、そんな客観視をしている余裕はないのです。頭が真っ白になり、そのあとに痛みが爆発している状態です。
「誰か助けてくれーっ」なのです。
近くのコンビニの入り口で、見事に両脚を宙に向けて転んだことがあります。動けませんでした。なのに、素知らぬ顔でコンビニに入っていく、出てくる客が2人、3人といます。恨みました。
転び、一瞬の失神、痛み、恥ずかしいという気持ちが、順次やってきます。その間、見て見ぬふりでコンビニに出入りする人間の気配を感じます。恨みます。結局、人間は自力で立ち上がるしかないんだと思い知ります。おおげさです。
歩いている時だけではありません。車もまた転びます。滑ります。信号ごとに、「はて、この車は先行車にぶつかる前に止まってくれるのだろうか?」という、何も得るところのない博打をしているようなものです。
特にこの時期、冬の始めは、すべてのドライバーが久しぶりの冬道であり、慣れていません。氷上を、車ごとツーっと滑るあの感覚。ゆっくりゆっくり先行車のお尻が近づいてくるあのストップモーション画像を、実地に経験しながら、思い出していきます。「そうだそうだ、こうやって止まるんだった」、「あ、動き出す時のスピード感はこんな感じだ」というように、この時期の毎日の運転は、みんな「あんよは上手」感覚です。
だから、もう北海道の冬はこりごりです。痛いし、恐いし、寒いし、なーんもいいことがない。冬は福岡で過ごしたい! なんなら宮崎で過ごしたい! 夢の二拠点生活だーっ!
でもね。毎年この時期に思うのです。
北海道の冬は、やはり圧倒的に美しい。
街のすべてが白い雪におおわれる風景は、美しい。人が作ったものがすべて雪のドームにおおわれていきます。どんな最新のビルも、どんな都市計画も、この雪のカバーからは逃れられません。それは都市部であろうと、農村であろうと、海岸ぶちであろうと関係ありません。圧倒的な美しさです。
そして、光の薄さ、はかなさ。
もちろん、健康的な強い光も大好きです。でも、この北国の冬の光の弱さにも、抵抗しがたい魅力があります。札幌の今日の日の出は6時51分、日の入りは16時。日照時間は、ほぼ9時間です。なんと夜が15時間!! こんな毎日が延々と続きます。
14時を過ぎたあたりの光が素敵です。もう夕方ではないかと思わせる薄ーい光です。どんなに晴れた日であっても青空なんて言えません。水色の空です。なんかね、いろんなものが綺麗に見えてくるのです。この光の下では。不思議です。
あ、忘れていました。北海道の冬の魅力、これが一番かもしれません。
静けさ、です。
雪がすべての音を吸い込んでくれます。走る車の音も、声高に話しながら歩く中学生の声も、すべての音に紗の膜がかかって、遠い音になります。世界と私のあいだの距離が少し遠くなります。冬の始まりは、静かな季節の始まりでもあります。
静けさと夜の長さと光のはかなさ、雪の美しさ。道民は、これらを淡々と味わいます。誰にも誇ったりしません。道民にとって、それはただ受け取るものです。でもきっと、それは何かを豊かに育んでいるのだと思います。
伝統的な日本文化とは違う、もう一つの文化がここにはあります。
