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枕話4 深沢七郎『楢山節考』と「田毎の月」

 毎時間ではありませんが、授業のマクラに小話をします。笑かすときもありますし、凍えさせるときもあります・笑。そんな枕話をメモするシリーズ(勝手にシリーズ化)の第4回です。今日は、雪が降り始める季節の定番の枕話です。でも、たぶん今年は話していません。毎年話すと、自分で飽きてしまうのです。

 雪が降ってきましたねぇ。雪が降ると世界がしーんとしてきます。みなさんは毎年のことですから気にもしないでしょうが、永遠のエトランゼであるぼくは、毎年この静けさに感動します。……いや、少しは笑うところですよ。

 雪の降る光景が印象的な作品は、やはり『楢山節考』(深沢七郎)です。ストリップ劇場でギターを弾いていた深沢七郎が書いて新人賞に応募し、時の人気作家であった正宗白鳥の激賞を受けます。「私は人生の書としてこの作品を読んだ」と。こんな新人賞の評は、後にも先にも読んだことがありません。

 さて、その『楢山節考』で雪が降るのは、こんな場面です。

 姥捨てにやってきた息子(辰平)が、ここでいいと言う母(おりん)を山に置いて帰る、その帰り道に雪が降り始めます。辰平は、「振り向いてはいけない」という山まいりの禁を破り、おりんのもとに走ります。山まいりの禁にはもう一つ「話しかけてはいけない」というものもあります。

 辰平はそっと岩かげから顔を出した。そこには目の前におりんが坐っていた。背から頭に筵を負うようにして雪を防いでいるが、前髪にも、胸にも、膝にも雪が積っていて、白狐のように一点を見つめながら念仏を称えていた。辰平は大きな声で
「おっかあ、雪が降ってきたよう」
 おりんは静かに手を出して辰平の方に振った。それは帰れ帰れと云っているようである。

深沢七郎『楢山節考』より

 美しいシーンです。

「おっかあ、雪が降ってきたよう」
 山まいりの日に雪に降られると運がいい。それは村で言い伝えられてきたことで、おりんもそれを望んでいました。

「おっかあ、雪が降って運がいいなあ」
 そのあとから
「山へ行く日に」
 と歌の文句をつけ加えた。

同上

 この日本語の一つの極にある美しい言葉を、宮崎に住んでいた頃のぼくは味わいきれていませんでした。雪を知らなかったからです。

 雪が降り始めると、それまでの風が少し弱くなります。周囲の音も聞こえなくなります。辰平の声は、雪に吸い込まれていったことでしょう。
 宮崎に住んでいた頃、ぼくのなかでの辰平の声は、山々にこだましていました。
 雪国に住んではじめて知ったのです。辰平の声は雪に吸い込まれ、おりんには届くものの、響きはしないことを。その静けさが、その残響のなさが、このシーンをより切なく、美しく、愛情深いものにすることを。


 深沢七郎は山梨の人ですが、姥捨伝説のある姥捨山は、長野県千曲市に実際にある山です。ふもとには棚田があり、田毎の月(たごとのつき)で有名です。『更級日記』の更級とは、この地区の呼び名です。

 田毎の月というのですから、棚田の田んぼ一枚一枚に月が写っているということでしょう。でも、変ではありませんか? 棚田の一枚一枚に月が写っているはずはありません。見る人は一点から見ますから、どんなにたくさんの田んぼが視界に入っていても月が写るのは一枚の田んぼだけのはずです。月と視点、月の光の入射角と反射角を考えると、ね。

 で、考えるわけです。「田毎の月」とはどういうことだ? と。

 子供のころ、夜に外を歩いていると、お月さまが自分についてくるとか、お月さまもいっしょに歩いているとか思ったことはありませんか? あれではないか? と。

 棚田を歩いています。「あ、この田んぼにお月さまが写っている」と思います。隣の田んぼの畦を歩くと「あれっ? この田んぼにもお月さまが写っている」。さらに隣の田んぼにも、その隣にもお月さまが写っている。このように移動する視点を考えると「田毎の月」も理解できますよね。

 もう一つ。田吾作は「自分の田んぼにお月さまが写っている」と言い、三郎どんも「ワイの田んぼにお月さまが写っている」と言い、孫次郎は「いんや、お月さまが写っていらっしゃるのは、おらがの田んぼだ」と言います。3人は夜の棚田に繰り出して、決着を付けようとしました。3人はそれぞれ自分の田の端に立って、異口同音に、

「ほぉーら、お月さまはやっぱり自分の/ワイの/おらがの田んぼだ!」と言うのでした。 

 どちらもぼくが勝手に妄想しているヨタ話ですから、信用しないようにね。自分で確かめて、自分の頭で考えてください。

 ところで「田毎の月」は、田植え前の五月末からの短い間だけに見られる光景です。稲が育っている間、稲刈り後の水の張っていない田んぼには写りませんからね。見に行く時には気をつけてくださいね。

 では、授業に入りましょうか。



 枕話の続きはこちらです。よろしかったら、どうぞ。


 




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