高校生のためのサバイバル講座 考えるヒント 17と18
これは26年前、西暦2000年当時、とある高校で出されていた国語科通信『高校生のためのサバイバル講座』の記事「考えるヒント」を転載したものです。書き手は私tetsu、当時42歳でした。現在は68歳です。読み手は普通科高校の二年生。今では42歳か43歳になっているはずですが、みんな元気でいるでしょうか?
下の記事は学校祭の後に書かれたものでしょう。当時はまだ多くの高校が三学期制でした。学校祭は二学期の始め、九月の中旬くらいに行われていたように記憶しています。
17 祭りのあとの復活の仕方について
二十五年も前になりますが、僕の高校二年の夏休みは、芝居漬けの日々でした。ちょうど今頃は、市内の高校との合同公演を終え、先輩が書いている学校祭の芝居の台本が上がるのをただボーッと待っていました。
役者にとって芝居のあとの時間というものは奇妙なものです。昨日まで全く別の人になっていたのに、芝居が終わった瞬間に自分に戻るのですから。そしてその自分というものがどんな人だったか、すっかり忘れているのですから。
何だか自分が生きている意味(ちょっと大げさだけどね)がすっかり奪われてしまったみたいで、空しいんですよね。現実感をすっかり舞台に奪われていたから、日常の空気が薄いっていうか、これじゃ死んでるのと同じだよなあって感じになってしまうのです。
だいたい二週間必要でした、その頃の僕が元に戻るのに。次の台本を渡されたらすぐに元気になるんですけど。何だか麻薬みたいですよね。舞台の数を重ねたら、その空しさにも慣れてきて「ほら来た」って感じで、上手くやり過ごす方法を身につけたりするのですが、やはりこれも相当の経験を重ねないと無理な技なんですよ。
いろんな方法があるんだけど簡単に言うと、どうやって頭のチャンネルを切り替えるかっていうことなんだよね。素早くくっきりとチャンネルを変えちゃう。これがうまくできるようになれば、空しさっていうのもうまくやり過ごせるようになる。
頭の中のチャンネルをどう動かすか。頭をひねってよく考えて下さい。のんびりやってると乗り遅れちゃうよ。
自分の高校生の頃を考えると、すごく濃密だったんだなあと思います。でも、それも「いま思えば、」ですよね。当時は「なんか面白いことないかなぁ~」というのが口癖でした。退屈だと思っていたんですね。
特に高校二年生の夏休みは、ぼくの人生を大きく方向転換した、舵を切った時です。それなりに優等生だったぼくがドロップ・アウトしたのです。
18 勉強なんて意味ない
僕は小学五年から受験勉強をしていた。夕方に寝て、夜中の十二時か一時頃に起こしてもらい、朝まで勉強をしていた。もちろん学校の予習や復習なんてあっという間に終わってしまうので、ぶあつい問題集を買ってもらってそれをやっていた。父親から「医者になれ」と言われ、特に反対する理由もなく、そうするつもりでいた。高校二年の夏休みまでは。
高校二年の夏休み、いくつかの高校の演劇部と一つのお芝居をつくり、打ち上げた。僕はその後の空虚さを埋めるべく、あるコンサートに出かけた。昼の十二時から午後九時まで行われていたロックコンサートだ。日本のロックの黎明期の話だ。コンサートというよりパーティに近かった。たくさんのミュージシャンが入れ替わり立ち替わり演奏していた。
それは「OZ」の演奏中の出来事だった。二、三歳の子どもが「踊ろうよ」と言って、父親の手を引いてステージで踊り出したのだ。父親は長髪髭面の大男だったが、二コニコとその手に引かれて一緒に踊り出した。よれよれのジーンズにTシャツ姿で、「あぁ、部族の人だな」と一目で分かった。「部族」ってのは、日本のヒッピーの中心的なグループの一つだ。
その親子の踊る姿によって、その場の雰囲気は一気にホームパーティ化した。僕はその渦の中で、「あぁ、こんなのもありなんだなぁ」と妙に感動した。で、こういう風に楽しく過ごすのに勉強なんか何の意味もないじゃないか、と思ってしまったのだ。
六年も七年も毎日四、五時間勉強するのが当たり前だった僕の暮らしは、その日に一変した。今思えば、単に勉強に飽きていたんだと思う。そこにうまい理屈が見つかった、しめしめってなもんだ。勉強に意味がないのなんて当たり前だ。人生にすら意味なんてないのに、勉強に意味があるわけがない。意味のある物なんてなーんにもないのだ。でもその意味のないところに、自分だけの楽しみを見つけるのがおもしろいんだよな、と気付くのはずっと後のことだ。
このライブには、アシッド・セブン、久保田麻琴、カルメン・マキ&OZ、山崎ハコ(彼女のバックが凄かった)などが入れ代わり立ち代わり登場し、さまざまな演奏(ジャム・セッション)を繰り広げていました。裸のラリーズや南正人さんもいたような、いなかったような。ライブの最後に「I Shall Be Released」をみんなで歌った記憶があるので、南正人さんもきっといたんだろうなと思います。
ロックがビジネスになるちょっと前の話。1974年のことです。チケットはあったのかなかったのか。あったとしても300円とか、500円とかそんな感じです。
記事に書いてあるOZの演奏は、カルメン・マキの登場前でバンドだけのインストロメンタルでした。マキと一緒の時の重厚な演奏とは一変、陽気なカントリー・ウエスタンを始めた時には驚いたものです。フラット・マンドリンとバンジョーの軽く跳ねる、乾いた音が印象的でした。
「勉強なんて」と思って学校からトンずらしたはずのぼくが、ずっと学校に閉じ込められ、勉強を教える側に回るとは……。人生もなかなか皮肉なものですね。
前回の「考えるヒント」は、こちらです。
