第11章 ブラックホールと時間
ブラックホールが私たちの常識を大きく揺さぶる理由の一つは、時間の扱いにある。
私たちは普段、時間は誰にとっても同じように流れていると思っている。朝になれば朝、昼になれば昼、夜になれば夜。時計の針は一定の速さで進み、昨日は過去、明日は未来である。仕事の締切も、病院の予約も、ゴルフのスタート時間も、だいたい同じ時間の流れを前提にしている。
もちろん、締切前の一時間はやたら短く感じ、退屈な会議の一時間はなぜか三時間分に感じる。これは人間心理の問題であって、物理学の時間の話ではない。だが、ブラックホールの近くでは、心理ではなく本当に時間の進み方が変わる。
これが、ブラックホールを理解するうえで非常に重要な点である。
一般相対性理論によれば、重力が強い場所では時間は遅く進む。正確に言えば、強い重力場にいる観測者の時計は、重力の弱い場所にいる観測者から見ると遅れて進む。
これは、単なるたとえではない。
実際に測定される物理現象である。
地球上でも、高い場所と低い場所では時間の進み方がわずかに異なる。地表に近いほど重力が強いため、時間はほんの少し遅く進む。日常生活では気づかないほど小さい差だが、精密な時計なら測定できる。GPS衛星の時刻補正にも、相対性理論による時間のずれが関わっている。
つまり、時間の遅れは、ブラックホールだけの特殊な話ではない。
ブラックホールでは、その効果が極端になるだけである。
ブラックホールに近づくほど、重力は強くなる。
重力が強くなるほど、遠くの観測者から見た時間の進み方は遅くなる。
事象の地平面に近づくと、その遅れは極端になる。
ここで、一人の宇宙飛行士がブラックホールへ落ちていく場面を考えてみよう。
遠く離れた安全な場所に観測者がいる。
もう一人の宇宙飛行士が、ブラックホールへ向かって落下していく。
落下者は、自分の時計を持っている。
遠方の観測者も、自分の時計を持っている。
落下者本人にとっては、自分の時計は普通に進む。心臓も普通に鼓動し、計器も普通に動き、時間が突然止まるわけではない。十分に大きなブラックホールで、潮汐力がまだ弱い場所なら、事象の地平面を通過する瞬間に特別な衝撃を感じない可能性もある。
しかし、遠くから見ている観測者には、まったく違って見える。
落下者がブラックホールに近づくほど、その動きは遅く見える。
落下者から出る光は、重力赤方偏移によって波長が引き伸ばされる。
光は赤くなり、弱くなり、やがて暗くなる。
遠方観測者から見ると、落下者は事象の地平面に近づくほど、どんどん時間が遅れていくように見える。
このため、「外から見ると、落下者は事象の地平面を越えないように見える」と説明されることがある。
ただし、これは慎重に理解する必要がある。
落下者本人にとっては、有限の時間で事象の地平面を通過する。
一方、遠方観測者からは、落下者の時計がどんどん遅れ、光もどんどん弱くなるため、実際には最後の瞬間を見ることができない。
つまり、外から見える情報としては、落下者は地平面に近づきながら、赤く暗くなり、観測不能になっていく。
これは矛盾ではない。
相対性理論では、観測者の立場によって時間の見え方が異なるからである。
ここが、ブラックホールの時間の不思議さである。
落ちる本人にとっての時間。
遠くから見る人にとっての時間。
この二つは同じではない。
日常生活では、こうした差はほとんど問題にならない。那覇で一時間、青森で一時間、東京で一時間。現実には重力や速度の違いでごくわずかな差はあるが、普段の生活では無視できる。飛行機に乗ったからといって、親戚より十歳若返るわけではない。そうなれば航空会社の宣伝文句が大変なことになる。
しかし、ブラックホール近傍では違う。
時間のずれは、無視できないどころか、現象の中心になる。
ブラックホールの近くでは、時間と空間の関係そのものが大きく変わる。
事象の地平面の外側では、まだ外へ逃げる未来が存在する。強力なロケットを使い、適切な軌道を取れば、ブラックホールから離れることが理論上可能である。もちろん、現実的に簡単という意味ではない。だが、時空の構造としては、外へ向かう未来が残されている。
ところが、事象の地平面を越えると状況が変わる。
その内側では、中心へ向かうことが未来の方向になる。
外へ向かうことは、もはや未来の中に存在しない。
これは、非常に奇妙な表現に聞こえるかもしれない。
だが、ブラックホールの本質を考えるうえで決定的に重要である。
普通の空間では、私たちは前後左右上下に移動できる。未来へ進みながら、右へ行くことも左へ行くこともできる。時間は前に進み、空間の中で方向を選ぶ。これが日常感覚である。
しかし、ブラックホールの内側では、中心へ向かう方向が、時間の未来と深く結びつく。
私たちは時間を止めることができない。
昨日へ戻ることもできない。
未来へ進むしかない。
事象の地平面の内側では、それと同じように、中心へ向かうことから逃れられない。外へ出ようとすることは、時間を逆戻りしようとするようなものになる。
つまり、ブラックホールから脱出できない理由は、単に「重力が強すぎてエンジンが足りない」からではない。
より本質的には、外へ出る未来がないのである。
これは、ニュートン的な重力観とは大きく異なる。
ニュートン的に考えれば、重力が強くても、十分に速く飛べば逃げられるように思える。地球からロケットが脱出するように、ブラックホールからも超強力なロケットなら逃げられるのではないか、と考えたくなる。
しかし、一般相対性理論のブラックホールではそうではない。
事象の地平面の内側では、どの方向へ進んでも、未来は中心へ向かう。
光でさえ外へ出られない。
光より速く進むことはできない。
したがって、どんなロケットでも外へ戻れない。
これは、道路のたとえで言えば、坂道を登れないという話ではない。
そもそも外へ向かう道路が未来の地図から消えている、という話である。
ナビに目的地を入れても、「そのルートは存在しません」と出る。
しかも再検索しても出ない。
宇宙のナビは冷たい。
ブラックホールと時間を考えるとき、もう一つ重要なのが潮汐力である。
潮汐力とは、場所によって重力の強さが違うために生じる引き伸ばしの力である。地球上でも月の重力によって潮の満ち引きが起こる。これも潮汐力の一種である。
ブラックホールの近くでは、潮汐力が非常に強くなることがある。
たとえば、人が足からブラックホールへ落ちていくとする。足の方が頭よりブラックホールに近いため、足にはより強い重力が働く。すると、体は縦方向に引き伸ばされ、横方向には押し縮められる。これが、いわゆるスパゲッティ化である。
名前は少し軽い。
だが、現象はまったく軽くない。
人体にとっては、冗談では済まない。
ただし、潮汐力の強さはブラックホールの質量によって違う。
小さなブラックホールでは、事象の地平面付近の潮汐力が非常に強く、地平面に到達する前に引き裂かれる可能性が高い。
一方、超大質量ブラックホールでは、事象の地平面付近の潮汐力が比較的小さい場合がある。その場合、落下者は地平面を越える瞬間には特別な変化を感じないかもしれない。
これは直感に反する。
大きなブラックホールの方が恐ろしそうに思える。
実際、総質量は巨大である。
しかし、事象の地平面の大きさも大きいため、地平面付近での重力差は小さくなる場合がある。
小さなブラックホールは、近づいた途端に容赦ない。
大きなブラックホールは、入口では意外と静かかもしれない。
ただし、どちらも入ったら戻れない。入口の接客態度が違うだけで、出口がない点は同じである。
時間の問題に戻ろう。
ブラックホールの外から見ると、事象の地平面は「時間が止まる場所」のように見えることがある。
しかし、これは外部観測者から見た表現である。
落下者本人の時間が本当に止まるわけではない。
ここを混同すると、ブラックホール理解がややこしくなる。
外から見た時間の遅れ。
落下者本人の固有時間。
この二つを分ける必要がある。
固有時間とは、その人自身が持つ時計で測った時間である。落下者本人にとって、自分の時計は普通に進む。外から見ると遅れて見えるが、本人の体感時間が止まるわけではない。
これは、相対性理論の核心である。
時間は絶対的な背景ではない。
誰にとっても同じ一つの時計が宇宙全体を支配しているわけではない。
観測者の運動状態や重力場によって、時間の測り方は変わる。
ブラックホールは、その事実を極端な形で示す。
では、事象の地平面を越えた後、落下者はどうなるのか。
古典的な一般相対性理論では、落下者は有限の固有時間で中心の特異点へ到達する。そこでは時空の曲率が無限大になるとされる。もちろん、実際に何が起きるかは、量子重力理論が必要になる可能性が高い。現在の理論では、特異点の本当の姿はまだわからない。
ただし、事象の地平面を越えた後に外部へ戻れないことは、ブラックホールの基本的性質である。
この「戻れなさ」は、単なる空間的な隔離ではない。
時間的な隔離でもある。
地球上で遠く離れた場所に行けば、通信に時間はかかるが、光や電波はいずれ届く。月からの通信も、火星からの通信も、遅れはあるが届く。遠方銀河からの光も、何億年、何十億年かけて届く。
しかし、事象の地平面の内側からの信号は、どれだけ待っても届かない。
これは距離の問題ではない。
因果関係の問題である。
外部宇宙から見れば、事象の地平面の内側で起きた出来事は、外部の未来に影響を与えることができない。
内側の出来事は、外側の観測者にとって因果的に切り離されている。
この意味で、ブラックホールは宇宙の中にある「因果の断絶」を作る。
時間を考えるうえで、これは非常に深い問題である。
私たちは、出来事が起き、それが情報として伝わり、別の出来事に影響する世界に生きている。
原因があり、結果がある。
情報が伝わり、記録が残る。
しかし、ブラックホールの内側で起きた出来事は、外へ記録を残せない。
外部から見れば、その情報は失われたように見える。
ここから、後の章で扱うブラックホール情報パラドックスにつながる。
量子力学では、情報は基本的に失われないと考えられる。
ところが、ブラックホールに物質が落ち込み、さらにブラックホールがホーキング放射で蒸発すると、落ち込んだ情報はどうなるのか。
完全に消えるのか。
どこかに保存されるのか。
放射に含まれて戻るのか。
事象の地平面の理解そのものを変える必要があるのか。
ブラックホールと時間の問題は、情報の問題へつながる。
さらに、ブラックホールは「過去」と「未来」の意味も考え直させる。
私たちの日常では、未来は選択可能なものに見える。右へ行くか左へ行くか、仕事を続けるか辞めるか、ゴルフで攻めるか刻むか。選択肢はいくつもある。もちろん、選んだあとに後悔することもある。特に池越えで無理をしたときは、だいたい結果が見えている。
しかし、ブラックホールの内側では、未来の選択肢が極端に制限される。
中心へ向かう。
それ以外がない。
これは、物理的な意味での未来の閉塞である。
そのため、ブラックホールは、時間とは何かを考えるための極限的な舞台になる。
時間はなぜ一方向に流れるのか。
未来と過去の違いは何か。
情報は本当に保存されるのか。
観測できない出来事を、物理学はどう扱うのか。
事象の地平面の内側は、外部宇宙にとって存在すると言えるのか。
これらは、単なる空想ではない。
現代物理学の核心に関わる問題である。
ブラックホールを考えるとき、私たちはどうしても空間的なイメージに引きずられる。
黒い球。
深い穴。
重力の井戸。
吸い込む天体。
しかし、ブラックホールの本質は、空間だけでは説明できない。
時間の構造が変わることこそ、ブラックホールの深い特徴である。
事象の地平面は、空間上の境界であると同時に、時間の境界でもある。
そこを越えると、外へ戻る未来はなくなる。
中心へ向かうことが、時間の流れと結びつく。
この見方をすると、ブラックホールは単なる天体ではなく、時空そのものの構造として見えてくる。
ブラックホールは、ものすごく重い星の残骸である。
だがそれだけではない。
ブラックホールは、時間の進み方、未来の向き、因果関係の限界を示す存在である。
その意味で、ブラックホールは宇宙の中にある哲学的な天体でもある。
もちろん、ここでいう哲学的とは、あいまいな空想という意味ではない。
むしろ逆である。
厳密な物理法則を突き詰めた結果、時間や存在についての根本問題にぶつかるという意味である。
ブラックホールは、科学と哲学の境目に立っている。
時計はどう進むのか。
観測者によって現実はどう違うのか。
戻れない境界とは何か。
情報が届かない出来事は、外部世界にとってどう位置づけられるのか。
未来が一方向に固定されるとはどういうことか。
これらの問いは、ブラックホールを通して具体的な物理問題になる。
第11章で見たように、ブラックホールは時間の常識を壊す。
重力が強いほど時間は遅れる。
外から見る時間と、落ちる本人の時間は違う。
事象の地平面の内側では、外へ出る未来がなくなる。
ブラックホールの中では、中心へ向かうことが未来になる。
そして、この時間の構造は、情報問題や量子重力の謎へつながる。
ブラックホールを本当に理解するには、「何を吸い込むか」だけを考えていては足りない。
「時間がどう変わるか」を見なければならない。
ブラックホールは、宇宙の暗い穴ではない。
それは、時間の流れが極限までゆがむ場所である。
次章では、回転するブラックホールを扱う。
現実のブラックホールの多くは、静止しているのではなく回転していると考えられる。
回転するブラックホールでは、時空そのものが引きずられ、エルゴ領域が生まれ、回転エネルギーを取り出せる可能性も出てくる。
ブラックホールは、ただ重いだけではない。
回っている。
そして、その回転が周囲の時空を巻き込んでいく。
次に見るのは、宇宙でもっとも奇妙な「回転する時空」である。
