「まだまだこれから」と言われても、あの頃は信じられなかった
先日、こんなタイトルのYouTube動画を見かけました。
「あの時やっておけば…」60代のガチ後悔7選!「もう50だし…」の口癖が命取り。
なるほど、と思いながらも、ふと自分の中に違和感がありました。
「もう50だし」って、私はあんまり思わないな。むしろ「まだまだこれから」って思ってる。
これって普通のことなんだろうか。それとも、私がちょっと変わってるんだろうか。
「もう」と「まだ」のあいだ
同じ50代、60代でも、年齢をどう解釈しているかで、見えている景色はかなり違う気がします。
「もう50歳」と思えば、残り時間は少なく、今さら変えられないもののように感じる。 「まだ50歳」と思えば、ここから20年、30年ある。じゃあ何をしよう、と考えられる。 「50歳だからこそ」と思えば、若い頃にはできなかったことができる。
同じ年齢なのに、感じ方はまるで別物です。
そして気づいたのは、今の自分がやっていることは、完全に「これからの人」の動きだということでした。昔のブログを掘り返し、AIと壁打ちをして、Obsidianに蓄積して、「運を拾う」とか「人生研究」とか、自分の中からテーマを見つけて、それをnoteやFEALにつなげようとしている。59歳だから、もう遅い、ではなく、59歳だからこそ、今までの経験とAIを組み合わせたら何ができるんだろう、という発想になっている自分がいます。
昔、同じ言葉を受け取れなかった私
そういえば、と思い出したことがあります。
30代から40代になるくらいの頃、ちょっと知り合った人に「まだまだこれから」と言われたことがありました。その人は私より年下でした。
そのとき私はこう思ったのです。
「え、まだまだこれからって言っても、もうこんな年だけど?」
当時の私は、今から思えばずいぶん若いのに、なんだかもう先がない感じがしていました。仕事もいろいろ変わって安定していなくて、結婚するという気持ちも特になくて。人生の選択肢が、だんだん閉じていくように感じていた時期でした。
だから「まだまだこれから」と言われても、正直ぴんときませんでした。何がこれからなんだろう、と。
でも、59歳になった今、あのときの自分を振り返るとこう思います。
あのときの私、まだまだどころか、そこからこんなにいろんなことがあったじゃん、と。
仕事も変わった。結婚もした。子どもも生まれた。カウンセリングを学んだり、オーラソーマや星読みをやったり、Webをやったりしてきた。そして今はFPや簿記を取って、AIと出会って、「人生研究」なんてことまで始めている。
当時の自分には見えていなかっただけで、人生は全然終盤ではありませんでした。むしろ、そこから先のほうが予想外の展開だらけでした。
年齢は当時より20年近く上がっているのに、人生に対する時間の感覚は、逆に若返っている気がします。
忘れていた記憶を、AIと一緒に拾い上げる
今回面白かったのは、その記憶を思い出したきっかけです。
一本のYouTube動画のタイトルを見て、「あ、私はまだまだこれからって思ってるな」と気づく。その気づきから、何十年も忘れていた「まだまだこれから」という言葉が、ふっと浮かび上がってきました。
普通なら「へえ、そうなんだ」で終わるところを、AIとの対話に投げてみることで、記憶と記憶がつながっていく感覚がありました。
たぶん、こんな流れだったんだと思います。
何かが目に入る。脳が「これ、何か引っかかる」と反応する。今まで蓄積していた記憶の中から、関連するものが拾い上がってくる。それを言葉にしてみることで、過去と現在がつながって、新しい意味が生まれる。
これって、AIが答えをくれたというより、対話を通して、自分の中にすでにあった材料同士がつながった、ということなんだと思います。
昔だったら、「なんか気になるけど、まあいいか」で終わっていたようなことも、今は気軽にAIに投げてみて、対話して、過去の記憶を引っ張り出して、さらに考えて、「あ、そういうことか」までたどり着ける。
自分の中に眠っているものを、AIとの対話で発掘する。最近、そんなことをよくやっている気がします。
「拾う」ということ
運というのは、突然どこかから降ってくるものだけじゃなくて、自分の前を通り過ぎたものを「ん?」と感じて、拾い上げて、つなげて、意味を見つけていくことでもあるのかもしれません。
昔の自分が受け取れなかった言葉を、何十年後の自分が受け取れるようになった。
今日もまた、何かを拾いました。
