ゆる~く生きていたら、運を拾いやすくなっていた話
たまたま見たYouTubeがきっかけでした。
話していたのは斎藤一人さん。「神様に特別扱いされる人は、神社で絶対にしないことがある」という内容で、なんだか自分が最近ずっと考えていることと重なる気がしてきたんです。
「引き算」の話
その動画の核心はシンプルでした。
人生を好転させる鍵は、何かを「足す」ことではなく、心の重荷や執着を「引き算」すること。心配、比較、執着、過去への後悔、未来への不安——そういうものを手放していくと、心に余白ができる。そしてその余白があるからこそ、日常のちょっとしたサイン——虹や、ふと耳にした言葉——に気づけるようになる、という話でした。
これを読んで、真っ先に思い出したのが、私がここ最近ずっと考えている「運を拾う」という感覚でした。
運って、特別な人にだけ降ってくるものじゃなくて、目の前で起きていることの中から「拾うか、拾わないか」なんじゃないか。ずっとそう思っていたんです。
動画の話を私なりに翻訳すると、こうなります。
心の中が不安や比較、欠乏感でいっぱいだと、目の前にあるものを見落とす。逆に余白があると、小さな変化や偶然、自分の感情、違和感などを拾いやすくなる。
「運を引き寄せる」のではなく、「運を拾える状態になる」。この言い換えが、自分にはしっくりきました。
「余白」という言葉との再会
そういえば、少し前に作ったチラシに、こんな言葉を入れていました。
暮らしに、心の余白を。
正直、深く考えて選んだ言葉というより、なんとなく気に入って使った言葉でした。でも今回の話とつなげてみると、「余白を作ることで、運を拾える自分になる」という構造が、そのままそこにあったんです。
以前、自分のやっていることを「メソッド」として体系化しようとしたとき、なぜか強い違和感がありました。「こういう方法があります」と誰かに教える形にすることに、無理があったんだと思います。
でも「余白」という言葉には、そういう違和感がありませんでした。作らなきゃいけないものじゃなくて、もともと大事にしたかったものだったんだと思います。
20年分の記録に聞いてみた
ここで気になったのは、「余白」も「運を拾う」も、最近AIとの対話の中で新しく生まれた考え方なんじゃないか、ということでした。
なので、20年以上書きためてきたブログや日記のデータを、まるごとAIに渡して調べてもらうことにしました。
結果は、思っていた以上でした。
「ゆっくり」「ゆるく」というテーマは、2003年にはすでに存在していました。『スロー・イズ・ビューティフル』という本に惹かれて「もっとゆっくり、今を」と書いていたのが最初。そこから、
2005年「ゆっくり・のんびり・まったり」
2010年「ゆるベジ」
2020年「ぼーっとする時間」
2023年「ゆっくり、ゆっくり」
そして今の「ゆるっと暮らし」
と、姿を変えながらずっと続いていたんです。
「余白」という言葉そのものは、実は過去のデータにはほとんど出てきませんでした。でも、同じことを別の言葉で言っている記録がありました。2003年、「面倒だ」と感じたことに対して、我慢してやるのではなく一度立ち止まって考える、という話を書いていて、それが後年「暮らしに心の余白を作るために仕組み化する」という発想につながっていたんです。
そして極めつけは2020年11月の記録でした。スケジュールをぎゅうぎゅうにせず、あえて余裕を残しておいたら、奇跡的なご縁が起きた、と書いてありました。
余白 → ご縁。
このつながりを、2026年の今はじめて考えたわけじゃなかったんです。6年前の自分が、すでに同じことを体験として言葉にしていました。
「拾う」も、ずっと前からあった
「拾う」についても同じでした。
2004年、歩きながら「直感を信じて行動しよう」と思った日の夜、映画の中で似た言葉に出会った、という記録。2005年、知人に会いに行ったら別の知人に偶然会い、そこからワークショップにつながったという「出会いの連鎖」。
そして2020年には、こんな言葉まで書いていました。
必要な情報は入ってくる。頑張らなくても、必要な情報は入ってくる。ピンと来たものだけ拾えばいい。
これはもう、今回考えていたことと、ほぼそのままつながっていました。
まだ結論ではなく、仮説として
こうして並べてみると、私の中には昔から、こんな循環があったのかもしれません。
ゆる~くいる → 詰め込みすぎない → 余白ができる → 「なんか気になる」に気づける → 拾う → ちょっとやってみる → 人や出来事とつながる → そこから次の何かが生まれる。
ただ、「余白があるから運を拾える」と、まだ言い切ってしまわないほうがいいとも思っています。もしかしたら逆で、「拾ってしまう性質があるから、結果的に余白が生まれていた」のかもしれない。そのあたりは、これからも自分の記録を見ながら、確かめていきたいところです。
「運を引き寄せる方法」を探しているつもりはありませんでした。でも気づいたら、「運を拾える自分でいるためには、何が必要なのか」を、20年分の自分の記録から確かめる作業になっていました。
私はもしかしたら、ずっと前からこのことをやっていたのかもしれません。
