さよなら、パンダ 〜外交に翻弄された半世紀を思う〜
2026年1月27日、我が国最後のパンダが中国に返還されました。
ニュースでは、成田空港で、パンダを乗せた飛行機が見えなくなるまで見送るファンの姿を映し出していました。
パンダが日本に初めてやって来たのは、1972年10月28日でした。
田中角栄首相や大平正芳外相らが、まさに、生命を賭して中国に渡り、交渉を重ね、日中国交正常化を果たしたことを機に、中国から“プレゼント”されたのでした。
中国側は、日本で愛されるようにと、特にかわいいパンダを選んでくれたそうです。
それが、メスのランランと、オスのカンカンでした。
確かに、ランランとカンカンはとてもかわいく、僕もすぐにパンダが大好きになりました。
受け入れた上野動物園はパンダ・フィーバーに沸きましたが、上野動物園の飼育員さん達は、初めて受け入れるパンダに大変な苦労をされたそうです。
パンダが食べる笹、一つ取っても、どこの笹でも食べてくれる訳ではなく、食べてもらえる笹を探すのにも苦労されたそうです。
日中国交正常化を記念して中国が貸与してくれたパンダを病ませたり、死なせたりする訳にはいかないと、かなりのプレッシャーの中、一つ一つ、パンダの飼育のノウハウを蓄積したことと思います。
ちなみに、田中角栄元首相が脳梗塞に倒れ、第一線を退いた後、中国は田中氏を日中国交正常化の恩人として、感謝の気持ちを忘れませんでした。
江沢民総書記が来日した際には、総書記自ら、田中氏を表敬訪問しています。
さらに付け加えると、田中氏が内閣総理大臣に就いたのが1972年7月6日、日中国交正常化は同年9月29日です。
これを受け、日本と中華民国(台湾)は国交を断絶することとなりました。
田中氏が日中戦争の清算や台湾との国交断絶等を伴い、国内外で猛烈な反発を受け、命をも狙われる危険を冒してまで日中国交正常化を急いだのは、中華人民共和国を建国した毛沢東主席や周恩来首相らが健在の間でなければ、成し得ないと考えたからなのだそうです。
戦火をくぐり抜け、勢力争いの中で生き残り、苦労に苦労を重ね社会主義国家を立ち上げた毛主席らだからこそ、交渉ができるとのヨミが田中氏にはあったそうです。
北朝鮮を例に挙げますが、毛主席同様、建国を成し遂げた初代最高指導者・金日成氏なら交渉相手になり得ても、3代目の金正恩氏は果たしてまともな交渉相手になり得るでしょうか?
とてもじゃありませんが、ミサイルをバンバン飛ばし、核を保有したことをかさに着て、相手を威嚇したり、脅したりばかりしている金正恩氏がまともな交渉相手になり得ると思えないことはありませんか?
横道に逸れましたが、パンダに話を戻します。
その後、中国から多数のパンダが貸与され、僕が住む関西では、神戸・王子動物園にもパンダがいましたし、何より、南紀白浜アドベンチャーワールド(現・和歌山アドベンチャーワールド)ではパンダの繁殖に成功し、17頭もの赤ちゃんパンダが生まれていました。
それが、次々と、中国へ返還されたのです。
僕は、日本で繁殖に成功したパンダまで、中国に所有権があることを知らなかったので、本当に驚きましたし、理不尽さも感じました。
結局、どこまでいっても、パンダは中国にとって、外交の駆け引きの道具にすぎないのだなと思い知らされた気分です。
日中国交正常化を機に日本へ贈られたパンダが、高市首相の台湾有事発言に起因する日中関係の冷え込みを機に、中国へ引き上げられるー
この事実を見るだけでも、それがわかろうかというものです。
田中角栄首相が命懸けで成し遂げた日中国交正常化を記念して中国から贈られたパンダ。
半世紀余りの時を経て、田中首相も、毛主席も、周首相も、もう、この世にはいません。
そして、パンダも、我が国からいなくなりました。
諸行無常を感じずにはいられません。
愛くるしく、世界中の人に愛されるパンダが、政争の具となることから解放され、平和の使者となり、再び、我が国、さらには、世界中で、多くの人に愛でられる日が訪れることを願います。
日本で暮らしたパンダ達が、中国で大切にかわいがられ、幸せに暮らせたら良いですね。
#パンダ
#日中国交正常化
#外交
#政治と動物
#平和の象徴
#諸行無常
#田中角栄
#中国外交
#日本外交
#歴史を振り返る
#パンダ外交
#国際関係
#時代の流れ
#失われた風景
#動物と政治
#noteエッセイ
#個人の記憶
#昭和の記憶
#平和を願って
#別れの記録
