“ヴァーセン”という世界──TRPGでめぐる北欧の怪異と記憶
彼らはただ影の中に潜んでいるわけではない──私たちのすぐそばを歩いている。誤解され、見えず、破壊を望むのではなく、むしろ「つながり」を求めている存在。 それは怪物ではなく、謎としての霊──悪意ではなく、混乱の中で人間と共に生きようともがいている。 そして、すでにこの世界にいるのかもしれない。押し入れの奥、ベッドの下、誰にも気づかれない静かな隅に──。
“ヴァーセン”という世界──TRPGでめぐる北欧の怪異と記憶。 この物語は、見えない者たちとの対話を通して、忘れかけた感覚と文化の奥深さに触れる旅である。
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🔍 前提──民話と調査が交差するTRPG

『ヴァーセン』は、ニルス・ヒンツ氏によって書かれ、2020年にFree League Publishingから発売されたスウェーデン発のテーブルトークRPG(TRPG)です。私が出会ったのは2022年版で、北欧ならではの静かな恐怖と物語性が印象的でした。
舞台は、神話や民話の記憶が息づく19世紀の北欧。プレイヤーは「目覚めた者(Investigators)」として、〈視る力〉を持つキャラクターを演じます──通常は目に見えない怪異を認識できるという、祝福とも呪いともいえる能力。その力が導く先には、忘れ去られた場所で目を覚ました古代の存在──〈ヴァーセン〉──との奇妙な出会いが待っています。
『ヴァーセン』は北欧の作品でありながら、読んでいると日本の民話や妖怪文化と通じる部分もあるように感じました。静かな哀愁、精霊との距離感──そうした空気が、どこか懐かしいのです。
しかしこれは「怪物退治」のゲームではありません。理解するゲームなのです。
各ミステリーは、民話と恐怖の間を舞う繊細なダンス。プレイヤーはヴァーセンが何を望み、なぜ落ち着かないのか、どうすれば世界の均衡を取り戻せるのかを解き明かします──共感、交渉、時には犠牲をもって。暴力は最善の手段とは限りません。鍵となるのは好奇心と慈しみです。
日本の読者の皆さん──『夏目友人帳』との共通点を感じませんか?あの静かな哀愁、毎回の出会いが持つ情緒的な重み、そして精霊たちが「敵」ではなく「忘れられた物語の残響」として描かれている点。初めて『ヴァーセン』を読んだとき、私はその同じ哀愁を感じました。痛みと希望、そして不安定な霊たちが伴う根源的な危うさ。

『夏目友人帳』が気になる方は、こちらの記事がおすすめです: 「日本に興味のある外国人が『夏目友人帳』に惹かれうる理由」 そこでは、ヴァーセンと日本の妖怪や鬼との不思議な共鳴点について掘り下げています。
夏目のように、『ヴァーセン』の調査者たちもまた、他人には見えないものを見てしまう重荷を背負っています。そして、彼らもまた戦おうとしているのではなく──理解しようとしているのです。助け、癒し、壊れてしまった何かに向き合うために。
とはいえ、『ヴァーセン』は常に優しく囁いてくるゲームではありません。中には理解を拒む霊もいます。牙をむく怪物も存在します。そして、対話が崩れたとき、調査者たちは手袋を外す覚悟を持っている──彼らはただの共感者ではなく、守る者でもあるのです。時に、その「守る」という行為には血が伴うことも。
『ヴァーセン』の本質は、ホラーゲームです。決して忘れないでください。
それでもこのゲームは問いかけてくるのです──「もし、優しさと理解こそがこの難題を解決する鍵だったとしたら?」 少なくとも、私はそう感じました。
🎨 魅せられるアートワーク──物語を描く筆致

私は昔から「いい絵」に弱いのですが──『ヴァーセン』はその期待を軽々と超えてきました。イラストはどれも印象的で、物静かに、そしてどこか不気味な美しさをまとっている。ページをめくるたびに、忘れ去られた夢の深層へと踏み込んでいくような感覚。
その特別さの根源にあるのは、揺るぎない一人のアーティストのビジョンです。『ヴァーセン』の全アートワークは、ヨハン・エゲルクランス氏の筆により導かれています。その一貫性がこの作品に魂を与えています。彼のスタイルは装飾にとどまらず、ゲームそのものを形づくっているのです。
最も驚いたのは、デザイナーであるニルス・ヒンツ氏が「絵に合わせてゲームを作った」という事実。ゲームの世界を“絵に合わせて構築”したことで、筆と影で描かれた世界をそのまま尊重した設計となっているのです。
そのような「敬意ある創造」はとても稀で──そして、確かにそれが作品の深みに現れています。
ビジュアルが世界の空気を整える。そして、ルールが儀式の構造を描く。 耳を澄ませば──ダイスの音にすら、民話の囁きが感じられるようです。
⚙️ “Year Zero Engine”──シンプルでありながら魂があるシステム
『ヴァーセン』は、私にとって「Year Zero Engine(YZE)」との初めての出会いでもありました。これはFree League Publishingが提供する、旗艦的なシステムかつオープンライセンスのTRPGエンジンです。
YZEの核はシンプルさにあります。しかし、そのシンプルさは想像以上の深さを秘めています。

仕組みはD6(六面体サイコロ)のプール制。一握りのダイスを振り、6が出れば成功。失敗した場合は「プッシュ」というルールで再挑戦できますが、その代償としてキャラクターがストレスやトラウマを背負うことになります。無理をしすぎると、代償は大きくなります──しかし、うまく使えば、物語を大きく動かす起点にもなる。
他システムによくある複雑なステータスやスキルツリーは排除され、YZEは必要最小限の属性と技能でキャラクターが作られます。だからこそ、ひとつひとつのロール(判定)が重く、意味を持ちます。サイコロの数も少ないため、特に重要な場面では成功は保証されません。
『ヴァーセン』では、システムはただの結果判定ではなく──キャラクターの“人格”そのものを形づくる要素なのです。 一つ一つのロールが選択の痕跡を残し、プッシュするたびに物語の傷が刻まれていきます。
このシステムは「失敗を前に進める」という価値観を持っています。失敗は物語の“終わり”ではなく──新たな展開。苦悩や混乱。 キャラクターは万能なヒーローではありません。彼らは脆く、人間らしく、時に敵うはずのない存在と向き合うことになります。 時には、撤退こそが賢明な選択となる。それは臆病ではなく──知恵なのです。

ここで『ヴァーセン』は真に牙を見せます。 流血ではなく、不確かさこそが、このホラーに命を吹き込んでいるのです。
このシステムは、物語の補助ではなく──物語そのもの。 プッシュするたびに、迷いが生まれ、キャラクターの心の軌跡が深く刻まれていく。 ダイスを振るという行為自体が、緊張を生み、選択の重みを形にし、感情の渦へと引き込むのです。
厳しすぎると感じるプレイヤーもいるかもしれません。 しかし、私はそれが誠実だと思います──選択の重み、勇気の儚さを尊重するシステム。
ルールが緊張を与え──そして、民話がその解決の方法を語るのです。
👹 意味を持つ怪異──「ヴァーセン」は物語であり、数字ではない

『ヴァーセン』の最も魅力的な特徴のひとつは、登場する怪異──ヴァーセン──それぞれが、民話と物語的論理に深く根ざしている点です。単なる「倒すべき敵」ではなく、解き明かすべき“謎”として描かれます。
ヴァーセンには、それぞれ異なる起源、行動パターン、そして退けるための独自の方法があります。たとえば「ブルックホース(水の精霊馬)」は、力づくで倒すことはできません。すべての面──床、壁、天井──に聖なる印を刻んだ厩舎へと誘い込み、そこで儀式的に封じるか、破壊するしか手がないのです。そうでなければ、怪異は何も意に介さず、破滅的な行動を続けるばかり。
つまり、プレイヤーが「戦闘に勝った」としても、物語の本質では敗北することもある──戦闘は始まりに過ぎず、本当の課題はその怪異が背負う物語──痛み、癖、目的──を理解することにあるのです。
それぞれのヴァーセンは、独自のリズムで戦場を支配します。暴力的に襲ってくる者もいれば、精神を揺さぶる者や、環境を操る者もいます。中には“殺すことすらできない”怪異もいます。封印する、退ける、または宥めることしか手段がありません。この視点はゲームの方向性を根本から変え、「斬って進む冒険」から「真の調査劇」へと昇華させるのです。
あなたたちはただの戦闘狂ではありません。伝説と現実が交差する世界で、神話を解きほぐす“民話探偵”なのです。
もちろん、それでも危険はつきもの。ヴァーセンの中には、驚くほど強力で恐ろしい存在もいます。その脅威があるからこそ、勝利には達成感があり、敗北には深い余韻が残ります。
そして、物語が戦いで終わらない時──謎は「唯一の安らぎの場所」にも影を落とします。 ですが、安らぎの場でさえ、理解と保護が求められるのです。
🏡 屋敷を築く──ある日本の古いホテルに重なる記憶

『ヴァーセン』の中でも特に印象深い設定のひとつが、「生きている屋敷」です──調査者たちに遺されたマナー(邸宅)は、目に見えぬ“遺産”として語られます。
それは『スーパーナチュラル』のバンカーや『グリム』のトレーラーのように、拠点であり、聖域であり、調査者たちの旅路を映し出す“鏡”のような存在。キャンペーンが進むにつれて、屋敷もまた変化します──改築され、拡張され、味方やよそ者、そして……名を口にするべきでない存在さえも住み着くのです。
ミステリーの合間には、プレイヤーたちは屋敷の拡張を選択できます。研究のための図書室、分析のための実験室、精神的防護のための礼拝堂などが整備されていきます。ですが、これらの施設は単なる「システム上の効果」にとどまりません──物語を動かす問いかけとなるのです。
「この実験室は誰が造ったのか?」 「図書室の奥に眠る古書にはどんな秘密が?」 「礼拝堂の扉が勝手に開く理由とは?」

屋敷は、キャンペーンにおける“第二の登場人物”へと変貌します。息づき、記憶し、そして変化する存在なのです。
プレイヤーは探索フェーズで、忘れられた棟を訪れ、古びた日記を見つけたり、元の住人の残留思念と対峙したりします。さらに、屋敷のレイアウトそのものを設計することも可能──チームの個性や価値観を反映させる拠点を創造できるのです。
この設定は、私に強く響きました。かつて私は「意識を持った日本の屋敷ホテル」を舞台にした物語──『忘れられた - かつての私』を書いたことがあります。 『ヴァーセン』に触れた後、日本の旅館を舞台に──調査者たちが集い、休み、畳の廊下や影の中に埋もれた真実を探る──そんな風景が頭をよぎったのです。
この「屋敷」という仕掛けは、単なる面白いゲームギミックではありません。 それは、記憶と遺産を紡ぐ招待状。 そして──プレイヤーたちが、恐怖の合間に世界を形づくる余白を与えてくれるものなのです。
🧭 最後に──民話が導くなら、私はその道を進む
『ヴァーセン』には、まだまだ語り尽くせない魅力が秘められています。私がたどったのは、森の縁──本当の“根”は、もっと深く地中へと伸びているのです。
幽玄なミステリーから、物悲しさを湛えたトーン。情緒あるゲームシステムに、アートの奥に宿る魂──『ヴァーセン』は単なる“ゲーム”ではありません。 それは、ルールブックの姿をしたストーリーブック。 読むだけではなく──生きる民話なのです。
そして私は──本当に“読んだ”のです。 流し見でも、なんとなくでもなく。 ただ静かに、そして澄んだ心で──圧倒されながら、ページをめくりました。

『ヴァーセン』の魅力は、シンプルさだけでなく、深みある誘いかけにあります。プレイヤーに「調査する」「共感する」「内省する」ことを促します。これはホラーゲームです。 でも、「驚かせるから怖い」のではない。 このゲームが本当に問うてくるのは── 忘れられた真実に向き合うこと。悲しみに満ちた歴史を紐解くこと。そして、人が見ようとしないものに対して、静かな居場所を差し出すこと。
そして何より胸が躍るのは── 「神話的北欧」は、ほんの始まりにすぎないということ。
イギリスを舞台にしたサプリメントも登場し、カーパチア地方の拡張も発表されています。 けれど、私の心はどうしても日本へと向かうのです。 霧に包まれた旅館。 竹林のささやき。 ネオンに照らされた裏路地に佇む霊たち。
想像してみてください──旅館が“屋敷”として機能する世界を。 木造の柱には護符が刻まれ、神社の泉から流れ込む鯉の池は、霊が騒ぐと不気味な音を響かせる。 夕暮れ時、障子の隙間からどんな民話が染み出してくるでしょうか。
『ヴァーセン』の枠組みは、日本の多層的な神話と現代の風景にも違和感なく馴染むはずです。 すでにDriveThruRPGには、ファンによる日本拡張も存在しますが──いずれ公式での展開があっても、不思議ではありません。
なぜなら、民話には国境がないから。 それは、私たちの恐れが宿る場所であり──驚きもまた生まれる場所。
私はこのゲームに、心から魅了されています。 これからも、遊ぶ者にとって。 そして、創る者にとって。 この世界が育ち続けることを願っています。
読んでいただきありがとうございます。どこにいても素晴らしい一日をお過ごしください。
