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映画『時には懺悔を』考察

映画『時には懺悔を』を観た。
観終わった後は、重い気持ちになって、重度の障がい児を持つ友人のこと、障がいのある従兄弟のこと、親と子の関係などに思いを巡らせていた。

映画では、様々な人々が描かれている。
⚫︎子育てに関与せず家庭内暴力する夫を指してしまった妻
⚫︎その夫に娘の親権はを奪われ、娘にも嫌われてしまう妻
⚫︎生まれつき脳性麻痺の息子を愛せなかった夫
⚫︎脳性麻痺の息子を独りで世話をし、息子の死後、精神病院に入院してしまった妻
⚫︎脳性麻痺の弟に掛かりきりの母から愛情を得られず、弟を憎んでしまったことに後悔する娘
⚫︎重度の障がい児が生まれ、絶望に陥っていた時、病院で目を話した隙にその赤ちゃんを誘拐されてしまった妻
⚫︎その後、子どものいる裕福な男性の後妻になるが、子どもとに距離を置かれている妻
⚫︎重度の障がい児が誘拐され、妻と離婚し、再婚し健常者の子どもと新しい家庭を築いている夫
⚫︎子どもに恵まれず、子どもを求める妻のために、病院で赤ちゃんを盗んでしまい誘拐犯になった男
⚫︎その赤ちゃんが、重度の障がい児であったにも関わらず、愛を持って育てるその男の妻
⚫︎その妻が、交通事故で亡くなり、重度の障がい児を9年間育て続けた誘拐犯の男
⚫︎高慢で死んでも当然と言われるほど評判の悪い父を憎み殺害してしまった息子
⚫︎誘拐犯の男の障がい児を育てる姿に心が洗われた男
⚫︎ その男が、自分を殺そうとした息子の証拠を隠すために、返り血を浴びた息子に新しいシャツを手渡し、息子の指紋を全て拭き取った父親だった

映画では、この誘拐犯がなぜ自分の人生をかけて24時間介護が必要な重度の障がい児を9年間育て続けているかについての謎解きがされていく中で、一人一人の登場人物の人生の選択と心の変化が描かれている。

私も重度の障がい児を持つ友人や知り合いのことを重ね合わせ考えていた。

その友人は、30代で幸せな結婚後、同じ時期に2人の友人が妊娠した。生まれた子は、友人の赤ちゃんと明らかに異なる、重度の障がい児だった。彼女の人生は幸せから一転して絶望に突き落とされたように見えた。クリスチャンとして、聖書を学ぶミニストリーリーダー同士の結婚であっただけに、この彼らに与えられた困難は神様に選ばれてしまったように見えた。彼女は、多くの友人から距離を置くようになってしまったので彼女の心の状態は分からないが、夫はその後健常者の子どもが生まれても、この重度の障がい児を最も愛し育てているように見えた。

彼女とは疎遠になってしまっているが、彼女の辛さは同じ境遇にならないと理解できないと思った。私自身、がんを宣告された時、自分は死ぬのかと絶望的な気持ちになったが、重度の障がいは、病気ではない。一生、その障がいを抱えた子を支え続け生きていかなければならない現実の方が辛いと思った。

また、今年参加したリトリートでは、別の重度の障がい児と母親が参加していた。しかし、映画で描かれているように、彼女らの周りには、常に彼女達を気配り、祈る女性達がいて愛が溢れていた。

映画では、経済的に困窮しながらも障がい児を育て続ける誘拐犯によって、登場人物達の心が悔い改めと愛に目覚めていく。

この映画で何度も登場する特徴的なセリフがある。

「神様っていると思うか?」

「これほど過酷で不条理な現実のなかで、本当に神は人を救ってくれるのか」という問いかけだと思うが、まさにイエスキリストのように、誰かのために自分を捨てることは、究極の愛のカタチなのだと思わされた。

キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。
(ヨハネの手紙 第一 3:16a)

聖書 新改訳2017

そして神の愛は、私達の内に表れるのだと思った。

「神様っていると思うか?」と問うのは、映画の中で、最も罪深いとされている男であり、誘拐犯が逮捕された後に重度の障がい児の面倒を引き受けようとしていたのは、実の母親でもなく、この男だった。

この罪深い男がここまで変われたのは、単に重度の障がい児を育て続けた誘拐犯に心打たれただけではない。なぜなら、それは他の登場人物も同様に心を打たれ、誘拐犯が逮捕された後の重度の障がい児の行末を心配していた。

人の罪を赦すのは、神ひとりしかいない。

男は神によって、自分の罪が赦されたが故に、この重度の障がい児を愛する行動を取る決心ができたのだと思う。

わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、
もうあなたの罪を思い出さない。
(イザヤ書 43:25)

聖書 新改訳2017

ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」
(ルカの福音書 7:47)

聖書 新改訳2017

人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
(ヨハネの福音書 15:13 )

聖書 新改訳2017

神の愛は全ての人に注がれている。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書 3:16)

聖書 新改訳2017



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