鶴見俊輔・丸山眞男はかみ合わず―対談「普遍的原理の立場」のメモ
鶴見俊輔と丸山眞男の対談「普遍的原理の立場」は『思想の科学』1967年5月号に掲載されているが、この対談は両者の思想の違いがあらわれていて非常におもしろい。両者のかみ合わなさは、この対談の「特殊性と日常性」という部分に集約されている。以下にかみ合っていないの一部を引用してみたい。
鶴見 わたしが丸山さんの議論で、いちばん引っかかるのは、特殊性という問題なんです。これは、天皇制の評価と絡むんですが、それから、現実のヨーロッパを美化していないかということとも絡むんです。特殊性の前に普遍性が先行してなくちゃいけないと、くりかえし言われますね、この「現代日本の革新思想」(筆者注:過去に鶴見と丸山が同席した座談会)のなかで。わたしがいちばんつまづくのはそれなんですよ。(中略)いかなる経験的な判断をとってみても、そのなかに普遍性があるわけですよ。(後略)
丸山 同じことを言っているわけです。論理的に先行するということは。
鶴見 論理的には先行しますよ。同時に、判断のかたちとしては特殊性が先行すると言えないこともないんです。というのは、認識するプロセスで、あとから普遍性が漸進的にあらわれてくる。より普遍的な命題とか、より普遍的な判断として…
丸山 プロセスはまさにそうですよ。いきなり普遍が出てくるはずはない。ただ、どんな特殊的な命題のなかにも、論理的に普遍的なものがふくまれているということを意識していればいいんですよ。それならわたしは何もいうことはない。だから、鶴見さんがね、いかにナショナルと力んでもわたしは驚かない。安心している(笑)。
鶴見 いやあ、そう言われるとぐあいがわるいなあ(笑)。
丸山 つまり、あなたには歯止めがある。根本的にインターナショナルだから。
鶴見 つまり、そこのとこなんです。そう言われると、先どりされちゃって話のつぎ穂がなくなっちゃうんだが、わたしが戦後、そうとうつまずいても立ち直ってきたのは、そこのとこなんですよ。わたしのは、どんなに切りとっても、そこでかなり普遍的な判断ができるような思想の場というものはあるし、八百屋のおばさんはよい人だとか、そういうことの積み重ねで、ある種の普遍的な思想の流れというものは出てくるんだ、そういうものとして思想を組み立てる道がありうるという考えかたなんです。だから、日本的なものとか、日本的な経験の積み重ねをとおして、かなりのていど、普遍的な機能をもった思想をつくりうる。
丸山 そこが鶴見さんの戦争直後の考えと違っているんなら、わたしがむしろ鶴見さんの思想を誤解していたことになる。わたしは、それは日常的なものであって、特殊なものとは言わないんだ。ここに犬がいるとか、われわれは日常的な経験を大事にするのが本当の哲学だということは、まさにあなたから教わったことです。だけどね、日本的なるものと言われると、ちょっと待ってくれと言いたくなるなあ(笑)。
鶴見 いや、日本的と言うことはやめましょう。純粋に特殊的なものということはありえないんですよ。
丸山 それならいい。それなら同じですよ。(後略)
上記の部分には丸山と鶴見の物事の考え方の違いが大きくあらわれている。以下の記事でも紹介したように、丸山は抽象的な理念や規範を人々の行動の前に想定している。一方で鶴見は具体的な経験の積み重ねによって普遍的な思想に至ると考えている。物事の考え方が両者の間で逆であることが分かるだろう。
また、日本文化に対する捉え方も丸山と鶴見は異なっている。上記の記事でも述べているが、丸山は日本文化の消極的な面を強調していたが、鶴見は消極的な面を認め悪い部分はなおす必要があるとしながらも積極的な面もあると肯定的に評価していた。この評価の差のため、鶴見の「日本的」という発言に対して丸山は反応したのだろう。
さらに、ここで丸山と鶴見の考えている「普遍的な思想」という意味合いも異なっていると思われる。丸山は、普遍的な思想として合理的な思想、主体性を確立したヨーロッパの思想のことを想定している。それに対して、鶴見の言う普遍的な思想とはヨーロッパの思想ではなく、人びとの間に普遍的に存在している上述したような経験を積み重ねていって普遍的な判断に近づくということを考えていたと思われる。鶴見はこの対談の中でコモン・センス(常識主義)ということばを使用して説明している。しかしながら、丸山には鶴見の考えていることがうまく伝わらなかったようで、以下のようなやり取りが対談の中にある。
丸山 さっきのアマノジャクもあります。いま、どっちが俗耳に入りやすいか、そうですか。
鶴見 それは普遍のほうが俗耳に入りやすいですよ。
丸山 そこが、根本的に状況判断が違うんだ(笑)。あなたの判断は、実に知識人主義ですよ。政財界のおえらがた、大新聞社の幹部とか、広く日本の社会を見てごらんなさいよ。普遍的という発想とおよそ縁遠いですよ。(後略)
上記のように丸山と鶴見の対談はかみ合わない部分もいくつかあるが、かみ合わない部分は対談のおもしろさのひとつでもあると私は考えているので、この対談がおもしろくないというわけではない。
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