ドパガキが奪うのは集中力ではなく忍耐力
エレベーターを待つほんの十秒の間や信号が青に変わるまでのわずかな時間。昔であればぼーっとするしかなかったのにいつの間にかポケットからスマホを取り出すようになりました。この手軽に手に入る一瞬の楽しさを貪り食う行為をちまたでは「ドパガキ」と呼ぶそうです。
こうした状態をなんとかしようとスマホを物理的に手放すツールや書籍が出されていますが、今の暮らしにおいてスマホ断食のような極端な方法は不可能です。仕事の連絡も生活に必要なあらゆる手続きもすべてがスマホと結びついています。完全に道具を遮断するような不便な暮らしを送りたいわけではありませんし、それを他人に勧めるのも現実味のない空論に思えます。
ここで見つめるべきなのは道具の有無ではなく、なぜあの信号待ちの十秒の空白にすら耐えられなくなってしまったのかという頭の使い方の問題です。
手元のスマホが配ってくれる楽しさは都合の良いものばかりです。一方で目の前にある何もしない時間には何のおもしろさも保証されていません。何もおもしろいことは起きず退屈なままで終わるのがほとんどかもしれません。信号待ちの十秒間とは結果が保証されていない自分ではどうにもできない時間です。
空白を前にした瞬間にスマホを開いてしまうのは、ハズレかもしれない不確実な状況に頭が1秒も留まれなくなっている証拠です。
これはスマホに依存しているというよりも、ハズレのない楽しさばかりを脳に与え続けた結果、思い通りにならない現実に耐えるための体力が完全に衰えてしまっている状態と言えます。
しかし私たちの生活や仕事、そして人間関係といった現実はすべて結果がどうなるか分からない思い通りにならないことの連続です。絶対にうまくいくと決まっている仕事も失敗しない対人関係も存在しません。人生の本当に大切な部分はすべてそうした不確実性で満たされています。
脳がスマホのいつかアタリが出るコンテンツに甘やかされ続ければ、少しでも結果が見えない状況や、思い通りにいかない局面に立たされただけで頭がすぐに嫌になって逃げ出すようになってしまいます。ハズレを極端に嫌い確定したおもしろさだけを求めようとすることが、結果として目の前の現実を生きる力を奪っています。
だからこそ思い通りにならない時間を他人のコンテンツで埋めてやり過ごすのをやめ、それをコントロールすることが必要とされています。
不確実な状況を自分の手元で動かすとはどういうことでなぜそれほどまでに重要なのか。コントロールできるようになると私たちの日常や機嫌はどのように変わっていくのでしょうか。
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