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食卓に普段使いのスパイスを(第2回)【前編】

「味がない」から始まる、ちょっと遠回りな話

ネパールのダルバートを食べたときみたいに、スパイスにも「食べたあと、気持ちが整う」瞬間があります。

それは、派手な辛さとか、強烈な香りの話ではなくて、料理が静かにまとまる、あの感じ。第1回が自己紹介を含んだ“さわり”の回だとしたら、
第2回は、一気にギアを上げた回でした。

テーマはシンプルです。
「スパイスって、結局なんなの?」を、ちゃんとやる。
そのために、ちょっと寄り道もします。
今日の目次は、こんな感じでした。




スパイスとは?

ーーまず“条件”から確認する

スパイスの定義って、ふわっとしているようで、意外と輪郭があります。
第2回ではまず、条件を3つにまとめて話しました。

  • 植物であること

  • 風味や香りが優れていること

  • 味がないこと

最後の「味がない」は、いつも面白いところです。
香りはある。辛味もある。なのに「味がない」。

ここで言う“味”は、甘味・塩味・酸味・苦味みたいな、味覚の中心の話。
スパイスはそこを直接いじらない。
だからこそ、料理の骨格を壊さずに、横から支えられる。


「無いからこそ、有る」

料理って、塩や醤油みたいな“味付けの調味料”が中心にあって、
スパイスは、そこに後から乗るものだと思われがちです。

でも実は逆で、
味のない香辛料が、料理に新しい調和をもたらす。 そして、ちょっと笑ってしまう一言が続きます。

たくさん入れても味は変わりません… 

スパイス講座第1回

これ、体感的には「えっ?」なんですけど、
いかがですか?

味覚の中心は変わらない。でも印象が変わる。
料理の“雰囲気”が変わる。
スパイスって、そういう存在です。


スパイスのかたち

スパイスは「何の植物か」だけじゃなくて、どこを使うかでも変わります。

  • 植物の種類(シソ科、マメ科、クスノキ科など)

  • 植物の部位(種子、樹皮、葉、根など)

  • 植物の状態(ホール、ペースト、パウダー) 

同じ植物でも、葉と種で別物になる。
フレッシュとドライで別の顔になる。
この「別人っぷり」が、スパイスの難しさであり、面白さです。


まとめ:スパイスは“料理をまとめる道具”

第2回では、スパイスの効果を4つに整理しました。

  • 香りづけ(賦香)

  • 色づけ(着色)

  • 辛味で引き締める(呈味)

  • 臭み消し(矯臭・脱臭)

つまりスパイスは、
「味を足す」というより、
料理をまとめる方向に働くことが多い。

ここまでが、“スパイスとは”です。

でも第2回は、ここからが長い。
ここから先は、食卓の外側の話に入ります。


補足:一日三食はいつから?

スパイスの話なのに、急に「一日三食」の話になります。
でも、この寄り道はけっこう大事で。

トーマス・エジソン:wiki

西洋でも一日二食が当たり前だった時代に、
ある発明がきっかけで三食が増えた、という話があります。
エジソンが発明したトースターを売るために三食化を進めた、と。

トースター:wiki


日本では明暦の大火(1657)で江戸が復興する過程で職人が流入し、
外食産業が隆盛していった。

明暦の大火:wiki

食べ方は、文化でできている。
当たり前は、いつも後から作られる。


日本のカレー事始め

ここで、もう一段だけ歴史の話をします。
第2回で触れた「日本にカレーが入ってきたのはいつ?」という問いは、ふわっとした雑学じゃなくて、“日本のカレーがどんな方向に育ったか”を決めた分岐点の話だからです。

講座資料でも触れた通り、日本のカレーの早い記録としてよく挙げられるのが、明治5年(1872年)に刊行された料理書――
**『西洋料理指南』『西洋料理通』**です。
(書誌情報:国立国会図書館サーチ/デジタルコレクション)国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)+1

1)『西洋料理指南』の「カレー」は、すでに“粉”であり、とろみがある

国立国会図書館の展示解説でも、明治5年刊『西洋料理指南』に「カレー」のレシピが載っていること、材料や調理時間の指定があることが紹介されています。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)+1

そして、レシピのポイントを現代語で言い換えると、

  • 葱・生姜・にんにく等を**牛酪(バター)**で炒める

  • 水(または汁)と具材を入れて煮る

  • **「カレーの粉」**を加えて煮込む

  • 仕上げに、小麦粉(うどん粉)を水で溶いて入れ、とろみをつける

という流れです(原文の翻刻・解説に基づく要約)。キッコーマン+1

ここで大事なのは、カレーが「スパイスを調合する料理」としてではなく、すでに **“カレー粉(ミックス)を使う料理”**として現れている点です。キッコーマン

2)『西洋料理通』も同じく「カレー粉+小麦粉」で“とろみ”を作っている

もう一方の『西洋料理通』も、カレーの作り方を紹介しています(横浜開港資料館の解説では「カレーライスのレシピを翻訳し紹介」と位置づけられています)。kaikou.city.yokohama.jp

こちらも要点は同じで、
バターと葱(など)を使い、カリー粉と**麦の粉(小麦粉)**を合わせて煮ていく、という組み立てになっています(原文の翻刻・解説に基づく要約)。キッコーマン+1

つまり、この時点で **「カレー=カレー粉で香りづけし、小麦粉でとろみをつける」**という型が、すでに日本語の料理書のなかで共有されている。

3)なぜ「小麦粉でとろみ」なのか=“イギリス方式”という翻訳

そしてここが、講座資料で言っていた「イギリス方式」の核心です。

『西洋料理指南』と『西洋料理通』のカレーに共通している特徴として、解説では
**「とろみを出すために小麦粉を使っている=イギリス伝来の製法」**だと整理されています。キッコーマン

この「とろみ」は単なる好みではなく、料理の性格を決めます。
スパイスを“立てる”方向ではなく、シチューのように“まとめる”方向へ。
日本のカレーが後に「ルウ」「とろみ」「ご飯に合わせる」方向へ強く伸びていく下地は、この時代の“翻訳された型”にすでに見えているというわけです。キッコーマン+1

だからこそ、第2回のスパイス講座でここを挟む意味がある。
スパイスは、いきなり「現地の味」になるものではなく、まず “扱える形(粉/ルウ)”に翻訳されて食卓に入ってきた
その入口を知っておくと、いま自分の台所でスパイスを使うときの見え方も変わってくるんです。


そのあと、どうやって「国民食」になったのか

明治5年(1872年)の『西洋料理指南』『西洋料理通』に、カレーの原型——カレー粉を使い、小麦粉でとろみをつけるという「型」が見える、というところまで話しました。 そして実は、この“型”が入ったあと、日本のカレーはじわじわと「家庭で作れる方向」に向かっていきます。

1)まず「カレー粉」が日本の側に降りてくる

料理書に登場するカレーは、すでに“カレー粉(ミックス)”前提でした。国立国会図書館デジタルコレクション
とはいえ、当時の一般家庭が気軽に扱えるものではありません。ここから先、日本のカレーが広まるには、家庭に届く形の商品が必要になります。

その大きな節目のひとつとして、1905年(明治38年)に国産カレー粉が製造・販売された、という企業史が残っています(ハチ食品の沿革)。hachi-online.net
同じ年を「国産カレー粉の製造・販売開始」として整理する年表もあります(ハウス食品のカレー史解説)。ハウス食品

要するに、明治の終わり頃から、カレーは「本の中の西洋料理」ではなく、**商品としてのスパイス(ミックス)**として、じわじわ生活圏に入っていった。

2)軍隊の“大量調理”と相性がよかった(ただし神話化には注意)

次の大きな推進力になったのが、軍隊という巨大な給食装置です。
海上自衛隊の解説では、創設期の日本海軍がイギリス式の制度を取り入れるなかで、カレーが兵食改革の一環として扱われ、料理法が「5等厨夫教育規則(明治22年)」や「海軍割烹術参考書(明治41年)」などで紹介された、と説明されています。防衛省
また、京都府舞鶴市も「海軍割烹術参考書(1908年)」にカレーを含む洋食が載っていることを紹介しています。city.maizuru.kyoto.jp

ここで大事なのは、「海軍がカレーの起源」という単純な話ではなく、
“大量に作れて、栄養をまとめられて、味が安定する”という意味で、カレーが給食システムに向いていた、という点です。
(そして、その“味が安定する”を支えたのが、まさにカレー粉+小麦粉のとろみ
だった、という話に戻ってきます。)

3)戦後の学校給食で「子どもの味」になる

戦後になると、カレーの普及はさらに加速します。
文部科学省の資料(PDF)では、1946年から学校給食が再開され、再開当初からカレーライスもメニューに加えられ、子どもたちに喜ばれたと説明されています。文部科学省

ここでカレーは、“外食で食べる西洋料理”でも、“軍隊の料理”でもなく、
**「学校で食べた記憶の味」**になります。
この経験は強い。家庭の食卓に逆輸入される形で、カレーが「みんな知ってる味」になっていきます。

4)1950年代〜:粉から「ルウ」へ。家庭料理として定着する

そして最後に、家庭での再現性を決定的に上げたのが、固形ルウです。
S&Bのカレー史では、1954年に同社初の固形カレールウを発売したとしています。sbcurry.com
また、戦後の即席カレー(ルウ)市場が1950年代に立ち上がっていったことは、日経の解説記事でも整理されています。style.nikkei.com

さらに、研究論文(神戸大学のディスカッションペーパー)では、ハウス食品が「ハウス印度カレー」で固形ルウを発売したのが1960年であることに触れています。rieb.kobe-u.ac.jp
ここまで来ると、カレーは完全に「家庭で作る料理」になります。

  • 学校給食で好きになる

  • 家でルウを使って再現できる

  • 家ごとの“うちの味”が生まれる

こうして、カレーは「外から来た料理」ではなく、
家の中に根を張る料理になっていった、という流れです。

カレーって最初から「異国の料理がそのまま来た」わけじゃなくて、
日本の手の届く形に、少しずつ姿を変えながら入ってきた料理なんですよね。粉になって、ルウになって、学校で食べる味になって、家の鍋の味になっていく。それって、良い/悪いじゃなくて、暮らしに馴染むための変化だったんだと思います。

だからスパイスも同じで、「本場の正解」に寄せるために使うというより、
今日の自分の台所にちょうどいい場所を見つけるために使う。
うまくいったときって、派手な感動じゃなくて、食べ終わったあとに「あ、なんか整ったな」って感じが残る。

この感覚を持ったまま、次はフェンネルの話に戻ります。

👉 後編につづく


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