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【新連載!】飯屋で目撃した吉村公三郎VS新藤兼人!『源氏物語』『愛妻物語』~池広一夫監督インタビュー#1

今回から毎月第一週の連載は池広一夫監督のインタビューになります。

池広監督は1929年東京出身、立教大学を卒業後、1950年10月に大映京都撮影所に助監督として入社されます。戦後一期生でした。

監督作としては「眠狂四郎」「座頭市」シリーズなど、大映時代劇の名作を数多く撮ってきた池広監督には、2010年6月28日にご自宅近くの喫茶店でインタビューさせていただきました。
この時の分量は、なんと5時間超。私の取材の中でも最長となっております。

その一部は同年に発売された「眠狂四郎」DVDボックスの解説書で使わせていただきましたが、実は大部分が未発表のまま。
そして、監督は2025年10月に残念ながら亡くなってしまいました。

そこで、ご遺族の了解をいただいた上で、このたびインタビュー連載としてその全体を発表することにしました。
その内容はまさに、大映京都の歴史そのものといえます。

まずは、助監督時代から。
大映は「グランプリの大映」と呼ばれるほど、多くの海外映画祭のグランプリ作品を輩出してきました。
第5回カンヌ国際映画祭撮影賞を受賞した1951年の吉村公三郎監督『源氏物語』やヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した53年の溝口健二監督『雨月物語』の助監督に参加。後のご自身の演出においても、大きな影響を受けています。

今回は、『源氏物語』の現場の話になります。


三隅さんを失敗させるな!


――助監督時代には、主にどういった監督に付かれましたか?

池広:僕が幸運だったのは、いい監督にたくさんつけたってことですよ。助監督は40人近くいたんですけど、僕一人だけが東京生まれの東京育ちだったわけ。 だから、いわゆる外来の監督が来ると、そこに付けられた。だから吉村公三郎さん、マキノ雅弘さん、渡辺天皇(邦夫)、 それから斎藤寅次郎、清宏。とにかく 20人近い監督に付いたんですが、「何組」という専門で付いた監督は少ないんですよ。 森一生さんなんかも 2本ぐらいしかついてないんじゃないかな。 だから、引っ張ってくれる人がいなかった。

――そうした中で、「お師匠さん」みたいな監督はおられますか?

池広:全て師だと思いますよ。 ただ、影響を受けたのは吉村さん。吉村さんが『源氏物語を』撮ることになり、 まだセカンドだった三隅研次が初めてチーフやる。それで、「なんとかみんなで三隅を応援しないと」となったんです。

――三隅さん、慕われてたんですね。

池広:それもあるんですが⋯⋯。

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