攻めの日本と、宣言の英国 ─ガバナンスコード改訂は「国の病」を写す
2018年1月、英国で、官公庁事業を広く受託していた建設大手カリリオンが強制清算に入りました。
病院や学校の施設管理から給食まで、公的部門の契約は400件を超え、従業員は約4万5,000人。それだけの会社が、ほとんど前触れなく消えました。破綻前の3年間、決算には「無限定適正」の監査意見がついていたにもかかわらず、です。
英国のガバナンス改革は、この事件で方向が決まりました。到達点のひとつが、2024年に改訂されたコーポレートガバナンス・コードです。取締役会に、内部統制の有効性を毎年「宣言」させることにしました。
一方、直近、7月21日に確定した日本のガバナンスコード2026年改訂は、逆を向きました。リスク管理を、「収益機会」という言葉の隣に置いたのです。
同じ名前の文書が、なぜ逆を向くのか。
コードは普遍のベストプラクティス集ではなく、その国の病に合わせた処方箋だからです。
この記事では、2つの改訂を並べて、処方箋の向こうにある病名を読みます。
日本: リスク管理を「攻めの裏付け」に置き直した
改訂版コードの序文は、原則の性格をこう宣言しています。
本コードが定める各原則(基本原則・原則)は、経営陣にとっての制約と捉えることは適切ではなく、むしろ果断な意思決定やリスクテイクを伴う事業活動を後押しするものである。
そのうえで、リスク管理を扱う原則4-4に新設された「解釈指針」に、3つのことが書き込まれました。
位置づけ: 内部統制や「先を見越した」全社的リスク管理は、リスクの最小化のために重要であるのみならず、「経営陣が果断にリスクテイクを行うための裏付けとなり得るもの」
範囲と担い手: グループ全体を含めた体制の構築と、内部監査部門を活用した運用状況の監督
考慮事項: サイバーセキュリティ、経済安保がらみのサプライチェーン途絶、技術流出。これらへの対応は「収益機会にもつながり得るもの」
リスク管理が、守りの棚から出されて、攻めの裏付けの位置に置き直されました。全上場会社は、遅くとも2027年7月末までに改訂版対応のガバナンス報告書を提出することになります。
英国: 取締役会に「宣言」を課した
英国のコード(FRC・2024年1月改訂)の核心は、Provision 29です。
取締役会は、リスク管理・内部統制の枠組みを監視し、少なくとも年1回その実効性をレビューする。対象は財務統制に限らず、業務・報告・コンプライアンスを含む「重要な統制(material controls)」のすべて。そして年次報告書に、決算日時点で重要な統制が有効だったという「宣言」と、有効に機能しなかった統制があればその内容と改善策を記載する ── 2026年1月1日以降に始まる事業年度から適用されています。
米国が法律(SOX法)で課してきた統制の有効性評価を、英国はコードの側に書き込んだ形で、「英国版SOX」と呼ばれてきた議論の着地点です。冒頭のカリリオン破綻に始まる監査・ガバナンス改革論議は、当初の法制化構想が縮小され、コードによる自律の枠組みに落ち着きました。
つまり英国は、取締役会に守りの証明を求める方向へ動いた。日本が攻めの裏付けを書いたのと、ちょうど逆向きです。
逆を向いた理由は、病名が逆だから
2つの改訂は、どちらかが正しくてどちらかが遅れている、という話ではありません。処方している病気が違います。
日本の病名は「リスクを取らないこと」です。 今回の改訂の主眼は成長投資の促進に置かれ、設備・研究開発・人的資本への資源配分を取締役会が具体的に説明することを求めました。現預金を溜めたまま投資に回さない ── 当局が処方すべきと考えた病は、暴走ではなく萎縮でした。リスク管理が「果断にリスクテイクを行うための裏付け」と位置づけられたのは、この文脈の中です。
英国の病名は「守りが崩れたこと」です。 官公庁事業を広く担う大手が突然破綻し、直前まで監査は通っていた。統制と監査への信頼が崩れたところから改革論議が始まっているので、処方は「取締役会自身に有効性を宣言させ、機能しなかった統制を開示させる」方向に向かいます。
ここには皮肉もあります。ガバナンスコードの代名詞でもある「コンプライ・オア・エクスプレイン」、すなわち、原則を実施するか、実施しない理由を説明するという日本のコードの背骨は、1992年の英国のキャドバリー報告書で生まれ、英国コードが育ててきた仕組みです。日本は2015年のコード策定時に、この仕組みを採用しました。
手本を輸入した相手と、10年で処方がここまで分かれた。
仕組みの器は同じでも、載せる処方は病名で決まる、ということです。
「唯一の正解」への収束は、起きていない
日英が逆を向いたという事実は、それ自体が、もう一段大きな転換の一部です。
2001年、会社法学者のハンズマンとクラークマンは「会社法の歴史の終わり」という論文で、世界のガバナンスは株主指向モデルへ収束していくと論じました。長くその通りに見えました。
けれど、The Economistは今月のコラムで、時価総額1兆ドル級の巨大企業群を4つの型に整理しています。
株主至上型: 分散した株主と機関投資家の圧力が経営を規律する、教科書どおりの型。米国の大手優良企業の多くがここに入る
創業家パターナリスト型: 創業家・創業者が種類株などで長期の支配権を握る型。バークシャー・ハサウェイやサムスンなど。長期の大型投資に踏み切りやすい一方、承継と少数株主の保護が弱点になる
国家チャンピオン型: TSMCやサウジアラムコのように、国益と企業戦略が一体化し、政府が事実上の筆頭利害関係者になる型。地政学がそのまま経営リスクになる
ホッブズ型: 株主がカリスマ創業者に全権を委ねる型。マスク氏のテスラやスペースXが典型。決断は速いが、統治を一人の判断力に賭ける構造
単一モデルへの収束は、少なくとも経済の最上層では起きていません。
そしてこの分類は、日本の読者にとって人ごとではありません。日本の上場企業の多くは、純粋な株主至上型というより、創業家型や、政策保有株・グループ関係の濃い型に寄っています。株主圧力を効かせることを前提にした処方が、株主圧力が構造的に効きにくい体質の会社に、同じように効くとは限らない。国の間だけでなく、同じ市場の中でも、病名と処方の適合は一社ずつ違います。
実務への転用 ── 処方箋は、病名から
この構図は、自社のガバナンス・リスク管理を設計する場面にそのまま転用できます。
ベストプラクティスを輸入する前に、「何の病への処方か」を確認する。 英国型の統制宣言も、日本の「攻めの裏付け」も、それぞれの病に効くよう調合された処方です。病名の確認を飛ばした輸入は、健康な臓器に薬を投じることになります。
自社の病名を、先に言葉にする。 自社はリスクを取りすぎて事故を起こす側か、取らなさすぎて縮む側か。前者なら統制の証明を厚く、後者なら「ここまでなら行けます」と言える線と見取り図を先に。処方は逆になります。上の4類型でいえば、自社の統治の体質がどの型に寄っているかで、効く処方も変わります。
ガバナンス報告書は、病名と処方の整合で書く。 2027年7月末までに全上場会社が報告書を書き直します。原則4-4への対応を、体制があることの説明でなく、「自社の病名はこれで、この処方がこう効いた」という筋で書けるか。書き出しの型でいえば、「当社の課題は(病名)にあり、(処方)を整備した結果、(実例)につながった」の順で一段落を書けるかどうか、です。ここが他社の報告書との分かれ目になります。
自社の病名を言えないまま書かれた報告書は、どの国のコードに準拠していても、誰の処方箋でもありません。
むすび
日本のコードが「攻め」を書いたのは、日本企業への診断がそうだったからです。診断が違う会社 ── すでに十分アクセルを踏んでいて、ブレーキの整備が追いついていない会社にとっては、むしろ英国の宣言型のほうが効く処方かもしれません。
コードを読むとは、処方箋の向こうに病名を読むことです。そして自社に書くべき処方は、自社の診断からしか出てきません。
2027年7月の報告書に写るのは、コードへの準拠度ではなく、自己診断の精度です。
お知らせ
記事は、メール・音声・動画でも届けています。
📮 ニュースレター『コンプライアンスの地図』(編集後記含む内容をメールで):
🎧 ポッドキャスト『BookSide』(中央経済社の編集者と、実務の話を):
▶️ YouTube「コンプライアンスの地図」(記事の音声版):
出典
金融庁「コーポレートガバナンス・コード(2026年改訂版)の確定について」(2026年7月21日) https://www.fsa.go.jp/news/r7/singi/20260721.html ── 引用は(別紙1)改訂版コード本文(序文、原則4-4およびその解釈指針)より。適用時期は(別紙3)より。プリンシプルベース・アプローチとコンプライ・オア・エクスプレインの採用は序文4・5項。
FRC "UK Corporate Governance Code 2024"(2024年1月公表) https://www.frc.org.uk/library/standards-codes-policy/corporate-governance/uk-corporate-governance-code/ ── Provision 29(重要な統制の実効性レビューと宣言。2026年1月1日以降開始事業年度から適用)。
カリリオン破綻の事実関係(2018年1月15日強制清算・従業員約4万5,000人・英公的部門契約約420件・2014〜2016年度の無限定適正意見): 英国会計検査院(NAO)報告書(2018年6月)、英議会合同委員会調査、FRCによるKPMGへの制裁公表(2023年10月)。
The Economist, Schumpeter, "Elon Musk and the age of the corporate leviathan"(2026年7月8日) https://www.economist.com/business/2026/07/08/elon-musk-and-the-age-of-the-corporate-leviathan
Henry Hansmann & Reinier Kraakman, "The End of History for Corporate Law"(2001)
「コンプライ・オア・エクスプレイン」の起源: Cadbury Report "The Financial Aspects of Corporate Governance"(1992・英国)。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!