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報酬は当然であり、温もりはエンジン__社会に出た息子へ

これは解釈ではなく、すべて事実です。

はじめての社会と、小さな疲労

はじめてのアルバイト。
毎日本当にお疲れ様です。
覚えることもいっぱいで、気を張る日々が続いていることと思います。
帰ってきたあなたの、少し疲れた背中を見るたびに、
「ああ、社会の扉を開けたんだな」と、私は静かに感慨深く思っています。

世の中に出ると、学校では教えてくれなかった現実に、たくさん出会います。
大人の世界には、働く人が人として丁寧に扱われないこともあります。
頑張っているのに、それが当たり前のように扱われること。
働いたことへの対価を、なぜかこちらからお願いしなければならないこと。
連絡を待っている人がいるのに、不採用なら何の連絡もしないこと。
そんな、少し冷たい現実もあります。

フリーランスという世界で知ったこと

私も以前、ほんの一時期ですが、「自分のやってみたい」という気持ちから、フリーランスとして仕事をしていたことがあります。
時代といえば、それまでなのかもしれません。
いい意味で対等だからこそ、案件の話で直接会っても、お茶代はもちろん自腹。それが当たり前の世界でした。
案件に応募しても、不採用なら連絡がない。
それも、ある意味では当然のような空気がありました。

さらに、社会貢献型の仕事になると、事情はもっと複雑でした。
「社会のために」という思いがなければ、とても続けられないような仕事なのに、「私たちはお金がないから無償で」と言われる。
それだけなら、まだ分かります。
けれど、その無償の労力を、まるで「やらせてあげている」かのように扱われる場所があるのも事実です。
実際、私は過去にボランティアとして参加しながら、参加費まで支払ったことがあります。

フリーランスは、仕事に必要だからという理由で、参加費や受講料、イベント代、食費、交通費など、さまざまなものが自腹になります。
もちろん、自分で事業をしている以上、ある程度は当然のことです。
それでも、そうした負担が積み重なっていく中で、「成果が出ていないから」
と言われ、報酬が滞った案件もありました。
働いた分の報酬を受け取ることを、こちらから何度も交渉しなければならない。
私は、これは健全な関係ではないと思っています。

最初にあった「応援したい」「力になりたい」という善意があったからこそ、続けてこられた。
けれど、その善意を深く傷つけられるような経験も、私はしました。
その経験があったからこそ、今の私は強く思います。

働いたなら、報酬を受け取っていい。いや、あまりにも当然のことだし、変な案件は損切りするのは当然だ、と。

ちゃんとした「労働」にある温もり

実際に働きに出たとき、それはフリーランスの世界に限らず、世の中の労働の現場でも同じように直面することがあります。
面接を受けても連絡が返ってこなかったり、働く人を大切に扱わない冷たい空気が漂っていたりする場所は少なくありません。

フリーランスを経験したあと、私は改めて、ちゃんとした「労働」の現場にある温もりが懐かしかったのだと気づきました。
決められた時間に働き、決められた仕事をして、その対価としてお給料をいただく。
そこには、自分の懐を守ってくれる仕組みがあります。
そして、それだけではありません。
人と人が一緒に働く場所には、数字や効率だけでは測れないものがあります。

たとえば工場で、少し品質に落ち度があったとしても、「これ、中身はオッケーだから」と声をかけて、みんなで分け合えるような優しさ。
かつて私が歯科助手として働いていた頃には、年に一度以上、先生が美味しいご飯をご馳走してくれました。
仕事が終われば、「お疲れ様」と、お茶やお菓子をそっと用意してくれる。
今思えば、あれは単なるお茶やお菓子ではなかったのだと思います。
「今日もよく頑張ったね」という気持ちが、そこに込められていた。

人間は不思議なもので、ふとしたときに誰かにお茶をご馳走してもらったり、温かいご飯を食べさせてもらったりするだけで、「よし、また頑張ろう」と思えることがあります。
そこには、数字にも効率にも表れない、生身の人間同士の体温があります。
人と人がちゃんと労い合う場所には、温もりがある。
私は、それを自分自身の経験から知りました。

「ご自愛」は、尊厳を守るための防衛策

だから、フリーランスの孤独も、労働の現場の冷たさも、そして温もりも知っている私が思う「ご自愛」は、決して自分を甘やかして怠けるための言葉ではありません。
不条理な現実の中で、自分の心と尊厳をすり減らさないための、大切な防衛策です。

無償のボランティアなど、自分が納得して選んだ活動でない限り、労働であれフリーランスであれ、働いたことへの報酬を受け取るのは当然です。
そして、ボランティアであれ、仕事であれ、何であれ。
誰かに温かいご飯をご馳走してもらったり、お茶を出してもらったりすること。
私は、そういう小さな温もりも、とても大切なものだと思っています。

誰かが自分の時間や労力、存在そのものを「価値のあるもの」として扱ってくれる。
その実感が、人をもう一度立ち上がらせてくれることがあります。
だから私は、それをエンジンと呼びたい。

報酬は当然の対価。
温もりは、また明日へ向かうためのエンジン。

もし、そのエンジンさえ切られてしまうような場所にいるのなら、無理をして戦い続けなくてもいい。
報酬を受け取ることを、こちらから何度もお願いさせられるような関係。
人としての尊厳まで削られてしまうような関係。
そんな場所から離れることは、逃げではありません。
自分を大切に扱わない人たちと、無理に関わり続ける必要はないのです。

そんな相手、場所の見分け方については、こちらで書いてます。

息子へ

これから先、仕事で傷つくことがあるかもしれません。
理不尽なことを言われたり、頑張っているのに認めてもらえなかったり、「どうして自分ばかり」と思う日が来るかもしれません。
心がカサカサに乾いてしまう日も、きっとあるでしょう。

そんなときは、どうか無理をして強がらなくていい。
まず、自分を大切にしよう。
まず、自分の心とお腹を、温かいもので満たしてあげてほしい。
温かいご飯を食べて、温かいお茶を飲んで、眠って。
誰かに「お疲れ様」と言ってもらえたら、その言葉を素直に受け取ってください。

そして、自分自身にも、「今日もよく頑張ったね」と言ってあげてほしい。

自分で自分を大切にすることは、決して特別なことではありません。
地に足をつけて生きていくために、とても大切なことです。

働くことは、我慢することではありません。
誰かの役に立つことと、自分を粗末にすることは、同じではありません。
あなたが働いた分の報酬を受け取ることも、誰かからの温かい労いを嬉しいと思うことも、どちらも当たり前のことなのです。

初めて社会の荒波に立ったあなたの背中を、私はいつだって見守っています。
今日は温かいお茶でも飲みながら、今日あったことをゆっくり聞かせてくださいね。

追伸__ばあばから教わった「労う」ということ

あなたのばあばであり、私にとっては姑である義母は、とても芯が強く、こだわりもあり、自分の意見をはっきりと言う人です。
私が食べることが大好きなのを知っているので、必ずご馳走してくれます。
そのぶん、言われることもなかなか厳しい。
本音をズバッと言われて、「そこはちょっとイタイな」と感じることもあります。
けれど、それも私やお父さんが、これから先も末永く健やかにいられるようにと、先を見据えて、必要なことをはっきり伝えてくれているのだと思います。
本当の意味で、やさしい人なのです。

嫁と姑。
一筋縄ではいかない難しい関係の中で、お互いに本音で向き合えばこそ、納得できないこともたくさんありました。
それでも、家で業者さんにサービスをお願いするときには、必ず持ち帰れる飲み物を用意して、渡す。
それが義母の姿でした。
「今日はありがとうございました」
「お疲れ様でした」
そうやって、相手の労力をちゃんと見て、手ずから労う。
私は、その背中をずっと近くで見てきました。

今は、そうした優しさや気遣いまで、ときに「お節介」だとか「老害」だとか、冷たい言葉で片付けられてしまうことがあります。
それが、私はとても悲しい。
もちろん、相手が望んでいないことまで押しつける必要はありません。
けれど、誰かのためにお茶を用意すること。
仕事をしてくれた人に「ありがとう」「お疲れ様」と伝えること。
温かいご飯をご馳走すること。
そういう、効率には表れない小さな優しさまで、古いものとして捨ててしまっていいのでしょうか。

損得や効率ばかりが優先されて、目に見えない温もりや、「お疲れ様」の体温まで切り捨てられていくような時代だからこそ。
私は、義母から受け取ったものを、手放したくないと思っています。

人を人として見ること。
誰かの労力に気づくこと。
頑張った人に、「ありがとう」と「お疲れ様」をちゃんと伝えること。
そして、自分自身もまた、誰かに大切に扱われていい存在なのだと忘れないこと。

効率ばかりが重視され、作業のコマのように扱われるだけの冷たい関係よりも、やっぱり私たちは、温もりを交わし合える世界がいい。

報酬は、働いた人が受け取る当然のもの。
そして温もりは、人がまた明日へ向かって歩き出すためのエンジン。
あなたがこれから出会う社会の中で、どうかその両方を大切にしてほしい。
そしてもし、どちらも与えられない場所に出会ったなら――そこに居続けなくてもいいのです。

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tomori|いつか、あなたへ ここまで読んでいただきありがとうございます。 誰かにご馳走してもらうことが、私のエンジンです。 共感できたら、背中を押してください。いただいた温もりで、また書きます。