「お金は、社会を巡る血液だから。」40歳の母が、息子に渡しておきたいお金の扱い方
通帳の残高や、今月の引き落とし額の通知画面を見つめながら、ふとお金の手触りについて考えていました。
若い頃の私にとって、お金はただ「欲しいものを買うためのチケット」であり、残高が減っていくたびに胸がざわつく「恐ろしい数字」でしかありませんでした。
けれど、暮らしを重ね、自分の足で立ち、小さな息子の手を引いて歩くようになった今。お金に対する手触りが、少しずつ変わってきた気がします。
いつか息子が大人になり、自分で働いて給料をもらい、税金を払い、お金を使い、社会と関わっていくようになったとき。
知識やテクニックとしてのマネーリテラシーではなく、「お金とどう向き合って生きていってほしいか」という生き方の軸を、ここに書き残しておこうと思います。
お金は、社会を巡る「血液」のようなもの
私がお金について一番伝えたいのは、「お金は社会を巡る血液だ」ということです。
血液は、体の中を一箇所に留まらず巡り続けることで、全身に酸素や栄養を運び、命を繋いでいます。
お金もまったく同じです。 銀行口座や金庫の中に数字として固く閉じ込めておくだけでは、ただの電子データや紙切れに過ぎません。あなたがスーパーで野菜を買い、電車に乗り、誰かにお礼を支払うことで、巡り巡って街のパン屋さんが存続し、バスが走り、誰かの給料になっていきます。
お金を稼ぐことも、使うことも、あなたが社会という大きな体に「健やかな血液を循環させる営み」に参加するということなのです。
レジでの「ごちそうさま」に乗せるもの
お金を使うとき、人はつい財布や口座から「自分の手持ちが減った」という感覚にとらわれがちです。
けれど、できればそこに「感謝」という酸素を乗せて手放してほしいと思っています。
だから私は今、できるかぎりお店を出るときに、店員さんに「ごちそうさまでした」「ありがとうございました」と声をかけるようにしています。
スーパーのレジ、定食屋さん、近所のカフェ。
「減った」と暗い気持ちになるのではなく、「美味しいごはんを作ってくれてありがとう」「この場所を残してくれてありがとう」という気持ちと一緒に手放す。
どこにお金を支払うかは、「どんなお店や、どんな仕事、どんな街をこの世に残したいか」という投票のようなものです。あなたが温かい気持ちで送り出した血液は、巡り巡って、またいつか形を変えてあなたの元へ戻ってきます。
株価の画面を閉じて、考える「出口」のこと
私自身もこれまで、お金を巡らせる一つの形として、個別株の運用などを通して企業にお金を投じることを経験してきました。
株を持つということは、ただ画面上の数字が増減するゲームではありません。「この企業のサービスが好きだ」「この会社が社会に増えたら、きっと世界は面白くなる」という会社に、自分の資金を託して応援することです。
けれど、スマートフォンの画面で日々変動する評価額ばかりを眺めていると、つい「いくら増えたか」「失っていないか」という数字の増減だけに心が奪われそうになります。
大事なのは、投資という形で企業を応援する「入口」だけでなく、そこから手元に入ってきたお金や配当を、日常でどう使っていくかという「出口」の美意識です。
応援したい企業に投じること(投資)も、目の前のお店や大切な時間にお金を支払うこと(消費)も、本質はまったく同じです。
お金を増やすノウハウばかりを追うのではなく、「自分はどんな価値や企業、未来を応援したいのか」。その基準を自分の中に持っておくことの方、日々の暮らしをずっと豊かなものにしてくれます。
クラウドファンディングという、未来への一票
お金の出口といえば、最近は「購入」だけでなく「応援」としてお金を巡らせる選択肢も増えました。クラウドファンディングはそのひとつです。
誰かの「これを作りたい」「この問題を解決したい」という熱い挑戦に対して、対価以上の「共感」や「期待」という酸素を乗せてお金を差し出す。
「この人が作る未来を見てみたい」と思えるプロジェクトにお金を巡らせることは、自分が望む世界を一緒につくる参加券を買うようなものです。
手元にモノが届くかどうか以上に、「自分の意志でお金を必要な場所へ巡らせた」という手応えは、人生の選択に静かな納得感を与えてくれます。
自分の血管を切ってまで、誰かに流さなくていい
巡らせることは大切ですが、ここで一つ、泥臭い現実として絶対に忘れないでほしいことがあります。
自分を犠牲にしてまで、出血し続けてはいけないということです。
人に嫌われないためにおごったり、見栄を張って身の丈に合わない買い物をしたり、義理合いでクラウドファンディングに手を出して自分をすり減らしたりするのは、循環ではなくただの「消耗」です。血管が傷つき、あなたが倒れてしまっては元も子もありません。
まずは、自分の家計と生活を整え、自分の心を静かに満たすこと。 自分の生活(血管)に十分な栄養が行き渡り、そこから溢れた分の余白で、社会や誰かと関われば十分です。
あなたからエネルギーやお金を無遠慮に奪おうとする場所からは、静かに距離を置いても構いません。自分を守るための「逃げる強さ」を持ってください。
カフェの一杯が守っている、大切な「余白」
お金を増やすこと自体は、人生の目的ではありません。
お金を適切に扱い、巡らせる本当の理由は、「自分が自分でいられる時間と余白を守るため」です。
お金に困っていたり、逆に増やすことだけに執着していると、心もスケジュールもカツカツになります。心が渇くと、季節の移り変わりも、美味しいごはんの味も、大切な人の言葉もすり抜けていってしまいます。
疲れた平日の午後に、一人静かに飲むカフェラテ
誰にも邪魔されずに、ノートに自分の言葉を書き留める15分
休日に息子と公園で、なんでもない話をして笑い合う時間
数百円のコーヒー代や、静かな時間を確保するための出費は、決して「無駄遣い」ではありません。そうした「人生の余白」を守るためにこそ、お金という道具を賢く、丁寧に扱ってほしいのです。
息子へ
いつかあなたが、お金のことで迷ったり、支払いが苦しくなったり、逆に口座の数字に縛られそうになったら、思い出してください。
お金に支配される必要もなければ、過剰に怖がる必要もありません。
私自身は、社会のなかで何か特別な「何者か」になることよりも、ただ目の前の日々の暮らしを愛し、丁寧に生きる人でありたいと思っています。
けれど、これは私自身の生き方です。
世の中は、ただ真面目に黙って待っているだけで、自然とお金や機会が巡ってくるほど甘くもありません。 だからこそ、あなたが何者かになりたくてがむしゃらに足掻くことも、自分のやりたいことや価値を声にして届けていくことも、お母さんは何ひとつ否定しません。どんな生き方を選んだとしても、自ら意志を持って発し、誰かに価値を届けようとしたときに、初めてお金は巡り始めるからです。
自分の人生の舵は、あなた自身が握ってください。
能動的に声をあげて巡りを作り出す強さと、自分の心を満たす静かなカフェの一杯を楽しめる余白さえあれば、人はどこでだって十分に豊かに生きていけます。
お母さんもまだ、自分とお金、そして社会との心地よい循環を試行錯誤している途中です。
あなたが自分なりの価値観を持って、しなやかにお金を巡らせていく姿を、ずっと見守っています。
いいなと思ったら応援しよう!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
誰かにご馳走してもらうことが、私のエンジンです。
共感できたら、背中を押してください。いただいた温もりで、また書きます。