令和の現代病 ドパガキについて詭弁を垂れる
昨今耳にするネットスラング、ドパガキは令和の産んだ現代病だと本気で思う。略さず言うとドーパミン中毒のガキ。短い動画から快楽物質を乱獲し、脳をダメにしてしまう中毒者を表す表現にしてはピッタリで、よく名付けたなぁと感心する。
令和の現代病と記述したものの、前々よりこのような傾向はもちろん存在したと思う。なにかに依存したり、熱中した状態も、いわゆるドーパミン中毒の枠組みには当てはまるような気もする。しかしここではショート動画という枠組みに依存しているドパガキに焦点を当てて語りたい。このショート動画という産物こそ、令和のドパガキを語る上では避けられない上、これこそが令和の現代病の元凶であると考えているからである。
TikTokの台頭により広がったショート動画は今やどのSNSにも外せない必需カテゴリーまで進化した。YouTubeやInstagramなどの動画を主とするSNSは勿論、LINEなどの生活する上では多くの人が欠かせない所まで、その魔の手は広がっている。もはや、ショート動画から逃れることは我々現代人にとって不可能な域まで来ている。ではなぜショート動画がここまでドパガキを生み出し、大人気コンテンツへと進化を遂げたのか。その主な理由として2つ私の意見を述べる。
第1に、短いが故にスクロールを続けてしまい、結果的にやめ時を失うほどの膨大な時間をとかしてしまうこと。
これはショート動画を見ているどの人にも経験があり、自覚もあるはずである。本来動画とは見て楽しむ受動態の娯楽であるが、ショート動画にはスクロールするという自らの能動的行為が関与する。これこそがショート動画沼から抜け出せないいちばんの原因であると考える。長尺の動画などは見終わりという一種の区切りが生じ、見終わったという達成感やその動画についての感想、評価を感じる時間が介在するものの、ショート動画はその思考すらカットする。つまらなければすぐさま次のドーパミンを得るためにスクロールし、脳に思考の隙を奪ってしまう。また、スクロールという能動的行為が宝探しのような効能をもたらし、より深い快楽を味わうことに貢献していると言える。
これこそが第2の理由でもある、ドーパミンの能動的宝探しである。超個人的な意見を述べれば、ショート動画の7〜8割は面白くない、または興味も無いものである。しかしそれこそがショート動画沼の最大のトラップであり、長尺動画との決定的な違いでもある。本来動画とは、見たいものを自ら検索、選定した上で見始めるものだが、ショート動画の場合それらがランダムに選出される。自分が面白いと思う動画にありつけるまで、死肉を求めるゾンビが如く彷徨い続ける。「面白くない」があるからこそ、「面白い」という宝に出会えた時のドパ汁はより濃度をまして脳に流れるという仕組み。これはXなどのネットサーフィンにも見られるドーパミンシステムである。
以上の2点こそ、ショート動画を支えるビジネスモデルであり、世の人間を腐敗させる病の源泉であると考える。
これらのドーパミン中毒システムは至る所に見られるが、ここからはとりわけゲームや動画など昨今語られる分野について、より細分化して考えてみる。大まかに、私が思う分類分けは以下の通りである。
・ドパガキシステムではない
漫画、アニメ、映画、本、1部のゲーム、ネットニュース
・ドパガキシステム
ショート動画、Xなどのネットサーフィン、1部のゲーム
私が何を持ってこの分類分けを明確にしているのかについては、脳の使い方、すなわち思考の有無に収束する。この論点を説明するには、ゲームと言うジャンルの細分化について語るのが最も効果的である。私自身、ゲームが大好きで、学生時代の豊かな青春をドブに捨て、自身の部屋にミノムシのように縮こまってはゲームをプレイしたものだが、そこにはいわゆるドパガキの症状の現れるゲームも存在したのは確かである。具体的に述べれば、RPG、パズルゲーム、オープンワールドなどの探索ゲームや、恋愛、青春シミュレーションゲームなどはドパガキシステムに含まれない。何故なら、ゲームのクリアや、自身のやりたい行動に基づいて自信が能動的に思考し、道中の過程を吟味しながら達成に向けた攻略を楽しむものだからである。これら一連の流れは短期的なドーパミンをただ摂取するのを目的としない、明確な自身の思考が生じる。反対に、ドパガキの症状が比較的出やすいゲームと言うものを挙げるなら、短期的な対戦型格闘ゲーム、シューティングゲームなどの対人ゲームであると考える。私自身、これらの枠組みを特に愛し、具体的に述べるとスマブラやスプラトゥーン、ストリートファイターなどには人生のうち数千、数万時間を次ぎこんできた。しかしながら、これらは上記のようなゲームに比べ、ドパガキの症状が出やすいことは否定することができない明確な事実である。短期間の決戦で勝ったか負けたかを繰り返し、勝ちによる快楽物質を得るために永遠ランクマッチに潜る行為には、思考よりも脊椎の本能的な命令によってなされている場合が多い。ここではあくまで「場合が多い」というニュアンスを強調しておく。何故なら一定数は、明確な目的があり、それによる努力の思考プロセスを楽しむ人たちもいるということも事実だからである。ランクを高めるためにトレーニングモードで自分のプレイの改善点を見出し、それらを一つ一つクリアしていくことで高みを目指すという目的達成に向けた取り組みを楽しむ人々は、勿論ドパガキとは言えない。しかし私のような、とりあえずやりたいからランクマッチにもぐり、数時間やった挙句ランクの変動はしない、負けたらキレて勝ったらドーパミンが出るという見るに堪えない人間は、ドパガキであると言わざるを得ない。つまり、勝利というドーパミンを得るためにランクマッチを回す行為はショート動画をスクロールするという行為に酷似しており、それらの循環こそがドパガキシステムであるということが結論である。ただし、ネットニュースのような自身の見たいジャンルを絞った上でランダムな情報を見る行為は、ドパガキシステムの作用が薄いと考え、上記のような分類に分けてある。
★現代病ドパガキがもたらす不利益
やっとこさの本題であるが、ここまで述べたドパガキが如何に人間に影響を与えているか。どのような症状が出るのかというテーマである。それは偏に、「おもんなくなる」ということである。おもんないねん。電車のちょっとした移動時間、カップ麺の待ち時間、友達との待ち合わせや、家でのリラックスタイム。この世にはそんな些細な時間が溢れていて、そこでこそその人らしさが生まれるものだと私は考える。別に何を考えてもいい、自身と向き合う思考をしている人や、創作を見て感じたり、好きなことに夢中になっている人は、接していて本当に面白い(interesting)と思う。そんな自分に向き合える些細で貴重な時間でさえ、ショート動画を貪っていては、本当に何も無い、つまらなくてクソおもんない人間になってしまう。それこそが令和の現代病だよ。ショート動画ばかり見てると映画などの長尺の創作や、小説などの活字に触れるハードルが高くなることは自身や知人からも感じる。それって病気じゃないですか。
別にその人の時間だから私には啓発する権利もなければする気もないけど、そういった詭弁でした。読んでいただいてありがとう。
