私が「ゲーム実況動画」で救われた話をしたい
先日、何の気なしにネットニュースを閲覧していたら、配信者が生配信中にリスナーに殺害されるという過去のニュースのコラムが掲載されていた。
配信にかかわる人間が事件に巻き込まれる。
この場合は半分巻き込んだ、ともいえるのかもしれないが。
こういうニュースは個人的にすごく心が痛む。
別に私自身が誰か配信者を推しているとか、継続して誰かの配信を見ているということはないのだが、ネットにおける配信については、私自身少しの想いがある。
今日はそんな話を過去を振り返りながらしてみたい。
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私は過去に過労とストレスが原因でうつ病を罹患していた。
期間としては、一度の復職期間を含め約3年ほど。
20代の3年という期間は非常に重たい。
もちろん、今になってそう思う…という話ではあるが。
当時は私もひどく自己肯定感を喪失し、外から聞こえる社会的な生活音を聞くたびに「死にたいな、死んでしまった方が楽かもな」と思い、でもその勇気がない自分を罵り、貶し、さらに自分を痛めつけるような毎日を過ごしていた。
先に進むどころかずぶずぶと沼に足を深くとられていくような毎日の中、私を救ったのは「ゲーム実況動画」だった。
幼少期からゲームという趣味を持っていた私は、うつ病で休職している時に、なにか自分でも社会に身を置くアクションをしなければ駄目だと思ったらしい。
「らしい」というのは、当時の自分の感覚や感情について、あまり記憶がないことが理由だ。
とにかく、私には時間だけはたくさんあった。
独学で動画の作り方を学び、動画の撮影方法、ゲームの録画方法を学び、少しづつYouTubeに投稿するゲーム実況動画を作成し始めた。
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なにかに没頭する、ということは人生を豊かにしてくれる。
部屋のベッドで耳をふさいでただ嵐が過ぎるのを待っていた頃とは違い、PCに向かい、誰かではなくマイクに向かってだが声を出すことで、少しづつ気分もかつてのように晴れることも増えてきた。
結局、私のゲーム実況動画は100本近くアップロードした。
勿論、人気はなかった。
それでもチャンネル登録者数は500人ほどになり、時折動画に対して「次も楽しみにしてます!」というコメントが寄せられるなど、だれかとのつながりを得ることもできた。
そして、あまりに人気がなかったらからこそ、好意的なコメントだけが目に付いたのだと思う。これもひとつ私の心の調律においてポジティブに働いた要素なのかもしれない。不人気バンザイ。
私はこのゲーム実況動画の作成という"治療"を経て、PCのテクノロジーに興味が湧いた。
中々直らないうつ病を認め、障碍者手帳を取得し、障碍者専用の職業訓練に応募し、HTMLとCSSの知識を積み、最終的にはWEBディレクターという職種で社会復帰を果たすことができた。
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人は人とのつながりで心にダメージを負ったり、逆に壊れた心を修復してもらえたりする。うつ病のような社会から断絶してしまう病の時は、この人とのつながりが喪失しがちであるから故、回復が思うように進まないものだ。
そんな中、私にとってゲーム動画の投稿という経験が、断絶状態だった社会への橋渡しになった。そして、数は少ないが「自分の動画を見てくれて、コメントをくれる人」によって、心が修復されていった。
だからこそ、こういったネット配信にかかわる憎悪が渦巻くニュースは心が痛い。上手に使えば人を助ける力を持ったものなのに、というやるせない感情になる。
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子どもの将来の夢に「ユーチューバー」が挙がる昨今。
ネットの世界で一挙有名になり、ビッグマネーを手に入れたり、有名人になりたいという夢を持つのは当然だ。ひょっとしたら、YouTubeは一番身近になるドリームツールに見えるのかもしれない。
だが、便利なツールであっても承認欲求に歯止めが利かなくなり、過度な金稼ぎに走ったり、内容が過激になってしまっては誰も幸せにはならない。
人に好奇心と承認欲求というマグマがある以上、この流れは止まらないのだろうと思う。
だからこそ私は「配信業はお金ではなく心の充足を稼ぐ場所」という認識を大事にしたいと思っているし、一人でもそういった人が生まれればいいなと願っている。
ただ、私はもう動画配信はしないと思う。多分。
恥ずかしいし。
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最後に私がゲーム実況の題材に選んだ、心の恩人とも呼べるゲームを紹介してこのnoteを締めたいと思う。
ご存じ(?)Terrariaだ。
名作ですよ。やってみ?
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