震える声の鳥は -essay-
腹をくくれているひとは美しい、とわたしは想う。
ある作家の文学賞受賞による講演会に参加したときのこと。随筆をするうえで意識していることはなにか? と言う質問に対し彼女は、
「人生に最高のギモンを持つこと」
とおっしゃった。その理由を訊かれ
「投げた問いの答えが確実に現れるから」
遠慮がちな表情で応えた。
書くことはエネルギーが必要。だから、作品を書きつづける動力を自ら生み出し、枯渇しないように、「なぜこれを書くのか?」と自分自身にギモンを投げかけるのだそうだ。
緊張のためか彼女の声は震えていた。
紺色のワンピースとショートブーツ。静かな、それでいて芯の強いまなざしが印象的だった。最前列に座っていたわたしは、作家の放つデリケートな振動を浴びながら、このひとは信じられると直感的にわかった。
彼女はふだん人前に出ることはおろか壇上で話すことなどないらしい。慣れない場に全身がこわばっているように見えた。
インタビュアーがすかさず尋ねた。
「そうして突き詰めた作家の〈人生に最高のギモン〉とはなんですか?」
彼女は手に持ったマイクをぎゅっと掴みなおしてこう応えた。
「なにゆえ、もがき、生きるのか? という問いです」
会場の空気がサーっと波立った。
ちなみにわたしは彼女の作品を読んだことがない。
この日も知り合いにチケットを貰ったので外出ついでに寄ってみただけだった。だから、ファンサービスで作家の日常を微笑ましく語るほっこりした集まりであればすぐ帰るつもりでいた。もしくは著書を売るためだけの、誰もが批判しにくい構造につき合わされるだけなら時間の無駄だと。
わたしの予想を反し、創作者の魂をダイレクトに触れさせてくれる魅力がそこにあった。
とぎれとぎれに、作家はつづけた。
──書くことはくるしいです。
誰にどう思われても、わたしが美しいと感じた世界だけを書きたい。もちろん、それは読者に届けるためです。
でも、商業的に数字を出さないと創作はつづけられない。くるしくて、くるしくて、もう辞めちゃおうかなってなります。
そんなとき『なにゆえ、もがき、生きるのか?』
静かに胸に問いかけてみるんです。すると反対に “むこう” から尋ねられる。じっと耳を澄ませているとわたしにそっくりな声が聴こえるんですね。
『なぜあなたは、それを(書くことを)求めてしまうのか?』
『どうしてそれを、人生でやり遂げたいと思うのか?』
『こんなにくるしいのに、試行錯誤をするのはどうしてなのか?』
で、ハッと覚めるんですよ。ああ、そうだったね、と。
椅子から立ちあがってストレッチをして、またパソコンに向かいます。これの繰り返し。こんな話しでいいかしら。地味でごめんなさいね。
消え入るような声だった。
一文字も書けなくても毎日7時間はパソコンに向かう。SNSはやらない。朝4時に起床して瞑想。パートタイマーを週3日。座る筋肉を鍛えるため水泳とジョギングは欠かさない。二十年間ずっと。
「………わぁ」
満席の会場に淡い動揺がひたひたと漂っていった。
猫背に見えた躰は、人間工学を無視した華奢なスツールの上でしなやかなバランスで保たれ、そこには有無を言わせぬたくましさがあった。
彼女のひたむきさを反映しているように、空気がどんどん透明になっていく。呼吸さえ感じる距離にいたわたしは、人生に最高のギモンを持ちつづけるとはこういうことか、と想った。
もがくのは、その人の人生にとって〈どうしても譲れない体験〉から生まれるのであり、この世に生まれた一番の理由なのだろう。
それは予め決まっている魂の欲求。
どうしてもやらざるを得ないことになっているのだ。理由などない。
「なにゆえ、 もがき、生きるのか?」
魂の歓びにつながるから──だから、やらざるを得ない。
彼女にとって、作品を書きつづけることが誠実なレスポンスなのだと想像する。
「なにゆえ もがき 生きるのか?」──この言葉の根底にあるのは、有限な肉体をつかい、思う存分自分を表現してゆくときにこそ生じる「もがき」への覚悟みたいなものだ。
エネルギーを集中し “わざわざ” それに飛び込み、もがきくるしむ時間、体感、ゴールに辿り着くまでのプロセスを欲してしまうのが、わたしたち人間の愛しいところでもある。
人生の慈悲や、驚きや、哀しみから浮かび上がる一瞬のきらめきを創作から見つけたときの、心震えるもがき。
ぼんやりしていると見逃してしまう、でも確かにそこに存在する、歪み、亀裂、窪みから目を逸らさず作品へ昇華させる。
彼女はその自分だけの美学を貫くために、腹をくくっている人だと感じた。
最後まで作家の緊張が解けることはなかった。インタビューに応えながら手の汗をハンカチで拭くたびマイクがゴソゴソと音をひろい、耳を真っ赤にして会場へ謝っていた。
わたしはそれでいいと想った。世間が求める作家として、ふさわしい人物を装う演技なんかしなくてもいいのだ。
作家がこれまでもがいたであろう時間は計り知れない。
ただ、切なくなるほどの葛藤を抱えながら高脚のスツールに座る彼女を、わたしはこのとき、最高に美しいと感じていた。
「そろそろ終了時間となります」
アナウンスが流れたそのとき、光の加減なのか、作家の胸に留められたブローチが眩しいほど光った。翼を広げた鳥を象った銀色のブローチだった。鳥は嘴にひとつぶの真珠をくわえ、震える声で最後のあいさつをする彼女を見守りながら、いまにも飛び出しそうにキラキラと揺れていた。
「執筆中どんな音楽をかけますか?」 という質問に応えていただいた曲がこちら。わたしも大好きな「未草」 “Helios” haruka nakamura feat.LUCA でした。 Photography and video by Shoji Onuma
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