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【廃線跡探索】国鉄赤谷線の歴史を辿る|東赤谷連続洞門

 今回は、赤谷線の廃線跡を巡ってきました!


国鉄赤谷線とは

赤谷線
(破線部は日鉄鉱業の専用線)

 赤谷線は、1925年(大正15年)に開業した、新潟県新発田市の新発田駅から東赤谷駅までの18.9kmの路線。
 赤谷鉱山で採石した鉄鉱石を運ぶ貨物列車が多数運行されていた。
 しかし、時代の変化により、輸送方法にトラックが用ららることが主流になったことや、鉄鉱石の市場競争力低下により、しだいに赤字路線に。
 貨物列車は、1984年(昭和59年)1月に廃止され、旅客列車のみに。その旅客列車も同年4月に廃止され、全線が廃止となった。



廃線跡探索

(1)新発田駅周辺

新発田駅周辺の航空写真
左側:1970年代 右側:2020年代

 新発田駅周辺はこの50年でかなり住宅が増えたことが分かる。そのなかでも赤谷線のカーブはよく分かる。


新発田駅駅舎
城下町の雰囲気がある
新発田駅 駅名標

 現在の新発田駅は、新津駅と秋田駅を結ぶ羽越本線から新潟駅に向かう白新線が分岐する構造だが、赤谷線のあった当時は4分岐駅であった。
 現在も路線が残っていたら、駅名標の右下に赤谷線が加わり、このようになっていただろう。

駅名標ジェネレーター(https://tr246.github.io/Sigene/)にて作成


新発田駅には現在でも広大な用地が残っている
新発田駅3番線から加治駅方面を望む

 赤谷線はカーブを描き、現在アパートや住宅が立ち並ぶ方へ延びていた。新発田駅を後にし、そちらへ向かってみる。

 赤谷方面へは鉄路が廃止された現在、路線バスが走っている。

赤谷方面へ向かうバス停


 線路沿いを進み、先ほどのアパート周辺へ。

アパート付近より新発田駅方面を望む
ここを線路が走っていた
用水路の縁には古い橋台のようなものが

 このあたりは完全にアパートや住宅用地に転用されていて、過去のものは残されていない。


(2)新発田市街〜中々山(サイクリングロード)

 住宅街の途中から廃線跡は歩道やサイクリングロードに転用されている区間に入る。

サイクリングロードの起終点
ゲート広場

 案内上はここからサイクリングロードが始まるらしい。ゲート広場と呼ばれる場所には案内看板が立っている。

 ゲート広場にある案内看板
五十公野宿のオブジェ


東中学校前乗降場跡

東中学校前乗降場周辺の航空写真
左側:1970年代 右側:2020年代

 1970年代の写真に線路沿いに白いホームのようなものがはっきりと映っている。


東中学校前乗降場跡

 サイクリングロードの起点から約2.1km。ここは小中学校が近いことから乗降場が設けられていた。

 この付近の路上には50mや150mなどの距離を示すペイントが。近くの学校の学生さんが利用しているのだろうか?


五十公野駅跡

五十公野駅周辺の航空写真
左側:1970年代 右側:2020年代

 駅の隣にある建物は当時から変わらず残っているようだ。(後述)


五十公野駅跡
再現した休憩所
農業倉庫五十公野支庫とかかれた倉庫があった

 付近にはかなり古そうな倉庫が残っている。この倉庫が航空写真にあった建物。


新江口駅跡

新江口駅周辺の航空写真
左側:1970年代 右側:2020年代

 田んぼの真ん中にポツンと立つ駅。現在の航空写真とほぼ変わらない。



米倉駅跡

米倉駅周辺の航空写真
左側:1970年代 右側:2020年代

 このあたりも50年での変化はあまりない。


再現された駅名標


新山内駅跡

新山内駅周辺の航空写真
左側:1970年代 右側:2020年代


歩道や道路が駅跡


中々山(サイクリングロード終点)

赤谷線サイクリングロード案内図

 新発田市街から続いていたサイクリングロードはここまで。距離にして約12.3km。この先は道路に転用されている。


(3)赤谷駅跡

赤谷駅周辺の航空写真
左側:1970年代 右側:2020年代

 現在の写真の中央を走る道路が線路だったことがわかる。


赤谷駅舎

 ここは唯一当時の駅舎が残されている。
集会所や待合所の看板があったため、今も使われているのだろうか?


(4)東赤谷駅跡

東赤谷駅周辺の航空写真
左側:1970年代 右側:2020年代

 過去の航空写真で見ると、鉱山の貨物を扱っていたためかなり大きな駅だったことが分かる。

線路は道路に転用され、写真左側にスイッチバック式の駅構内が広がっていた
道路の端になにか石造りの構造物が

 赤谷線の終点である東赤谷駅はスイッチバック式で広大な面積があった。道路脇にはなにか石造りの構造物が。当時のものだろうか?
 

日鉄鉱業赤谷専用線・東赤谷連続洞門

 赤谷線の終点、東赤谷駅の先には日鉄鉱業の専用線が引かれていた。

 廃線跡の洞門は現在道路に転用されている。いくつかある洞門のうち、距離が長いものは信号機による交互通行となっている。

東赤谷連続洞門入口
洞門内部

 白や灰色の石やコンクリート製の洞門と、木々に反射した緑の光が差し込む。幻想的。
 ここは神殿遺跡のようで、写真映えすることから、赤谷線廃線跡の中でも人気のスポットとなっている。

※洞門を含む、県道335号は冬季閉鎖期間があるため、最新の情報を確認してください。


 洞門を進んだ先には、加治川に架かる橋梁が残されている。専用線はこの橋の先まで延びていた。

 

加治川治水ダム

 廃線跡を活用したこの道を進むと加治川治水ダムに出る。このダムは、有効貯水量1,800万㎥の規模を誇る。

加治川治水ダム

 このダムは全国的にも珍しい治水のみの機能を持つ防災専用ダムとなっている。


 今回は国鉄赤谷線の歴史を辿った。現在まで残っている遺構は多くなかったが、国鉄時代の遺構や鉱山によって繁栄していた当時のことについて知ることが出来た。


過去の赤谷線写真集(サイト紹介)

 赤谷線の過去の写真については以下、安良町交通博物館さんのサイトに廃止前に撮影された写真が複数まとめられてますので、併せてぜひご覧ください。

※記事投稿時のリンクになります

廃線跡探索マップ


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 最後までご覧いただき、ありがとうございます!ぜひ他の記事もどうぞ!!

訪問日:2025/07/21
投稿日:2025/09/19


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