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邪な赤

熱帯夜の深夜12時、グラスに水を注ぎ、その水面に満月を映すと水に色が付く、それを誰かひとりだけに一滴でも飲ませると意のままに操ることができる。自分に好意を抱かせることも、自分から永遠に遠ざけることも、またはその誰かを下僕のようになんでも命令を聞かせることもできるということだった。
もちろん美和子はそんなことを信じてはいなかった。けれど、あんまりの暑さで眠れない夜、風にあたろうとベランダに出たところ、ふと見上げた夜空に輝く満月を見て、子どもの頃に聞いたそんな噂話を思い出した。
ちょうど喉が乾いていた。キッチンへ行ってグラスに水を注いだ。そんな都合良く水面に満月を映すことなどできるだろうか。ベランダへ戻り、ゴクリと大きな一口を飲んでから、半分以上水が残っているグラスを満月へとかざしてみた。すると、みるみるうちに水は真っ赤に染まった。どす赤い血のようにも見え、グラスを握っているのが気持ち悪くさえ思われた。
美和子はキッチンへ戻って、恐怖に少し震えてその赤い飲み物を捨てようとしたけれど、思いとどまった。良く考えたら捨ててしまうにはもったいない。確か一人にしか効き目はないけれど、一滴でも飲ませればいいってことだった。もう少し考えてみたいと思いつつも押し寄せてくる眠気に勝てなかった。とにかくグラスはそのままにして、ベッドに潜って眠りについた。
朝、いつもより早めに目が覚めた。寝苦しさはどうしても解消されず、浅い眠りで時間を潰したに過ぎなかった。キッチンへ行くと双子の姉の美也子が朝食の準備をしていた。グラスはすでに片付けられていた。
「洗っちゃったの? ここにグラス置いといたのに! 飲んだ?」
「あんな変な赤いの飲まないわよ。…舐めたけどね」
「舐めたのね…」
「うん、なにあれ? 赤ワインには見えなかった。紫蘇かアセロラかと思ったけど、なんか違うみたいだし、あんなどす赤いの、とっても飲めないよ」
「ふうん…」
美和子は少し考えた。舐めただけでも効き目はあるのだろうか?美也子を操ることができるだろうか?試してみようと思い立った。
「あたしの朝食も用意してよ」
美也子はてきぱきとご飯をよそぎ、焼いていた鮭と茹でたての味噌汁、それから作り置きの金平をつまんで美和子の席の前においた。普段だったら「自分のは自分でやれ」と怒鳴られるところなのに。
「いいの?」
「…どうぞ」
「いただきます」
美和子がのんびりと朝食を食べている間、美也子は首を傾げながらも自分の分の朝食を作り直した。
「朝食が済んでからでいいからさ、あたしの靴磨いといてよ」
「はい」
「洗い物ももちろん美也子がやってくれるんだよね?」
「はい」
「帰りに買い物もしてきてくれる?今晩はビーフシチューが食べたいなぁ」
「はい」
「ああそうだ。荒木さんも一緒に、ね」
「あ、はい」
美和子は飲み物の効き目を確信できた。これから先の楽な生活を考えるだけで楽しくてしょうがなかった。いつの世も悪巧みはエスカレーションし、とどまるところを知らない。美也子の恋人の荒木などまったくもって興味なかったくせに、いまや美也子のものはすべて私のものなのだ。
荒木も美和子の手中に収められてしまうのだろうか。それとも美也子との愛を貫くことができるだろうか。あやかしの飲み物によって操られている美也子を元の状態に取り戻すことができるのだろうか?…乞うご期待!


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