たたき胡瓜と靴の音|山田と佐藤さん
佐藤さんはスマホを見ている。
親指で何か打っている。
わたしは枝豆を指で押し出して口に入れる。
カルピスサワーを一口飲んだ。
店内はざわざわしている。
奥の席から大きな笑い声。
グラスの音。
皿を重ねる音。
店員さんが隣のテーブルを拭いた。
「5%オフだそうですよ」
わたしは壁の張り紙を見ながら言った。
〈LINE友だち登録でお会計5%OFF!〉
QRコードが載っている。
「んー?」
佐藤さんはスマホを見たまま、聞いてない返事をした。
わたしはまた枝豆を指で押す。
反対側から豆が飛び出した。
佐藤さんはテーブルの上にスマホを伏せた。
すぐ横に転がった豆をつまんで食べる。
「なんて?」
「5%オフ」
わたしは壁を指さす。
佐藤さんが見る。
「登録する?」
「佐藤さんやってください」
「えー」
佐藤さんも枝豆を一つ取る。
枝豆をわたしに見せる。
「皮食べたことある?」
「え?皮食べれるんですか?」
「こうやって」
縦に持った枝豆を皮ごと口に入れ、噛んで筋だけ引き抜いた。
わたしも真似する。
「皮も枝豆味……!」
「やろ?」
佐藤さんが少し笑う。
「でもちょっと硬い」
「うん、食べんでええ」
もう一つ枝豆を取って、豆を押し出しながら言った。
入り口が開く。
冷たい空気が足元まで入ってきた。
すぐにドアが閉まる。
唐揚げが一つ残っている。
箸がぶつかって止まる。
目を見る。
「俺、昨日誕生日やった」
「え、おめでとうございます」
佐藤さんの箸が唐揚げをつかんだ。
「なんか美味しいの頼みましょう」
わたしは箸を小皿の上に置いて、メニューのタブレットをタッチした。
「何食べたいですか?肉?」
「たたき胡瓜」
「佐藤さん……」
向かい側から手を伸ばし、タブレットの〈小鉢〉をタッチする。
たたき胡瓜を自分で注文した。
「何歳になったんですか」
「四十」
「なるほど……」
佐藤さんがジョッキのビールを飲み干した。
明るいグレーのシャツ。
袖を一回折っている。
伏せたスマホの黒いカバーに、指の跡がついている。
「あれ読んだんですよ。新刊、ダックワーズ小林さんの」
「どやった?」
「冬の海は青いって。青いんですか?」
「いつも青いんちゃうん?」
「もっと青いって」
「書いとったな……」
佐藤さんが胡瓜を噛む。
もう一つ口に入れる。
「行く?」
「え」
「検証、冬の海は青いのか」
「行く。今から?」
「アホ、夜は見えんやろ。もっと寒くなってからや。来月あたり?」
「ふ〜ん」
カルピスサワーのグラスは、氷だけになっている。
溶けてカランと鳴った。
空いた皿とグラスを店員さんが下げた。
佐藤さんがタブレットを見ている。
隣のテーブルで笑い声が上がった。
「頼めば」
タブレットをわたしに向ける。
わたしはドリンクメニューをタッチしてめくる。
サワー、カクテル、ノンアルコール、ソフトドリンク。
「ノンアルとソフトドリンクって、なんでこんな値段違うんですかねぇ」
「さぁ?」
「お酒入ってないのに高いですよね」
「酒の気分が入っとる」
「酒の気分代?」
「そう」
お酒のページに戻して、梅サワーを押した。
佐藤さんのハイボールは半分ぐらいになっていた。
5%オフを使わず会計を済ませた。
店を出る。
駅まで歩く。
佐藤さんは薄手の黒いコートを着て、ポケットに手を入れている。
わたしはニットの袖を手の甲まで伸ばした。
前から冷たい風が吹いている。
佐藤さんの真後ろを歩く。
「盾にすな」
わたしは笑う。
歩道の横を車が走る。
佐藤さんとわたしの靴の音。
