映画『能登デモクラシー』を観てきた
はじめに
まず、ネタバレ部分も多少ありますが、実際に鑑賞して得られたそれぞれの感情・感想こそが本旨だと思いますので、ぜひ興味を持っていただけたら見ていただきたい作品でした。
個人的な話ですが、地元で2017年から青年会長の大役を預かり、また消防団員としても活動をし、それなりに地域で中核的役割を果たしてきました。
私の地域では8つの町があり、行事ごとの主催町が持ち回りで8年一区切り。
2024年度で8年目。これを区切りに青年会長を退任すると決めていました。
退任後、どんな形で地域貢献(と言えば聞こえはいいけど、自分の居場所作り?)と考え始めた2023年。
仕事では情報システムを預かる中、事業継続計画(BCP)、事業継続マネジメントの学習を始め、CBCI資格取得、防災士資格を取得をしてきた年度終わり。
2024年1月1日 16時10分に起こった能登半島地震。
過疎の高齢化地域を襲った大災害、姫路市は中核都市とは言うものの正直、他人事とは思えず、現地で起こっている事実を今もなお注視しています。
「小さな主語」と向き合うコト
マスメディアの情報は、ある程度事実確認が取れているものではあるが、
放送時間の兼ね合いからか、一部分の切り取りであったり、
SNSもそうですが反響が大きいと想像できるものが取り上げられています。
SNSに至っては、善意か悪意かは抜きにしても、事実関係すら危うい情報があふれています。
信用できるのは、実際、現地で起こっていることを「小さな主語」が語った内容に耳を傾けること。
※「小さな主語」は、以下リンクの『災害とデマ』の著者、堀潤氏が使われていて、とても自分の中で腹落ちするワードでした。
メディアとの向き合い方や、自分の発信の仕方等を考えさせられる大切な視点を与えていただきました。
『能登デモクラシー』ってこんな映画
舞台・主人公
少子高齢化の末期、人口減少が進む過疎の町、穴水町が舞台。
町議会議員10名は変わり映えなく、町長の進める政策に一般質問すら行われず惰性のまま議決されていく町政。
町長・前町長への利益誘導が見え隠れする。
一方、この映画の主人公・滝井元之さん。
奥さんとの7匹の猫と小集落で生活している。高齢者世帯のみの限界集落。
上下水道はなく水源から水を引きタンクに貯配水する設備を集落で管理している。
滝井さんは元教員。町の将来や町政、受け身な住人達に向けて疑問を持ち、
手書きの新聞「紡ぐ」を発行し警鐘を鳴らし続ける。
滝井さんの活動を通して、穴水町を俯瞰的に取材。
そんな中、2024年1月1日に発生した能登半島地震。
この大災害を通して、少しずつ生まれる変化を丁寧に取材している。
監督・五百旗頭幸男氏
監督の五百旗頭氏は、石川テレビに所属。
チューリップテレビ時代には、映画「はりぼて」を発表。
丁寧な取材の中、富山市議会の不正を暴き、
石川テレビに移ってからは、石川県における父権的政治を
あぶり出した「裸のムラ」を発表。
もちろん五百旗頭氏は、
富山市議会の不正や、石川県政における忖度の空気に忸怩たる思いがあり、
これらの映画を製作したものかと思う。
実際に観に行ってきた
民主主義の在り方が問われる昨今
日本の政治に問題点を感じない人は、どんな属性の方でもそう思うのではないかと思いますが、とりわけ地方議会においては二元代表制が機能しているのか?疑問に感じることが増えてきた。
とりわけ兵庫県民としては捨て置けない問題です。
全国的注目度の高さ
本作は、全国のミニシアター系での放映。
防災に関わるお知り合いからこの映画の存在を教えていただき、地元姫路から最も近い「元町映画館」で上映初日(2025/6/14)鑑賞しました。
全国的に注目度が高いことはSNS等で伝わっていたので、上映初日の朝イチでチケット確保。昼前に戻ってきたら、満員札止めとなっていました。

町政への閉塞感
オープニング。
穴水町から海を臨み「ボラ待ち櫓」の風景、背景には立山連峰。
ゆったりとした自然豊かな風景。

こののんびりとした町。
多選の高齢議員を中心とした公私混同、ながく混ぜ合わせすぎて境目も見えなくなってしまっているような閉塞感に満ちた空虚な状態。
そんな状況に疑問を持ち、手書き新聞で警鐘を鳴らし続ける滝井さん。
実直で生真面目な方なのだな・・・というのが見ていての印象。

そしてただただ批判しているわけではなく、新たに当選した町議の方々にエールを送るなど温かさも感じます。

また、奥様である順子さんが素敵な女性。
「紡ぐ」の発行を中心とした「あした塾」の活動だけでなくテニスの指導等
とにかくバイタリティ溢れる元之さん。
家を出たっきりなかなか帰ってこない。
昭和生まれのバイタリティ溢れるお年寄り、
自分の父と母を見ているような感情に陥る。
もちろん元之さんも自分の家の畑仕事や、水源のメンテナンスなどで自宅に関わることをたくさんしているのですが、そのたびに順子さんは、
「お父さん、ありがとう」
とことあるごとに”ありがとう”という言葉がたくさん出てくる。
※以降、滝井さんと表現するとゴッチャになるので、「元之さん」と表現します。
それは、自宅に成るキウイの実を収穫するときには木にも声をかける。
身の回りの自然、草木ひとつにも感謝の気持ちを持ち、それが口をついて出てくる。。。
なんとも温かい気持ちにされる。
こんな奥様がそばにいるから、元之さんもバイタリティ溢れる活動ができるんだなと。。。
なのに、順子さんは、あと10年は一緒に元気に過ごしたい。少しでも元之さんに恩返しをしたいと涙するシーンもあり、胸が熱くなりました。
町政の閉塞感を見せつけられる中、元之さんの苦悩を追体験する中、
順子さんの存在が作中の1つの清涼剤のような気持になる。
能登半島地震発生
2024年1月1日に発生した能登半島地震。
発生直後、五百旗頭監督が元之さんに電話をするがつながらず、居てもたっても居られず、崩落した道路を縫うように滝井家のある滝又集落へ。
そこで一人家にいた順子さん。
五百旗頭監督の姿を見て、張りつめていた緊張感が少しゆるんだ姿を見て、胸に刺さるものがあった。
五百旗頭監督は、作品がら少しクールで冷徹な雰囲気にも見えますが、この高齢夫妻との接し方を見るに、心根の優しさがしっかりと根差した人物なんだなと改めて感じられるシーンでもありました。
能登半島の復旧・復興は今もなお、、、という感じですが、
一時あがったような過疎地の切り捨てに向かうような空気感に穴水町も当然ながら例外ではなくさらされていきます。
災害が他人事を自分事への変化を促した
コンパクトシティを提唱し、公私混同もはなはだしい食わせ物と感じられた吉村町長。
能登半島そのものが切り捨てられるような空気が出た時の彼の行動変容には明るい兆しを感じた。
よそ者・外野の感覚では、選択と集中、効率化、タイムパフォーマンス、コストパフォーマンスといったものがイメージされる。
でも、それが自分自身に降りかかると・・・
タイパ、コスパで決められるものではない。
箸よく盤水を回す
最初は一人だった滝井さんの「紡ぐ」の活動。
日を追うごとに、支援者や寄付も増えていった。
災害発生後は、仮設住宅で元気を失っている方々のところを「紡ぐ」を配りがてら会話を交わす。
仮設に住む方々の言葉に耳を傾けながら、自分も眠れずに睡眠導入剤を使っていることを明かす等、包み隠すことのない元之さんの実直な姿。
徐々に滝井さんと行動を共にする町議も現れる。
伊藤繁男町議。”少しお調子者な昭和のおじさん”が私の印象。
慣れないながらも、元之さんの行動をなぞりながら共に動き出す。
元之さんの地道な活動が、町の雰囲気、人々の行動変容にもつながっていっていることが感じられました。
まとめ
二時間弱の映画とは思えないほどの情報量と疲労感を感じる作品でした。
最後に五百旗頭監督が登壇し、舞台挨拶。

お話を聞き、当然、今の政治に思うところが多々あるのだと感じる。
それでも、悪役にも見える登場人物についても多面性を見せるような配慮。
また、決して対立を煽ろうとするわけではなく、
惰性・忖度に連なる不健全な状態をただただ丁寧に取材し、
視聴者の価値観と照らして観る余白を大切にしている風にも感じる。
そして、他のインタビュー記事では元之さんのことを話す際に、こんなことを話しています。
コツコツやってきたことによる信頼関係は深く、強くて、あたたかい。そういったものがあるからこそ、これだけの信頼感がある。
小さな主語、信頼感、感謝
物事、何が正しいのか本当によくわからない時代。
ただ、”正しい”の根拠がタイパ・コスパ・バズる…
これはあまりにむなしいように感じる。
自分が正しいと思えることを、他人にも正しいと思ってもらえるように、そして信頼感を得るには、タイパ・コスパとは真逆で「自分はこう思う」ということをコツコツと積み上げていくことが大切なんだなと改めて学ばされる作品でした。
そして、順子さんのように何事にも感謝の気持ちを素直に伝えられる素敵な人間になりたいなと思います。
日々修行ですね・・・
また、滝井さんのつづった「紡ぐ」はWEBで公開されています。
是非、通して読んでみることをお勧めします!
まとまりのない記事を読んでいただいてありがとうございました!

