【掌編】残暑─オマケくんとウンメーくん
─あの店を訪れる人々の日常の物語─
未だ熱を持つアスファルトの上に落ちる薄い影に気がついた。
黒いアスファルトに黒い影。
あたりはすっかり暗くなり、車の明かりが行き交っている。
いつの間に、この時間はこんなに暗くなったのだろう。いつもより早めに会社を出たつもりだったのに、夜の空気に包まれた街に俺は今さらながら時間の流れを意識した。
カナカナカナカナカナ……。
遠くで蜩が鳴いていた。
ひぐらし?
ふと湧いた違和感は、既に薄く開けたドアの向こうから流れて来た冷気に流されてしまった。
ちりん。
いつものドアベルが軽やかに鳴る。
「やぁ、いらっしゃい」
「あ、ウンメーくん来た。ばんわー」
マスターのいつもの笑顔と、オマケくんのいつもの挨拶。
店内の冷やされた空気にほっとしながら、それでも俺は温かいものが欲しいような気がした。
店内の柔らかいオレンジの灯りもいつもと同じなのに、今日はその色に目が留まる。
隣に座りながらオマケくんを見ると、彼の手元は変わらぬアイスティーだった。
「月見ハンバーグなどいかがです?」
顔をあげるとカウンターの向こうでマスターが微笑んでいる。
月見、ハンバーグ。
その響きだけで胃がじんわり温められる気がした。
「それって目玉焼きのせの事っスよね。月見、って言い換えるだけでなんかランクアップした感じっスね」
台無しだ。
せっかくのマスターの申し出だったのに。
「お前、時々ほんとに雑だよな」
「え、どういうことっスか。だって、ハンバーグの目玉焼きトッピングは定番メニューっスよ」
「それが、台無しなんだよ」
「いや。いやいやいやいや。逆にオレは毎年思ってたっス。この時期に目玉焼きの事『月見』と呼ばせるムーブメント、胡散臭いって」
「台無し通り越して情緒なしめ」
「大体、まだ夏みたいなもんっス」
オマケくんは、ズズっと残ったアイスティーを吸い込んだあげく、グラスの氷を口に含んだ。
夏。
それはちょっと違う気がする。
「まだまだひんやりが美味いっス」
言ってろ。
確かに、まだまだ半袖だし、クーラーの冷気が必要だ。でも。
蜩を聞いた時点で俺の中で夏は終わったんだ。
「じゃあ、月見ハンバーグセットで。食後は、ホットコーヒーで」
マスターが頷いて厨房へ行く。
意地になってる訳ではない。
『月見』と聞いたら、もうあの半熟の黄身を崩したいじゃないか。
俺の季節は音から来るんだよ。
風の音にぞおどろかれぬる、だよ。
昔、習っただろ。
「まだ夏っスよ。セミ鳴いてるし」
オマケくんが、ニヤと笑った。
「なんだよ、お前も聞いてるんじゃないか、蜩」
「ひぐらし?」
「ほら、さっき外で」
ふいに聞こえたジィジィと言う蝉の鳴き声に、口をつぐんだ。
それは蜩の声ではなかった。
振り向いても姿は見えない。
待て。
こんな時間に、蝉の声なんか聞こえるか?店の中に?
「おまたせしました」
「あつ、」
マスターが戻ってきて出されたハンバーグの湯気に思わず口をついて出た。
ちら、と見上げるとマスターの感情の見えない笑顔があった。
なんだろう。
このタイミング。
思考に潜りかけると邪魔されているような気がする。
「まだまだあついっスね」
軽く言うオマケくんにムカついた俺は、悪くない。たぶん。
