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week5|それは、本当に自分の基準か

— 違和感を仕分ける

努力しているのに、どこか満たされない。

成果が出ても、なぜか安心できない。

そんな感覚を覚えたことはないだろうか。

頑張っているはずなのに、
ふとした瞬間に「これでいいのだろうか」と立ち止まる。

その違和感は、能力や努力の問題ではないのかもしれない。

もしかするとそれは、
基準の問題なのかもしれない。

私たちは、知らないうちに
多くの基準を受け取って生きている。

いい会社に入ること。
安定した収入を得ること。
周囲から評価されること。

どれも間違いではない。
むしろ、多くの人が大切にしている価値観だ。

ただ、その基準が
本当に自分のものなのかは、
意外と立ち止まって考える機会が少ない。

人は社会の中で生きている。
だから、他人の価値観を受け取るのは自然なことだ。

問題は、基準が混ざっていることではない。

混ざっていることに気づかないことだ。

自分の望み。
周囲から受け取った期待。
社会の中で「正しい」とされている基準。

それらは、少しずつ重なりながら
静かに混ざっていく。

そしてある日、
その重なりが「違和感」として現れる。

そんなとき、ひとつだけ
自分に向けてみてほしい問いがある。

もし、それをやめたとしたら。
あなたは何を失うだろうか。

いま続けている努力。
いま守ろうとしている立場。

それを手放したとき、
本当に失うものは何だろう。

収入だろうか。
評価だろうか。
それとも、誰かの期待だろうか。

この問いを静かに見つめていくと、
基準の輪郭が少しずつ見えてくる。

もし失うものの多くが
「評価」や「周囲の視線」だとしたら、
その努力の一部は、外側の基準で動いているのかもしれない。

逆に、誰が見ていなくても
続けたいと思えるものがあるなら。

そこには、
自分の基準が含まれている可能性がある。

私自身も、長いあいだ
人の評価をどこかで気にしていた。

仕事でも、努力でも。
「どう見られているか」が、
無意識の基準になっていた気がする。

もちろん、それが悪いわけではない。
社会の中で生きていれば、
評価は無視できないものだからだ。

ただ、子どもが生まれてから。
少しずつ、視点が変わっていった。

何が正しいのか。
何を大事にしたいのか。

その基準が、
外ではなく内側に戻ってきたように感じている。

人からどう評価されるかよりも、
子どもにとってどんな父親でありたいのか。

その問いが、
自分の軸になっていった。

仕事への熱意は変わらない。
むしろ、以前よりも自然に向き合えている気がする。

ただ、そこから得られる評価は
以前ほど気にならなくなった。

自分が自分らしくいられること。

そして、子どもから見て
生き生きと生きている父親であること。

いつの間にか、
その順番が少し変わっていた。

それは、大きな決断ではない。

ただ、
基準が静かに入れ替わっただけだった。

違和感は、悪いものではない。

むしろそれは、
自分の基準を見つめ直すためのサインなのかもしれない。

もし、いま少しでも違和感を感じているなら。
一度だけ、自分に問いかけてみてほしい。

それをやめたとき、
自分は何を失うのだろう。

その答えの中に、
あなたの基準のヒントがあるかもしれない。



今週の問い

いま続けている努力を、ひとつ思い浮かべてほしい。

もし、それをやめたとしたら。
あなたは何を失うだろうか。

評価だろうか。
安心だろうか。
それとも、誰かの期待だろうか。

その答えを、
少しだけ自分の中で見つめてみてほしい。

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