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YS 1.1 さあ始めるよの合図

ヨーガ・スートラを、3種類の解説を読み比べながら1節ずつに光をあてる、『ヨーガ・スートラを読みたい』をここから始動します。ヨガインストラクターのもえと申します。どうぞよろしくお願いします。

※始めた理由に興味を持っていただけたら、ぜひこちらをご覧ください。


ヨーガ・スートラ第1章1節


अथ योगानुशासनम् 
atha yoga-anuśāsanam 
アタ ヨーガ アヌ シャーサナム 

「これよりヨーガを明細に説く」(2)

ヨーガ・スートラを読もうとページを開いた人に、さあ行くぞと声をかけてくれる1章1節です。これから続く全4章196節への、始まりの合図。注目したいのは、サンスクリット語のアタ(atha)。日本語だと「今」とか「これより」といったように翻訳されています。

ヨーガ アヌ シャーサナム(yoga-anuśāsanam)だけでも、これからヨガを教授しますという意味になるのに、なぜわざわざアタを付け加えたのか。


今までがある

アタには、それまでに教わってきたことがあるという前提を示唆する意味があると教えてくれるのは、フォーチャプターズ オブ フリーダム(参考1。以下、フォーチャプターズ)です。これまでに学んできたことがあるからこそ、「いま」をここで区切ることで、これから先に意識を向ける。そして、ここからヨガの経典『ヨーガ・スートラ』を通して学ぶことが、より実のあるものになるだろうという意味を加えているのでは、とも書いています。

ただ、ここでいう「これまで学んできた」というのは、実際に経典を学び始まる前に、すでに師から多くのことを教わっているという前提があることも知っておきたい。

もともとの伝統として、ヨガは師から学ぶもの。ヨーガ・スートラを読む前に、すでにヨガの道を始めていることが多かったのではないでしょうか。これまで学んできたものの例として、フォーチャプターズがカルマ・ヨガやバクティ・ヨガを挙げているのは、そういうことだろうと思います。


私たち日本人は、多くの場合、ヨガを違う文化に根付いたものとして出会うので、同じようにはいきません。ただ、それでもヨーガ・スートラを読もうと思ったこれまでがあり、動機があります。ヨガの練習に限らず、今まで生きてきた全部の中で経験したこと、それらを通して思ったことや考えたことがあります。

教わったものではないからこそ、ヨガってこういうことかもしれないと、仮定を立てながら練習してきたように思います。それはヨガの伝統とは違うけれど、この「これまで学んできた」ことも、これからヨーガ・スートラを読み進めていくのに生きてくるはず。

そうやって、さて読んでみようと思う始まりに、これまでの経験が「在る」と、その存在を認めてくれると読むのは、都合よく解釈しすぎでしょうか。でもそうだとしたら、魅力的な招待状を忍ばせてくれているもんだなと思います。


いまここから広がる

また、アタは「いま現在という感覚」というニュアンスを含んでいると、ハリーシャ(参考3) は説明しています。ただ単純にいまから始めるよというのではなく、いまの自分が始めるここがスタートラインだ、という意識と決意をもって経典を読み始めよと示唆していると。「これまで学んできた」ことをふまえるとしても、始めるのは、いまの自分。

インテグラル・ヨーガ[パタンジャリのヨーガ・スートラ](参照2)が、机上の理論でなく、経験に基づいて学ぶことの大切さを強調しています。それに習って、知識をなでるのではなく、自分の毎日に実践・練習を落とし込みながら学ぼうと立つ、いまの自分。


ことばは使われ続けることによって、元の意味から派生した別の意味をもち始める。ただ、その派生していく道筋は、その言語が使われている文化を踏襲するので、違う文化で育った者の想像しないところまで広がっていることがあります。

「いま」「ここから」「(それまでに教わってきたことがあるという前提)」「(いま現在という感覚)」という、サンスクリット語のアタという言葉の意味が広がり方を、見つめてみる。


各解説が教えてくれるアタの含む意味をふまえると、こう読むこともできるはずです。

これまでの経験を経て、またここから始まるけれど、まずはまっさらな気持ちでスタートラインに立つこと。
そうすることで、受け継がれてきたヨガの教えが、より実になることだろう。

3つの単語でできたこの文章の、最初の1語アタの意味をもう1段階深く探ることで、これだけ語ることができる。この厚みに驚きませんか。

そこで生まれる「いまという感覚を持つ必要があるのはなぜ?」という疑問の答えを、パタンジャリは、残りの195節にまとめてくれたわけです。そして、これから説明するよと宣言している。なかなか粋な始まりです。


改めて、さあ始めよう

「経典を読む」という挑戦にあたり、わたしは、自分の咀嚼できる範囲で進めることをおそれないことだと考えます。なぜなら、これから読むのは、すべてを理解しきることなんて一生かけてできるのかも分からない代物です。

でも、ヨガと縁ができて、知りたいと思ってしまった。だから、まずは、丁寧に自分の歩をすすめてみる。そして、自分の咀嚼できる範囲でしか理解していないことも、真摯に覚えておく。

スートラというのは、糸という意味があります。これから読み進める196本の糸を、1本ずつ編み込み、織物が仕上がるのを想像してみる。不恰好かもしれないけれど、それって、きっと、とても大事な1枚になるはずです。


毎回終わりに、その回の1節の音声を貼り付けます。ぜひサンスクリット語を身体の中で響かせるのも、学ぶ方法のひとつとして加えてもらえたらなと思います。

今回のミニマムにまとめられた、サンスクリット語の3語。ぜひ、声に出して読んでみてください。


ヨガ・スートラの1節1節をじっくり学んでいくのは、新しい知識を手に入れるということだけでなく、今までの自分の練習や実践を振り返る機会にもなります。自分との対話なので、あとは自分次第。

私は、ヨガのそういうところ、好きだなあと思います。まずは自分から。なぜなら、私たちが見ているものは、私たちが作りだしたものだからと、ヨガは言います。これについては、もう少し先で、もっと詳しく。


次回のヨーガ・スートラ第1章2節は、こちらから⇩

※本記事の参考文献は、こちらからご確認ください。



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