【古典邦画】「夜明け前」

1953(昭和28)年の、吉村公三郎監督の新東宝配給作品「夜明け前」。YouTubeにて。

めっちゃ暗〜い(俺好み)島崎藤村の大長編小説の映画化。原作が長いから142分とコッチも長い。新藤兼人が脚本。劇団民藝の役者が総出演。

虐げられる人々に目を向けるのは藤村ちゃんらしいけど、幕末から明治と激しく移り変わる(明治維新、文明開花)世の中は、奥深い木曽の山中でも決して無縁ではいられない。ということで、平田実篤の国学に学び王政復古的理想主義を抱える木曽の庄屋の長男・半蔵(滝沢修)をメインに、時代に翻弄され、山奥の村社会の中で、徹底して苦悩を抱えた個人を描く。

半蔵は、藤村ちゃんの父親がモデルらしいが、理想に裏切られて、晩年、絶望の果てについに発狂、閉じ込められた座敷牢の中で生涯を終える…。

半蔵は、村でも改革を起こそうと、村長となって、廃仏毀釈を進めて、幕府に追われる反幕府の一行を匿ってもてなしたり、凶作で蔵の米を大衆に解放したり、王政復古を信じて動く。

そして、明治維新。だが、貧乏で変わらない百姓たちの態度に幻滅を感じる。さらに国有となった木を伐採した罪で村人が次々と捕まっていくのを見て役所に伐採を願い出るが、村長職を剥奪される。

父と同様の理想を持つ娘(乙羽信子)が自殺を図ったこともあって、半蔵は上京して天皇に直訴をするが…。

半蔵の理想主義は当の王政によって裏切られたのである。木曽に帰った半蔵を待っていたのは“隠居”だったのだ。

政治は理想を掲げるものであるが、大衆は理想ではまず動かない。大衆にとっては現実的な自分に則した実効あることが最も重要なのだ。強制でもない限り、大衆が同じ理想に向かって動くなんてことはありえない。時代背景もあって、全ての条件が揃って、偶発的な事が重なって、初めて動くのである。

「あまりにも激しい世の移り変わりに騒がずにはいられないのだ。真面目な心ほど傷付きやすい。生きることの儚さ、苦しさ、あるいは恐ろしさが身に徹して来る。何もかも水のように押し流されて行った」(by半蔵)

観応えのある文芸作品だった。


いいなと思ったら応援しよう!

TOMOKI 脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。

この記事が参加している募集