あるモブの告白|チャレがや杯2026
「特別であること」―それは、もはや怨念の類に近い。
はじめは、血液型だった。
両親はA型、自分はO型。ともにAO型なら、確率は1/4だ。
それは少々頼りないが、「特別」の証明になり得た。
次は学力だった。身長もそうだろう。
「自分は特別である」ことを証明するために必死だった。
なぜならば、自分が特別であれば、相手を「コントロール」することが許されるから。
誰にも自分の邪魔はさせない。
だからこそ、言葉の力を最大限活用し、人の心理に対して敏感になっていたという側面もあるのかもしれない。
わかっている。
いや、本当は中学あたりから気づいていたはずだ。
秀でている部分や、「普通ではない」エピソードもたくさんある。
だが、スターではない。
当然、唯一無二の月や太陽のような存在であるはずもない。
このことに気がつくまで、40年以上かかってしまった。
借金も、転職も、独立も。
あるいは、完全なる厄介オタクムーブをして出禁になった耳かき店も、狂ったように通ったメイド喫茶のチェキ帳も、結局それを証明したかっただけだ。
「自分は特別だから」が、すべての枕言葉になっていた。
特別だから、転職を繰り返しても何とかなる。
フリーランスとして独立してもやっていける。
借金もどうにかなったし、また借金ができてもうまくやれる。
特別だから、相手をコントロールして、「全肯定Bot」が現れるはずと夢を見てもいい。
大学を卒業してから、お金の管理がうまくできなかったことが、大きなツケになった。
固定費を下げつつ、収入を上げる作戦を取ってきた。
しかし、それは本当に大切なことから目を逸らすこととなる。
ギャンブルや酒はやらない。趣味に歯止めがかからなくなることもない。
ただ、躍起になっていたのは、「自分が特別だ」ということを、相手を通して証明しようとすることだった。
職歴や年収で勝負できないなら、異性に認めてもらう手段しか考えつかなかったのだろう。マウント合戦に支配された哀れな末路といったところか。
「自身が特別か」どうかという問い自体が、既に他者との比較を前提としている。
特別でなくても構わない。
年収や家族の姿も、自分が望むもの、そして、家族内ですり合わせたものでいい。
今は、3年日記に書きつける。お気に入りのノートやnoteで内省を行う。
自己肯定感の「自給」ができるようになった。
もう、これから誰もが知る有名企業や上場企業に入ることは難しいだろう。
年収も同様に、4桁万円の父を超えることは恐らく困難だ。
異性との関係で証明する必要もない。
怨念のような妄執は、「これだけ苦労したのだから取り戻したい」という魂の叫びだった。
だが、取り戻しループは決して終わることがない。年収もキャリアも(なんなら、異性のスペックも)「もっと、もっと」となるだけだ。
小言に対して、中3の長男がボソッと言った。
「借金あるくせに」
これが決め手だった。
今までなら、「住宅ローンや自動車ローンを利用している人もたくさんいる」と返していただろう。だが、自分はどちらのローンも組めなかった。
「現実を見ろ」―自分が言った言葉が、そのまま刺さった。
「自分が特別コンテスト」から降りたことで、怨念は嘘のように消えていた。
ただ、自分が思い描く道を探求できること。
そして、最愛の妻と3人の子どもがいること。
もうそれで充分なんだと、ようやく思うことができた。
大きくなる子どもたちのために、お金はまだまだ必要だが、10年前には考えられなかったことが着実にできてきている。
とあるモブの告白である。
誰かの黒歴史だと、笑い飛ばしてもらって構わない。
【本文 1466文字】
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