アートを身体で鑑賞する。

昨日、アートフェスに初めて行ったことを書いた。

そのときにもう1つ思ったことは、普通の美術館と違ってキャプションが無いことによる効能だった。

私のような言語思考人間にとって、アート作品を鑑賞するのは非常に難しいことだ。言語という方法では捉えたり表現できないことを表現しようと思って各アーティストが魂を込めてその作品を創っているのだから、なるべくそれを受け取りたいという気持ちはありつつも、いかんせんそのための感性が乏しいので、うまく受け取れているかどうかがよくわからないのだ。

だから、例えば普通の美術館に行ったときには、作品を鑑賞するよりも先に、その横に置いてあるキャプションについ目が行ってしまう。その作品のタイトルと、創られた背景や作者の思いなどを読んで、それを踏まえて作品を見てしまう。

別にそれが必ずしも悪いことではないと思うが、本当はもっといろいろな捉え方や自分なりの感性を発動した結果としての印象のようなものが出てくることを大事にした方が良さそうなのに、それができないままに終わってしまうところがある。

ところが、今回のアートフェスにはそのキャプションが存在しなかった。アーティストの名前は大きく書かれているが、それ以外の説明は特に何もない。ただそこに作品が置かれているだけだった。

だからこそ、私にとっては普段の美術館とは違う楽しみ方ができてありがたかった。キャプションや言語に頼ることなく、その作品本位に自分なりの解釈を与えたりすることができて、必ずしも言語を介しない作品鑑賞ができたような気がした。これは私にとっては大きな進歩の1つだ。

まぁ、だからといっていつもよりすごく思考が深くなったりというわけではない。言語思考者の私にとっては、まだまだその訓練が足りなかった。

しかし、なるべく言語を介さずに身体で鑑賞するような、そういう楽しみ方もあるのだということが分かっただけでも、今回のアートフェスから得られた大きい収穫だったと思う。


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