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話すのが苦手な人ほど、心の中ではたくさん考えている

友人と会って、普通に笑って帰ってきた日。

職場でも、ちゃんと返事はした。
休憩中の雑談にも、なんとか入った。
相手に冷たくしたつもりもない。

それなのに、家に帰ってから、ひとりで何度も思い出してしまうことがあります。

「あの返し、変じゃなかったかな」
「もっと自然に話せたらよかったのに」
「相手、退屈してなかったかな」

話しているときよりも、話したあとに疲れてしまう。

そんな日がある人は、少なくないのかもしれません。

話すのが苦手な人は、何も考えていないわけではありません。
むしろ、考えすぎていることのほうが多いのだと思います。

何を言えばいいのか。
この言い方で、相手を困らせないか。
変に思われないか。
話が止まったらどうしようか。
自分ばかり話しすぎていないか。
逆に、何も話さなすぎて感じ悪く見えていないか。

会話をしているその瞬間にも、心の中ではいくつもの小さな確認が走っている。

だから、言葉がすぐに出てこない。

話すのが苦手なのは、心の中に言葉がないからではなく、言葉にする前にたくさん考えているからかもしれません。

内向的な人の価値について広く発信してきた作家、スーザン・ケインは、こんな言葉を残しています。

“There’s zero correlation between being the best talker and having the best ideas.”

Susan Cain, Quiet: The Power of Introverts in a World That Can’t Stop Talking, 2012

いちばん話すのが上手なことと、いちばん良い考えを持っていることは、必ずしも同じではない。

そんな意味の言葉です。

そう思うと、少しだけ肩の力が抜ける気がします。

会話の中で、すぐに気の利いたことを言える人がいます。
その場を明るくできる人もいます。
自然に会話の中心に入れる人もいます。

そういう人を見ると、自分だけが遅れているように感じることがある。

でも、たくさん話せることだけが、人との関わり方ではありません。

静かに聞いている人。
相手の表情を見ている人。
場の空気を壊さないように、言葉を選んでいる人。
誰かを傷つけないように、少し慎重になっている人。

そういう人の中にも、ちゃんと考えがあります。
ちゃんと気持ちがあります。

ただ、それが少し遅れて言葉になるだけなのだと思います。


第1章 話すのが苦手な人は、会話中もずっと考えている

職場の休憩室で、数人が週末の話をしている。

「どこか行った?」
「何してた?」
「最近どう?」

その場の空気は、別に悪くない。
誰かに責められているわけでもない。

でも、自分の番が近づいてくると、少しだけ胸の奥が固くなる。

何を言えばいいんだろう。
短すぎたら、感じ悪いかな。
長く話しすぎたら、空気を止めてしまうかな。
変に笑われたらどうしよう。

頭の中では、いくつもの言葉を並べ替えている。

でも、そうしているうちに、会話は先に進んでしまう。

「あ、今言えばよかった」
「さっきの流れなら、あの話を出せたのに」
「結局、うなずくだけになってしまった」

周りから見れば、ただ静かにしているだけに見えるかもしれません。

でも本人の中では、ずっと会話に参加しようとしている。
ずっと言葉を探している。
ずっとタイミングを見ている。

黙っていた時間にも、心の中ではちゃんと会話していたのだと思います。

話したい気持ちがないわけではない。
仲良くしたくないわけでもない。
人が嫌いなわけでもない。

ただ、言葉にするのが少し苦手なだけ。

それなのに、うまく話せない自分を責めてしまうことがあります。

「もっと明るく話せたらいいのに」
「どうして普通に雑談できないんだろう」
「自分と話しても、相手は楽しくないかもしれない」

そうやって、自分の中で自分を小さくしてしまう。

でも、話すのが得意ではないことは、その人に魅力がないということではありません。

すぐに返せないのは、冷たいからではなくて、
大切に返そうとしているからかもしれない。

言葉が少ないのは、興味がないからではなくて、
相手を雑に扱いたくないからかもしれない。

そう思えるだけで、自分への見方が少しやわらかくなります。


第2章 話せないことより、話したあとに疲れることがつらい

話すのが苦手な人にとって、本当につらいのは、会話そのものだけではない気がします。

本当につらいのは、
会話が終わったあとも、心の中ではまだ終わっていないこと。

帰り道。
電車の窓に映った自分をぼんやり見ながら、さっきの場面を思い出す。

あの返しでよかったのか。
相手は退屈していなかったか。
もっと気の利いたことを言えばよかったのではないか。
あの沈黙は、気まずかったかな。
あの笑い方は、不自然だったかな。

相手はもう忘れているかもしれません。
もう別のことを考えているかもしれません。

それでも、自分だけが何度も同じ場面に戻ってしまう。

この疲れは、なかなか人に伝わりにくいです。

「気にしすぎだよ」
「そんなの誰も覚えてないよ」
「もっと楽に話せばいいじゃん」

そう言われることもあるかもしれません。

たしかに、相手はそこまで気にしていないのかもしれない。
でも、自分の中では気になってしまう。

気にしないようにしようと思って、気にしないで済むなら、最初からこんなに疲れていない。

だからまずは、「また気にしてしまった」と責めるより、こう見てもいいのだと思います。

それくらい丁寧に、人と関わろうとしていたんだな。

考えすぎることは、しんどいです。
でもその奥には、相手を大切にしたい気持ちや、場を壊したくない気持ちが隠れていることもあります。

その全部を、悪いものにしなくていい。


第3章 無理に“話し上手”を目指さなくてもいい

話すのが苦手だと、つい「話し上手にならなきゃ」と思ってしまいます。

もっと面白く返せるように。
もっと明るく話せるように。
もっと自然に雑談できるように。

もちろん、少しずつ慣れていくことで楽になる場面はあります。

でも、無理に別人みたいになろうとすると、人と会うこと自体がさらに疲れてしまうことがあります。

話し上手な人には、話し上手な人の良さがあります。
その場を明るくする力も、会話を前に進める力も、たしかにある。

でも、静かに聞ける人にも、静かに聞ける人の良さがあります。

相手の話を最後まで聞ける。
余計なことを言いすぎない。
軽く扱わずに受け止められる。
誰かが話し終えるまで待てる。

それも、人間関係の中ではちゃんと大切な力です。

会話は、言葉をたくさん出す人だけでできているわけではありません。

聞く人がいるから、話せる人がいる。
うなずく人がいるから、安心して続けられる人がいる。
静かな人がいるから、その場が落ち着くこともある。

だから、話すのが苦手な自分を、すぐに直すべき欠点として扱わなくてもいいのだと思います。

目指すのは、誰からも明るい人だと思われることではありません。

自分が少し無理なくいられる話し方を見つけること。

それくらいの温度でいいのかもしれません。


第4章 言葉が少なくても、伝わるものはある

人と関わるとき、言葉だけがすべてではありません。

短い返事でも、ちゃんと相手のほうを向いていること。
うまいことが言えなくても、相手の話を雑に扱わないこと。
すぐに返せなくても、あとから「あの話、気になってた」と伝えること。

そういう小さなものでも、人には伝わることがあります。

もちろん、何も言わなくても全部わかってもらえる、という意味ではありません。

伝えたいことがあるなら、少しずつ言葉にしていくことも大切です。

でも、その言葉は立派じゃなくていい。

「うまく言えないんですけど」
「ちょっと考えてから返してもいいですか」
「聞いてはいるんですけど、すぐ言葉にするのが苦手で」

それくらいの言葉でも、自分を守ってくれることがあります。

話すのが苦手な人は、完璧な一言を探しすぎて、何も言えなくなることがあります。

でも、人間関係の中で必要なのは、いつも正解の言葉を出すことではないのかもしれません。

少し不器用でも、「ちゃんと向き合おうとしている」ことが伝われば、それでつながれる関係もあります。


第5章 会話のあと、自分を責めすぎないために

話したあとに、ひとり反省会が始まってしまうことがあります。

お風呂に入っているとき。
布団に入って、部屋の明かりを消したあと。
スマホを見ているのに、頭の中だけはさっきの会話に戻ってしまうとき。

そんなときは、少しだけ問い方を変えてみてもいいかもしれません。

「なんであんなこと言ったんだろう」ではなく、
「自分なりに、その場で返そうとしていたんだな」

「変に思われたかもしれない」ではなく、
「相手を嫌な気持ちにさせたくなくて、緊張していたんだな」

「またうまく話せなかった」ではなく、
「今日はあの場にいるだけでも、少し頑張っていたんだな」

そう言い換えたところで、急に会話が得意になるわけではありません。

でも、自分を責める声が少し弱まるだけで、次に人と会うときのしんどさが少し変わることがあります。

話すのが苦手な人は、会話の失敗ばかりを覚えてしまいがちです。

でも本当は、ちゃんと聞けていた時間もある。
相手に合わせようとしていた場面もある。
言葉にできなかっただけで、心の中ではたくさん考えていた。

そこまで全部、なかったことにしなくていい。

うまく話せなかった日にも、人と向き合おうとしていたあなたはちゃんといます。


第6章 少し遅れて届く言葉でもいい

その場ですぐに言えなかったことを、あとから伝えてもいいと思います。

会話の途中でうまく返せなかったとしても、あとで短く送る一言が、相手に届くこともあります。

「さっきうまく言えなかったけど、話してくれて嬉しかったです」
「急に聞かれてうまく返せなかったけど、ちゃんと考えていました」
「言葉にするのが遅くてすみません。でも嫌だったわけではないです」

こんなふうに、あとからでも言葉を置ける。

会話は、その場で完璧に終わらせなくてもいいのかもしれません。

すぐに言葉が出る人もいる。
少し時間がたってから、やっと言葉になる人もいる。

どちらが正しいというより、ただ、言葉の届き方が違うだけ。

話すのが苦手な人の言葉は、少し遅れて届くことがあります。

でも、遅れて届く言葉にも、その人らしい温度があります。

だから、今すぐ誰かみたいに話せなくても大丈夫です。

言葉が少ない日があってもいい。
会話に入れない日があってもいい。
帰ってから少し落ち込む日があってもいい。

それでもあなたは、人と関わることを雑にしているわけではありません。

心の中でたくさん考えて、自分なりに言葉を探している。

その不器用さは、責められるだけのものではないと思います。


第7章 話すのが苦手なあなたへ

話すのが苦手でも、人との距離を少しずつ作っていくことはできます。

明るい人にならなくてもいい。
面白い人にならなくてもいい。
会話の中心にいなくてもいい。

ただ、あなたのまま、少しずつ言葉を置いていけたらいい。

小さな一言でも。
短い返事でも。
あとから届く言葉でも。

それはちゃんと、あなたなりの人との関わり方です。

話すのが苦手なあなたの中に、言葉がないわけではありません。

ただ、少し慎重に、少し時間をかけて、大切に出そうとしているだけなのだと思います。

話せなかった日も、うまく返せなかった日も、自分を責めすぎなくて大丈夫です。

言葉になる前の気持ちも、ちゃんとあなたの中にあるものだから。


今日も、ここまで読んでくださってありがとうございます。

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