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だから味わい深い





















後記

これは、半世紀にわたり心のどこかで贔屓にしてきた漫画家・つげ義春さんへのオマージュです。
つげさんは本年3月3日、誤嚥性肺炎のため88歳で逝去されました。
同氏の漫画についてはすでに多士済々、様々な側面から解説され尽くされており、私ごときが語る何もないのですが、強いて誇れるものはと言えば、繰り返しになりますが半世紀ほどもぼーっと私の傍に存在したことです。

あ、そう。ちなみに彼の魅力を一言で申せば、日常性でしょうか。
(まあ、この一言で言えば、というまとめ方はひどく紋切り型と言うか、芸がないわけですが。)
近所の散歩とか、鄙びた商人宿を巡るようなうらぶれた旅行が彼の好物だ。ために、そこに展開するストーリーも日常的であるし、また景色も平凡で景勝地のような派手さはない。
そうした光景はあえて表に出さずとも心象風景として誰しもの心の底に堆積している。
彼はそこにスポットを当てている。

この多面性のある作家にとっては、いかなる見方もワンノブゼムであって、それが全てではない。
逆に言えば、何と解釈しようが間違いではない。
それどころか、例えば、「つげのテーマは死へ向かう情動ですかね」なんて一端いっぱしに答えれば、それを詩的・哲学的ベクトルで解釈する向きには、なるほどね、と溜飲を下げるものもいるだろう。

『ねじ式』以来、芸術作品として評価を得た「つげ義春」は、しかし、当人にとっては相当な負担だったろう。それまでの、リリシズムにあふれ、巧妙だった線画のタッチも次第になりをひそめ、妙に劇画風で、デッサンもおかしいような不思議な画風に変わっていった。加えて突発的な性描写も増えていった。これは、彼の中での葛藤ととらえる方もいるようだが、私には彼なりの反抗だったのではと思える。

何に対しての?
「芸術」という評価に対してのである。

出典(作品)

『枯野の宿』
『貧困旅行記』
『夢の散歩』
『ある無名作家』
『退屈な部屋』
『外のふくらみ』
『カメラを売る』
『探石行』
『蒸発』

だれもが取り立てて口にしないような平凡な生活風景

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Monikodo 東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。