当たり前を疑ったら、世界は全然違って見えた〜オランダの出来事より〜
世界一周を始めてから、わたしは何度も驚かされている。
それは、壮大な景色でもなく、有名な観光地でもない。
その国の人たちが、「そんなの当たり前じゃん」と思っていることだ。
そして、そのたびにもしかしたらわたしは、日本で生まれ育ったことで、たくさんの「当たり前」に囲まれて生きてきたのかもしれない、と知る。
オランダを歩いていたとき、
美しい運河、歴史ある建物、自転車で移動する人々、まさに絵本の中のような景色だった。
でもわたしの記憶に強く残ったのは景色ではない。
街に漂うにおいだった。
最初は何の臭いかわからなかった。
でも何度も同じ香りがする。
調べてみて、それが大麻だとはじめて知った。
日本で育ったわたしとって、それは衝撃だった。
なぜならわたしの中では、「合法的にダメなもの」だったから、こんなに当たり前に吸う人がいることに驚いた。
もちろんわたし大麻を勧めたいわけではない。
賛成か反対かを語りたいわけでもない。
いろいろ諸説あることはいろんな人から聞いている。
興味を持ったのは、なぜ、この国ではそれが成立しているのだろう?ということ。
調べていくと見えてきたのは、善悪ではなく、仕組みで考えるという発想だった。
禁止したからなくなるわけではない。
人間の欲求はゼロにはならない。
だったらどう管理するのか?
どう社会の中に組み込むのか?
どうリスクを減らすのか?
力で禁止しても、結局は地下に潜るだけ。
地下に潜れば、コントロールが効かなくなり、結果的に犯罪組織や闇市場の巨大な資金源になってしまう。
「それならば、国がルールを設けて管理し、安全性を保ちながら『税収』として社会に還元した方が合理的ではないか」
すごい考え方!!!
賛成か反対か。好きか嫌いか。
そうした感情論の前に、「現実として存在するダークな部分をどう扱うか」を考える。
日本では問題が起きると、「臭いものに蓋をする」かのように「禁止する」「なくす」という方向へすぐ議論が進む。そして、見えなくなれば「問題は解決した」「安全だ」と安心してしまう。
誰かがなんとかしてくれるだろう。見えないから大丈夫だろう。
それはある意味で、波風を立てないことを良しとする私たちの「平和ボケ」の裏返しなのかもしれない。
綺麗事や理想だけでは、社会は回らない。
人間の泥臭い現実を受け止めた上で、それを機能する「仕組み」に変えてしまうオランダのしたたかさは、ビジネスの観点から見ても非常に興味深かった。
日本では、「問題をなくすこと」を目指すが、オランダでは、「問題がある前提でどう運営するか」を考えている国なんだ。
どちらが正しいという話ではない。
ただ、考え方が全く違った。
そしてこれは環境問題でも同じだった。
オランダでは量り売りの店をよく見かけた。
オーガニック商品も特別ではない。
最初は環境意識が高い国なのだと思っていた。
でも滞在していて感じたのは、彼らは環境に優しくしたいからやっているだけではないということだった。
水、土壌、化学物質、エネルギー、そういった問題が、自分たちの生活や経済に直結する現実として存在している。
だから向き合い、議論し、仕組みを作る。
現在、オランダをはじめヨーロッパ全土で、PFAS(有機フッ素化合物)などによる土壌や水質の汚染が極めて深刻な問題になっているそうだ。
ここでも彼らは「化学物質は怖いからやめよう」とただ感情的にパニックになることはない。
見えない汚染という現実の脅威に対して、「どう法規制を変えるか」「経済活動と両立させながら、どう社会を機能させ続けるか」という議論を真正面から交わしている。
ひるがえって、日本の私たちはどうだろうか。
蛇口をひねれば安全な水が出ることを当たり前だと思い込み(最近は違うかもしれないけれど比較的他国と比べて安全だ)、本当の環境危機が迫るまで、あるいは大きなスキャンダルになるまで目を背けている気がする。
最近では、原油に頼らず水素やアンモニアなどのエネルギーに変える動きもあるから、一概には言えないけど、風潮としては臭い物に蓋をする。
大麻の政策も、環境問題への対処も、一見すると全く別の話に見える。
でも根っこは同じだった。
人を変えようとするのではなく、仕組みを作る。
理想を掲げるだけではなく、現実を動かす。
私は日本を否定したいわけではない。
むしろ逆だ。
世界を旅するほど、日本は本当に素晴らしい国だと思う。
安全だし、清潔だし、人は優しい、ご飯は美味しい。
着物を着て海外を歩いていると、日本文化への尊敬を感じることも多い。
でも、その日本の良さに甘えてしまう危うさもあると思う。
水が出るのが当たり前
治安が良いのが当たり前
平和なのが当たり前
健康でいられるのが当たり前
わたしは数年前までそう思っていた。
でも旅をしていると、やっぱり世界では当たり前ではないことばかりだと気づく。
だから最近思うのが平和ボケとは、
危機感を持たないことではない。
考えることをやめることなのかもしれない。
誰かがなんとかしてくれる。
国がなんとかしてくれる。
専門家がなんとかしてくれる。
そう思ってしまうことなのかもしれない。
世界を見ていると、もちろん正解の国なんて存在しない。
どの国も問題を抱えている。
でも、問題を直視する国と、見ないふりをする国では、未来は少しずつ変わっていく気がする。
ふと思ったのが、わたしが海外を旅していて学んでいるのは、海外のことではなく、日本を見るための視点なのかもしれない。
そして、自分の人生を見るための視点だ。
当たり前を疑う。
一度立ち止まって考える。
本当にそれでいいのか問い直す。
それが今、世界を歩きながら私が学んでいることなのかもしれない。
景色は忘れても、価値観を揺さぶられた瞬間は忘れない。
だからわたしは今日も、次の国の「当たり前」に出会うために旅をする。
