『アイ・ワズ・ア・ストレンジャー』試写会/映画感想文
よそ者(ストレンジャー)の悲哀を想像すること
それこそが映画の可能性であり、力に他ならない。本作は、そうした表現の責務と可能性に向き合っている。家族や愛する人を守るために、絶望の中でも希望を捨てることなく、懸命に生きる5つの家族が交錯していくシリア内線を描いた社会派群像劇。途中には回想シーンが挟まる形ではあるものの、それ以外は全編を通してドキュメンタリーっぽさのある演出で、骨太かつ息の詰まるようなスリリングさがあった。つまり、ドキュメンタリーの報道性(臨場感)と、フィクション(劇映画)の共感性を、併せ持っている。
『アイ・ワズ・ア・ストレンジャー』というタイトルに込められた、「結局他人事」から「自分事」になりますようにという作り手の願い。
「If I was a stranger(もし私が「よそ者」だったら)」という追体験の仮定形と、もう知って(体感して)しまったら知る前の自分には戻れない・彼らはただの「見知らぬ人」ではない=今は違うという過去形の、ダブルミーニングになっている気がした。つまり、それは立場を超えて葛藤する兵士のポジションかもしれないし、喪失の悲しみを知ってしまった医者かもしれない。
昔、英語の先生が、仮定形が過去形である理由は、「どちらも現在からの距離があるから」と説明していたことを思い出した。それを本作に置き換えるならば、物理的にも心理的にも。
目が離せない、逸らしてはいけない。とりわけ1話目は、爆発音や銃声などが、いつどこから襲ってくるか分からない怖ろしさがあった。密航方法の雑さは、まるでその金額に見合わないななどと思ったが、実際に自分が「よそ者」の立場になれば、あれをなぜ拒めようか?文字通り、藁にもすがる思いだ。そして、その中で無情に渡されていく命のバトン。無事に着かなくても稼ぎは一緒だから、俺には関係ないこと。本当にそうだろうか。あなたは悪くない。たとえそうであっても…。
緊張と絶望、そして微かな希望。ラストカットはピントが合わないことで、1点の光が射しているようにも見えた。それは、難民ということで、本来の専門性を生かせないで低所得な仕事にしか就けないような社会構造からも逸脱する可能性を示唆しているようにも思えた。そうなれば、社会全体としてもいいことだ。
勝手に関連作品『人間の境界』
医者、兵士、密航業者、詩人、船長
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清掃スタッフ?

