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なぜ時計を見ると、「4時44分」が多いのか?

何の気なしに時計を見て、生唾をゴクリ…。
なんと、「4:44」だった。

しかも初めてじゃない。何度もある。また「4」が並ぶ不吉な数字を見てしまった。これは偶然なのか…?

と思ったことはないだろうか?

この記事を書こうと思い立ったのも、まさに今朝時計をふと見たら「4:44」だったから。

もちろん偶然なのだが、このように「4:44」ばかりが印象に残ってしまうには、いくつかの心理メカニズムが交差している。

その秘密を解き明かしていこう。


理由1. カクテルパーティー効果

心理学の「カクテルパーティー効果」は、情報の洪水の中で、自分に関係のある情報だけが、優先的に耳目に入りやすくなる傾向のこと。

「騒がしいパーティーの中でも、自分の名前を呼ぶ声はスッと耳に入る」というが、この心理効果の語源だ。

日本人は、「4」が不吉な数字であるという文化を持っている。その数字が3連続で並ぶ「444」は非常に不吉であり、アニメや漫画のホラー回でも採用されている。

実際には、「5:24」も「9:51」も同じ数だけ見ているはず。

しかし、記憶に残るのは、「4:44」だけなのだ。結果として、「4:44」だけが、妙に回数多く見ている気がしてくるのである。

「カクテルパーティー効果」でほぼ説明できた感があるが、まだ深掘りできるので、興味がある方は引き続きお付き合い願いたい。

「確証バイアス」で追い討ち

「4:44」の遭遇回数が多いという錯覚によって、「自分は444をよく見る気がするぞ」という仮説を持つに至る(私も小学生の頃にそう思った)。

一度このような仮説を持つと、脳はその仮説を強化する情報ばかりに目が行く。このような心理傾向は、「確証バイアス」と呼ばれている。

  • 4:44 を見た → 「ほら、まただ!」と強く記憶

  • その他の時刻を見た → すぐ忘れる

このように、「自分は444をよく見る気がするぞ」という印象が、どんどん強化されることになる。

理由2. hyperactive agency detection device (HADD)

聞き慣れない「hyperactive agency detection device (HADD) 」は、なぜか日本語名が見つからないのだが、言われてみれば納得する心理傾向である。

例えば、地面に枯葉が落ちていたとしよう。

それが、ランダムに3枚落ちていた場合は、特に気にも留めない。

しかし、それらが3枚がキレイに並行に並んで落ちていたら?
「誰か」の作為を感じるはずだ。

このように、「誰かしらの作為」を検出する機能が「HADD」である。

この機能が人類に備わっている理由は、想像に難くない。

その「誰か」は、

  • 仲間かもしれないし、

  • 獲物かもしれないし、

  • 自分を狙う捕食者かもしれない。

いずれにしても、知って身構えた方が、生存に有利であったろう。

この理屈から、「ゾロ目」の数字は作為的に見える。ちょうど、キレイに並んだ3枚の枯葉のように。

我々は、時を刻む時計の針に、そのような作為がないことを知っている。しかし、脳の深いところでは、そのようにハッキリ理解できない。

そのため、ちらっと目に入った時計が「ゾロ目」になったときは、イヤでも焦点が合ってしまうのである。

※ちなみに、これはビジネスでも応用可能。例えば「8,888円」「555人目のお客様」という数字は目に留まりやすい。工夫次第で、ユーザーの視線を誘導できる。

なぜ「444」を不吉に思う気持ちを払拭できないのか?

良い大人になれば、「444」という数字が、何ら意味のない迷信であることを知っている。

それでもやっぱり、他のゾロ目の「2:22」や「5:55」よりも、「4:44」ばかり目に焼き付いてしまう。

99%は迷信と切り捨てられても、1%の不安が残っているのだろう。

なぜ、「444」を不吉に思う感情を消し去ることができないのか?
いくつか説明の仕方が思い当たるが、ここは進化心理学的に考えてみたいと思う。

「口裂け女」を例に考えてみよう

「444」を、幽霊や妖怪の類に差し替えても、概ね話の辻褄は失われない。ここは、かつて子供達を恐怖で震えさせた「口裂け女」を例にすることにしよう。

大抵の人は、「口裂け女はいない」と思っている。

しかし、万が一、億が一にも遭遇してしまったら?

彼女の持っている包丁で八つ裂きにされてしまう。彼女は100mを6秒で走れるので、逃げ切るのは難しい。

「いない」と思って対策を怠ると、遭遇してしまったときに致命的だ。

一方で、心のどこかで「口裂け女はいるかもしれない」と思っている人はどうか?

常に周りに気を配りつつ、もしもそれらしい女を見たら、「ポマード」と唱えるのである(これが、最も有名な口裂け女への対策だった)。

ほとんどの場合は徒労で終わるが、万が一、億が一にも遭遇してしまったときは、心のどこかで不安を持っている方が安全である。

「口裂け女」は多分、本当にいない。が、これがジャングルの中で、茂みがガサガサとなったシーンであったならどうか?

「どうせ風だろう」と取り合わなかった個体よりも、「捕食者かもしれない」と用心した個体の方が生き残りやすかったはずだ。

その子孫である我々にも、身の安全のために、一抹の不安を残すような心理傾向が受け継がれている

というわけで、「444」も「何かあるかもしれない」と、不安を残しておくのである。

それが、ゾロ目が目に留まりやすい効果と相まって、余計に「4:44」ばかりが記憶に残ってしまう。

こういうバイアスがかかっているというお話だ。

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